そらもよう
 


2005年12月31日 青空文庫の2005年
青空文庫の2005年は、著作権保護期間延長の話題ではじまった。
ものを書くことの目的のひとつが「人に読まれること」であるならば、著作権保護期間が70年に延長されることは、多くの作品にとって、人の目に触れる機会を確実に狭めることになるだろう。50年前ならば、人はその時代を「祖父母の時代」として、ある程度、身近に感じることができる。70年前となると、曾祖父母の時代だ。出版される本の流通期間がますます短くなりつつある昨今、本にとって、ずいぶん長い年月であることは間違いない。
3月、紫式部著、与謝野晶子訳「源氏物語」の公開が完結した。もしも公開時点で著作権の保護期間が70年に延長されていたなら、この作品も、当分の間、青空文庫で多くの人に読まれることはなかっただろう。保護期間が延長された場合に失うものの大きさが、ここでも実感できるのではないだろうか。
7月には、4670タイトルをおさめたCD-ROM「蔵書4670」が、東京国際ブックフェア会場とネット上で販売された。このCD-ROMには、携帯電話などの液晶デバイスへの書き出し機能が加わったazur 1.5が収録されている。青空文庫がスタートしたばかりの頃には、文字通り「持ち運べる電話」にすぎなかった携帯電話が、いつしか、インターネットにアクセスするための大きな手段となってきた。それにともなって、「電話機で本を読む」時代になったわけだ。これからも、思いもよらないものが読書の手段として登場してくるだろう。そういった新しい読書のかたちによりそいながら、多くの作品をネット上で公開していくことができれば何よりだ。
11月に出版された「インターネット図書館 青空文庫」は、青空文庫のこれまでの歩みを振り返り、これから歩む道を見はらす一里塚となった。青空文庫の活動に興味をお持ちの方はもちろん、「青空文庫のトップページに著作権云々のバナーが貼ってあるけれど、何のことだろう」と思っておられるみなさんにも、ぜひおすすめしたい。
同じ11月には、移り変わる時代にともない、青空文庫の発足直後から共に歩んできた掲示板「みずたまり」を、当面、運用停止することになった。インターネットという場のさまざまな変化につれて、コミュニケーションのかたちも変わっていく。ネットを通じたコミュニケーションの手段については、今後も引き続き模索していくことになるだろう。
相馬愛蔵岸田国士で始まった今年の公開作品は、仁科芳雄の「ユネスコと科学」でしめくくりとなる。CD-ROM発売時点から330作品増え、この作品で5000作品公開となった。推薦者の門田裕志さんによる作品紹介からは、戦後60年でもあった今年の、時代の空気を感じることができる。

みなさん、今年もありがとうございました。来るべき年も、青空文庫をどうぞよろしく。(LC)

