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図書カード:No.51191

作品名:雪をんな
作品名読み:ゆきおんな
著者名: 葛西 善蔵 

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作品データ

分類:NDC 913
初出:「處女文壇 第一卷三號」1917(大正6)年7月1日
作品について: 「雪をんな」は、処女作「哀しき父」(大正1年)から5作目となる作品で、初出「処女文壇」(大正6年)に発表された。
 1903(明治36)年、17歳のときに、友人らと北海道に渡っている。葛西にとっては2度目の北海道だが、このときの2年間あまりはよく知られていないが、岩見沢駅の車掌を勤め、また、歌志内の炭鉱のさらに山奥(現・芦別市新城)での線路枕木伐採事業の会計などの仕事をしていたようだ。作品はこの頃のことも書いており、この時期の体験を元にしたものと思われる。
 本作品は表題のように幻想的である。後の結婚生活の話も前後して構成されている。「我らに属して新しくこの悩ましの世に生まれ来るであろう」子の元へ帰るべく、山奥から単独で下る途中、猛吹雪に巻込まれる。大吹雪に現れる雪をんなは、独自の物語が与えられて、祈りや慈母ともいえる心象風景のシンボリックな存在のようだ。本作品は、初期のものに数えられ、後の作風とも異なっている。この8年後に、再び「雪をんな(二)」(大正14年)を発表。北海道を舞台としたものには、本作品を含めて「悪魔」(大正1)、「姉を訪ねて」(大正10)の作品がある。(林田清明)
文字遣い種別:旧字旧仮名
備考:

作家データ

分類:著者
作家名:葛西 善蔵
作家名読み:かさい ぜんぞう
ローマ字表記:Kasai, Zenzo
生年:1887-01-16
没年:1928-07-23
人物について:1887(明治20)年1月16日、青森県弘前市松森町に生まれる。幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。借金、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の自己小説は、作者への共感や一種の信仰を生んだ面がある。題材は貧困と鬱憤の中で狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年7月23日、世田谷三宿で41歳で死去した。嘉村磯多らとも親交があった。葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。
wikipediaアイコン葛西善蔵

底本データ

底本:葛西善藏全集 第一卷
出版社:津輕書房
初版発行日:1974(昭和49)年12月20日
入力に使用:1974(昭和49)年12月20日
校正に使用:1974(昭和49)年12月20日

底本の親本:處女文壇 第一卷三號
出版社: 
初版発行日:1917(大正6)年7月1日

工作員データ

入力:林田清明
校正:フクポー

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