 今年の最後を飾る作品として、仁科芳雄「ユネスコと科学」を推薦した。
「科學は呪うべきものであるという人がある」という書き出しで始まる「ユネスコと科学」は、物理学者 仁科芳雄が、戦後に今後の科学利用に対しての国際協力(特に科学者の)の必要を訴えた文章である。つまり、文学者の手に寄る文章ではなく、また文学作品(随筆を含む)としても発表された文章ではない。2005年は、相馬愛蔵「私の小売商道」で青空文庫は幕を開けた。相馬愛蔵も、「新宿 中村屋」の開祖の商売人であり、決して文学者ではない。相馬、仁科のような文学者ではない人々の文章、すなわち50年以上前の「時代の声」が聞けること、これが推薦の理由である。現在、有志によって青空文庫収録作品の分類が行われているが、やはり内容は文学に偏っているそうである。「テキストアーカイブ」としての青空文庫には、さらにいろいろな分野の文章、そしていろいろな人の「時代の声」が収録されることを願って、この作品を選んだ。
 もう一つの理由は、その内容にある。「時代の声」という言葉を使ったが、その背景を簡単に説明する。仁科博士は、戦前、戦争中に、日独米の原子力利用の競争の中で、日本の旧理化学研究所においてその最先端研究を行っていた。そして、戦後、原子力に代表される科学技術の利用について、ユネスコという国際協力の枠組みを利用し、監視する必要があると提言している。以下の引用のように。「われわれ科學者の中には今日までただ科學の進歩を目指して進み,その社會に與える結果に對しては比較的無關心なものが多かつたのであるが,今後はその結果が如何に使用されるかについて監視する必要がある」最先端の研究(当時のだとしても)に携わる研究者の文章、提言だからこそ、当時の「時代の声」として、意味があると思う。これが第二の理由である。その根本にある考え方は、「科學を呪うべきものとするか,禮讃すべきものとするかは,科學自身の所爲ではなくて,これを驅使する人の心にあるのである」と利用者にその責を担わせるものであったとしても、やはり傾聴すべき言葉であるように思う。
 現在、科学技術は50年前に比べて、予想を遥かに越えて生活の中に浸透してきている。その中で、「科学技術」の是非は、やはり使う者によるのではないか、と今年は考えさせられた。青空文庫の今年のニュースとしては、長年続いてきた「みずたまり」が閉鎖したことがあげられるだろう。インターネットという新しいコミュニケーションの手段は、その是非を問われ続けている。そして、同様に「利用する者」のココロ次第で、善にも悪にもなりうることを示しているといえるだろう。「みずたまり」は、その自由度故か、インターネットを利用したコミュニケーションの良い面も悪い面も見せてくれたように思う。技術が発達しても、人のココロは変らないのか。仁科博士は、こうも述べている。「そしてこれ等物質文明の進歩は,當然精神文明にもよい影響を與えないでは措かないのである.これ等はすべて科學の進歩のおかげであつて見れば,科學は人類に進歩をもたらすものとして禮讃せねばならぬ」科学の進歩が、ココロの進歩にも繋がることを願いながら、この推薦文を終わる。(門田裕志)

2005年12月25日 泉鏡花「海神別荘」の入力ご担当にお願い
泉鏡花「海神別荘」の入力をご担当いただいている方。

この作品の作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年12月18日 本庄陸男「石狩川」の入力ご担当にお願い
本庄陸男「石狩川」の入力をご担当いただいている方。

この作品の作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年12月07日 富ノ沢麟太郎「あめんちあ」、木下杢太郎「北原白秋氏の肖像」、岡本綺堂「魚妖」、関根金次郎「駒台の発案者・手数将棋」、菊池寛「将棋」、泉鏡花「星あかり」「妖怪年代記」、薄田泣菫「幽霊の芝居見」の入力ご担当にお願い
富ノ沢麟太郎「あめんちあ」、木下杢太郎「北原白秋氏の肖像」、岡本綺堂「魚妖」、関根金次郎「駒台の発案者・手数将棋」、菊池寛「将棋」、泉鏡花「星あかり」「妖怪年代記」、薄田泣菫「幽霊の芝居見」、の入力をご担当いただいている方。

これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしていますが、いまだ連絡を取り合うに至っていません。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年11月20日 青空文庫の本を出版
今年で8年目を迎えた青空文庫。いろんな問題にぶつかりながらも、今まで何とかよろよろと継続してきました。そして今回、その青空文庫の本を作りました。

『インターネット図書館 青空文庫』野口英司編著 はる書房 1500円
(DVD-ROM付き 4843作品収録)


なぜ、こんな本を改めて作ろうと思ったのかというと、ひとつは著作権の保護期間を70年へ延ばそうとする動きがあること。そして、そんな法改正の動きは、青空文庫のようなものを知らない限り、一般の人びとにとって関心事にはなり得ないと思ったこと。ふたつめは、青空文庫を始めてから8年が経過し、ほぼ同時期にスタートした季刊誌『本とコンピュータ』(トランスアート)が終刊したこともあって、ひとつの区切りが訪れたのではないかと思ったこと。

しかし、この本を作りはじめて気がついたのは、青空文庫が歩んできた軌跡を記述することよりも、著作権についての問題点を整理することよりも、青空文庫を築いてきた人たち、つまり作品を入力・校正をしてくれるボランティアの人たちに実際に会って取材することこそが、やはり青空文庫を知らしめる大きなポイントになるのではないかと思いはじめたことでした。

インターネットというツールがあって初めて、日本全国の人びとと簡単に繋がりを持つことが可能になり、会ったことはないけれども、その人の生活がどんなものかを知る由もないけれども、一つのプロジェクトを築き上げる一員になってもらうことができるようになったのです。でも、その人たちはどんな思いでこの青空文庫というプロジェクトに参加したのだろう? という思いはずっとわからないままでした。そこを取材することによって少なからず解き明かしていく。その部分がこの本のメインになっていったと言ってもいいかもしれません。

今回は、東京吉祥寺→千葉県八千代市→京都府京都市→大阪府池田市→東京渋谷→埼玉県新座市→神奈川県茅ヶ崎市の順番で取材を敢行しました。プラス、メールでのみの取材として、群馬県前橋市とニューヨーク。そこには、主婦、フリーターの人、理研に勤める人、京都大学の学生、青空文庫のために仕事を辞めちゃった人、大学の先生、定年退職した人など、実にさまざまな人が青空文庫には関わっていることがわかります。

もちろんインターネット上には、ネットでのコミュニケーションの取りにくい人たちが少なからず存在します。そういった人たちとメールや掲示板で会話を交わすのには気苦労が耐えません。けれど、そんな人たちでさえ、実際に会ってしまえば、今回の取材のようにみんな気持ちの良い人たちなんじゃないかと思えてくるほど、今回の取材は楽しいものでした。

大勢のボランティアを使った青空文庫という活動が正しいものかどうかはわかりません。著作権の保護期間が70年に延びることも一概に悪いことと断定できることではないかもしれません。しかし、こんな本を世に出すことによって、そういった活動が存在していることをまずはわかってもらえればと思ってます。(AG)

2005年10月31日 みずたまり運用停止のお知らせ
みずたまりを、今日いっぱいで閉じる。
「開いた」とお知らせしたのが、開館間もない1997年11月17日。
それから丸八年、親しんできた仕組みの、今日が最後の日だ。

「青空文庫に掲示板を」と提案し、使い方から題字、背景まで、一切をデザインしてくれたのは、当時呼びかけ人として関わっていた長谷川集平さんだ。
長谷川さんの御近所には、互助会感覚で設立された「EDO長崎」というプロバイダーがあり、掲示板はここに置かせてもらった。設置に際しては、システムの管理にあたっていた米田利己さんが動いてくれた。
米田さんには後に、呼びかけ人にもなっていただいた。
その立場からははずれ、「EDO長崎」もサービス停止と、状況が変化する中で、米田さんは www.edonagasaki.ne.jp における運用の継続に尽力してくださった。
長谷川さん、米田さんにまかせきりで、「EDO長崎」のその他の方々には、直接ご挨拶もせずじまいだった。
皆さん、今日まで、本当にありがとうございました。

あらためて振り返れば、みずたまりの果たしてくれた、大切な役割が思い起こされる。
入力、校正してまとめた著作権切れファイルを、どう使ってもらいたいかという点で、関わっている人の中には、考え方、感じ方の差があった。
意見が分かれたのは、商業利用も青空文庫にことわりなく、勝手に進めて欲しいと、先回りして言っておくか否かだった。
溝は深かったが、話し合いの中で「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」をまとめ、自分たちの側から「自由」を打ち出せた。
「規準」は、著作権切れファイルを、青空文庫の垣根を越えて社会に解き放つ、決定的な鍵となったと思う。

軽妙な筆致で、興味深い話題を提供してくれる常連さんが、人気者になった。
この場のやりとりから、新しい企画が生まれた。
厳しく、容赦ないけれど、フェアネスの枠からは踏み出さなかった論争も、記憶に残っている。

みずたまり開設のころには、数十単位だった収録作品は、今、5000に迫ろうとしている。
青空文庫の利用者も、掲示板をのぞく人もふえた。
工作員として作業に関わった人は、延べ700人近い。
中には、作業をやりとげられなかった人もいれば、嫌な思いを味わい、心にしこりを残した人も出てきた。
書き込みの敷居となる要素は設けず、「何でも書き込んでください。」と広く扉を開いたみずたまりでは、対処しにくい事態が生じるようになった。
毎日必ずみずたまりを開いてきた自分、必ず覗きにきたみんなの心が、「もう潮時」と折り重なってつぶやきはじめた気がして、「現システムの運用停止」を提案した。

みずたまりのデザインは、役目を果たし、役目を終えた。
明日からは少し寂しくなるが、青空文庫にはまだ、役割が残っている。
道の途上で必要と再確認されれば、組み立て直す日はきっとくる。
この旅はまだ、終わらない。(倫)

2005年10月02日 鈴木三重吉「黄金鳥」「湖水の女」、宮沢賢治「風野又三郎」の入力ご担当にお願い
鈴木三重吉「黄金鳥」「湖水の女」の入力をご担当いただいている方。
宮沢賢治「風野又三郎」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。

これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年08月14日 泉鏡花「海異記」「朱日記」「妖術」「吉原新話」、「雪霊記事」「雪霊続記」「旅僧」「雪の翼」の入力ご担当にお願い
泉鏡花「海異記」「朱日記」「妖術」「吉原新話」の入力をご担当いただいている方。
泉鏡花「雪霊記事」「雪霊続記」「旅僧」「雪の翼」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。

これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達、もしくは連絡を取り合うことができませんでした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年07月21日 夢野久作「骸骨の黒穂」「黒白ストーリー」「涙のアリバイ」「眼を開く」、夏目漱石「子規の画」「僕の昔」の校正ご担当にお願い
夢野久作「骸骨の黒穂」の校正をご担当いただいている方。
夢野久作「黒白ストーリー」の校正をご担当いただいている方。
夢野久作「涙のアリバイ」「眼を開く」の校正をご担当いただいている方。
夏目漱石「子規の画」「僕の昔」の校正をご担当いただいている方に、申し上げます。

これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達、もしくは連絡を取り合うことができませんでした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年07月19日 第二期むしとりあみ閉鎖
 第二期むしとりあみが始動してから、本日でちょうど1年となります。その間におよそ180の指摘がよせられ、うち100弱について「修正します」のハンコが押されました。修正作業は人員不足もあって、一旦閉鎖してからでないと困難なため、むしとりあみの活動期間があまり長期にのぼると、いつまでも指摘済みの項目が修正できないことになってしまいます。そこで、きりのよい再開1周年の本日をもってむしとりあみを閉鎖し、ふたたびファイル修正期間に移行しようと思います。
 修正について、前回は協力者をつのって作業をしましたが、詳細は青空文庫メーリングリストで話し合いの上、あらためて告知します。次期むしとりあみの再開時期については未定ですが、これも今回の運営・活用された内容に鑑み、メーリングリストで今後のあり方を議論した上で、みなさんにお知らせしたく思います。なお、今回のむしとりあみも前回に同じく、閉鎖中も閲覧ができますが、書き込みはできません。よろしくご容赦下さい。(むしとりあみ行司一同)

2005年07月05日 蘭郁二郎「夢鬼」の入力ご担当にお願い
蘭郁二郎「夢鬼」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
作業を引き継げないかとのお申し出でを受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールを送りましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年07月04日 福沢諭吉訳「アメリカ独立宣言」
 本日、福沢諭吉訳「アメリカ独立宣言」が公開された。

 「アメリカ独立宣言」は、1971年7月4日、生まれてまもないインターネット(の原型)に現れた、最初のパブリック・ドメインのテキストです。そしてこの7月4日は、プロジェクト・グーテンベルクの誕生日でもあります。プロジェクト・グーテンベルクは、イリノイ大学のコンピュータ・ルームに入り浸っていた学生、マイケル・S・ハートが、この「独立宣言」を入力し、公開したことを始まりとします。《ネットワークを通じて、本を誰でも利用できるようにすること》を理念として、現在約16000の電子テクストと400の音訳ファイルを有し、ボランティアの手によってなおも増え続けています。このプロジェクト・グーテンベルクが、3日後8歳の誕生日を迎える青空文庫のモデルになっています。

 一方、この福沢諭吉訳「アメリカ独立宣言」が収められたのは、1866(慶応2)年に刊行された『西洋事情』。福沢が幕府の通訳として洋行して、その帰国後、日本の人々にまだ見ぬ《西洋》なるものを知らしめるために書いたものです。西欧の各国の政治・文化などを詳しく、わかりやすく説明していて、これによって多くの人の前に《海のあなたの遥き国》がくっきりと現れ、幕末の思想に多大な影響を与えました。当時、この本は飛ぶように売られ、あまたの海賊版が乱造されたことでも有名です。

 どちらも新しい時代の到来を告げた大きな出来事でしたが、同時に《著作権》の問題を浮き彫りにした点でも、両者は一致しています。著作権法による保護期間延長の動きが見られる今、よりいっそうの論議が深まることを願ってやみません。

 マイケル・ハートと福沢諭吉に敬意を表して。(U)

2005年05月12日 岡本綺堂「修禅寺物語」、鈴木三重吉「千鳥」、黒岩涙香「血の文字」「無惨」、甲賀三郎「青服の男」「蜘蛛」「黄鳥の嘆き」「琥珀のパイプ」「支倉事件」、小酒井不木「痴人の復讐」「闘争」、長田秀雄「歓楽の鬼」、小栗風葉「世間師」、真山青果「茗荷畑」の入力ご担当にお願い
岡本綺堂「修禅寺物語」、鈴木三重吉「千鳥」、黒岩涙香「血の文字」「無惨」、甲賀三郎「青服の男」「蜘蛛」「黄鳥の嘆き」「琥珀のパイプ」「支倉事件」、小酒井不木「痴人の復讐」「闘争」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの入力を引き継げないかとのお申し出でを受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールを送りましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

合わせてご担当いただいている、長田秀雄「歓楽の鬼」、小栗風葉「世間師」、真山青果「茗荷畑」に関しても、一ヶ月後の入力取り消しを念頭において、同様におたずねします。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年04月14日 「自分の作品を登録する」の文言を変更
「青空文庫早わかり」「自分の作品を登録する」にこれまでは、以下のように掲げてきた。
「自分の作品を登録したい」と思われた方は、まず、「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」を参照してください。

作品を読み、登録に問題はないかを判断し、公開に向けて準備を整えることは、私たちにとってきわめて大きな作業です。
著作権の消滅した作品に関する多くの作業を抱える中で、お申し入れいただいてから収録に至るまで、現在、きわめて長い間お待たせしています。
この点、あらかじめお含みおき下さい。

登録の実態と、この作業にあたってきた呼びかけ人の抱える問題を、より率直に示したいと考え、この文言を次のように変更した。
青空文庫は、著作権の保護期間を過ぎた作品の電子化に加えて、「書き手自身が「対価を求めない」と決めた作品」の収録を目標に掲げて出発しました。

収録に向けた手続きは、「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」に示し、対応の実務は、呼びかけ人グループが担当してきました。
しかし、著作権切れ作品の電子化の作業が、幅広い人達の協力を得て大きく膨らんでいく一方、収録規準に照らした作品の「評価」に、時に難渋する中で、呼びかけ人はしだいに、この作業に、大きな困難を感じるようになりました。

現在では、著作権有効な作品の登録は、実質的に休止状態にあります。

今後、この目標にどう取り組むべきか、著作権有効な作品の登録をいったん停止する旨、宣言することも含めて、検討していきたいと考えています。

現役の書き手との出会いを、私たち呼びかけ人は楽しんできた。
優れた作品、気持ちの良い作品を、何度も、喜びと誇りをもって紹介してきた。

その一方で、理解しがたい原稿や、モデルとされた人をおとしめているものの登録を断り、判断に迷うケースに繰り返しとまどってきた。
「なぜ、このような差別的な作品を収めているのか」と、登録を決めた者としての責任を問われたことがある。
登録を、あくまで求め続けられることも、経験した。

登録するか否かの最終判断は、責任を自覚し、覚悟をもった誰かが行わざるを得ないと、痛感するようになった。
大きく育った協力の環の中で積み上げられていく、著作権切れ作品の電子化と、特権的な「選定者」を求める現役作家の作品登録を並行して進めることが、妥当なのか、迷うようになった。

このためらいは、もちろん、現在の呼びかけ人が抱いているものだ。
別の考え方や、手だてはあるだろう。
青空文庫メーリングリストを中心に、今後の進め方を、話し合っていきたいと考えている。(倫)

2005年04月03日 宮沢賢治「ツェねずみ」菊池寛「納豆合戦」を校正待ちに、夢野久作「犬神博士」横光利一「寝園」幸田露伴「五重塔」矢田津世子「仮面」を入力取り消しに
校正中としてきた、宮沢賢治「ツェねずみ」(新字新仮名)、菊池寛「納豆合戦」(新字新仮名)を、校正待ちに変更しました。
入力中としてきた、夢野久作「犬神博士」(新字新仮名)、横光利一「寝園」(新字新仮名)、幸田露伴「五重塔」(新字新仮名)、矢田津世子「仮面」(新字新仮名)を、入力取り消しに変更しました。
これらの作品には、どなたでも、新たに取り組んでいただけます。(倫)

2005年03月25日 小栗虫太郎「二十世紀鉄仮面」の入力ご担当にお願い
小栗虫太郎「二十世紀鉄仮面」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
この作品の入力を引き継げないかとのお申し出でを受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールを送りましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年03月22日 太宰治「ダス・ゲマイネ」、太宰治「新郎」、太宰治「I can speak」「きりぎりす」「十五年間」「東京八景」「灯篭」、森鴎外「なかじきり」「空車」の入力ご担当にお願い
太宰治「ダス・ゲマイネ」。
太宰治「新郎」。
太宰治「I can speak」「きりぎりす」「十五年間」「東京八景」「灯篭」。
森鴎外「なかじきり」「空車」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの入力を引き継げないかとのお申し出でを受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールを送りましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年03月21日 新美南吉「うた時計」、岡本綺堂「停車場の少女」、岡本綺堂「三浦老人昔話」、海野十三「空中墳墓」「壊れたバリコン」「殺人の涯」「断層顔」「電気看板の神経」「電気風呂の怪死事件」「ネオン横丁殺人事件」の校正ご担当にお願い
新美南吉「うた時計」の校正をご担当いただいている方。
岡本綺堂「停車場の少女」の校正をご担当いただいている方。
岡本綺堂「三浦老人昔話」の校正をご担当いただいている方。
海野十三「空中墳墓」「壊れたバリコン」「殺人の涯」「断層顔」「電気看板の神経」「電気風呂の怪死事件」「ネオン横丁殺人事件」の校正をご担当いただいている方に、申し上げます。

これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

新美南吉「うた時計」の校正をご担当いただいている方には、夢野久作「支那米の袋」の校正に関しても、同様におたずねいたします。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年03月16日 紫式部著、与謝野晶子訳「源氏物語」公開完了
「光の君再興プロジェクト」での公開開始から約2年、紫式部著、与謝野晶子訳「源氏物語」全54帖が、本日、公開完了となりました。次の世代へと手渡していく大きな財産が、またひとつ青空文庫に加わりました。
とりまとめ役を引き受けてくださったkompassさんをはじめ、プロジェクトに加わっていただいたみなさんから、完成を祝うコメントをいただいています。みなさん、ありがとうございました。これからも、どうぞよろしくお願いします。
では、みなさんからのコメントをどうぞ。(LC)

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本日、与謝野晶子訳「源氏物語」54帖のうち最後の「夢の浮橋」を公開する。「光の君再興プロジェクト」では与謝野源氏の全公開を目指し共同で校正を進めていた。2003年4月21日に「桐壺」「帚木」を公開して約2年、プロジェクト完了の日を迎えることができた。プロジェクトに参加した鈴木さん、小林さん、砂場さん、jukiさん、門田さん、伊藤さん、kumiさん、柳沢さん、高橋さん、多羅尾さん、本当にありがとうございました。
いろんな試みがあった。このプロジェクトは複数の校正者で作業を行った、そのため共同作業場としてグループウェアを利用した。それまで世話役で行っていた形式整備も校正者にお願いした。一つの作品に二人で校正を担当したこともあった。不適切表現についての処理方針の提案も行った。このような試みは今後の共同作業の参考になればと思う。
 きっかけをつくってくれた世話役の方々、スクリプトを書いた大野さん、そして入力済テキストの利用を許可していただいた「古典総合研究所」の上田さんにも感謝の言葉を捧げたい。ありがとうございました。
 著作物の自由な再利用を認めることは、著作権法の目的である「文化の発展に寄与すること」に他ならない。今回公開したテキストも、今後多くの方々に利用していただき、誤植等の指摘を通じてより完全なテキストとならんことを祈っている。(kompass)

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大昔からのベストセラー、源氏物語の現代語訳の完結おめでとうございます。
与謝野訳に飽き足らない方は、源氏物語の世界で原文を読んでみましょう。電子上で読み比べるのも一興でしょう。与謝野晶子「六日間」には、与謝野晶子が源氏を翻訳していた頃のことが出てきます。約一世紀を経て、世界中で読めるようになるとは、与謝野晶子も思っていないことと思います。電子化されたことによって、次の一世紀後にも読むことが出来る可能性が大きくなったことが純粋にうれしいです。(門田裕志)

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皆さん大変お世話になりました。

光の君再興プロジェクト完成おめでとうございます。やっと完了いたしましたね。

校正を通じて改めて源氏物語を読み直す機会となり、私にとってもよい勉強になりました。

また、最後にきて私が手元で温めてしまい思いの外完成まで時間をとらせてしまい申し訳なく思っています。m(_ _)m
みなさまのご活躍をお祈りいたします。

ちょっと仕事が落ち着いたら校正活動を再開していきたいと思います。(柳沢成雄)

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56年前の教科書に『桐壺』が載っていました。が古文担当の教師がいなかった。仕方なく自分で読もうと古語辞典片手に悪戦苦闘したが数週間で挫折。以来こりゃ難解だと思って避けて来ました。今回のプロジェクトに参加させてもらって、56年かかってようやく全巻読み終えたことになります。現代語で気楽に読めるというのはいいですね。多くの人が読んでくれると嬉しいのですが。(伊藤時也)

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諸事情により途中で降板したのですが、手元には書籍という接点、ネット上にももう一つ接点ができました。
少しだけかもしれませんが、源氏物語との距離が近付いたような気がします。
上田さん、校正を担当された皆さん、お疲れさまでした。 (Juki)

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通常は一人で行う入力や校正と違って、プロジェクトの仲間と相談しながらの作業はとても新鮮で楽しいものでした。皆さんも楽しく読んでもらえると嬉しいです。(鈴木厚司)

2005年03月04日 森鴎外「文づかい」「普請中」「花子」「興津弥五右衛門の遺書」「冬の王」「雁」を、「入力取り消し」に
2004年12月27日の、そらもよう告知を受けて、これまで「入力中」としてきた森鴎外「文づかい」「普請中」「花子」「興津弥五右衛門の遺書」「冬の王」「雁」(すべて新字新仮名)を、「入力取り消し」とします。

「入力取り消し」となった作品には、新たに別の方に取り組んでいただけます。
皆さん、よろしくお願いいたします。(倫)

2005年03月04日 夢野久作「犬神博士」、横光利一「寝園」、幸田露伴「五重塔」、矢田津世子「仮面」の入力ご担当にお願い
夢野久作「犬神博士」の入力。
横光利一「寝園」の入力。
幸田露伴「五重塔」(新字新仮名)の入力。
矢田津世子「仮面」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
作業期間が長期にわたっていることを踏まえ、進捗状況とお気持ちの確認のためにメールを送りましたが、ご意志の確認にいたっていません。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、現在「入力中」としているこれらを、「入力取り消し」とします。(倫)

2005年03月03日 萩原朔太郎「青猫」他、有島武郎「描かれた花」他の校正ご担当にお願い
萩原朔太郎「青猫」「純情小曲集」「装幀の意義」「蝶を夢む」「月の詩情」「ニイチェに就いての雑感」生田春月「聖書」有島武郎「聖書の権威」内村鑑三「聖書の読方」太宰治「パウロの混乱」横光利一「黙示のページ」戸坂潤「デカルトと引用精神」の校正をご担当いただいている方。
有島武郎「描かれた花」藤島武二「画室の言葉」横光利一「詩集「花電車」序(北川冬彦詩集)」岸田劉生「美術上の婦人」の校正をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしておりますが、ご意志の把握に至っていません。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年03月02日 萩原朔太郎「僕の孤独癖について」、宮沢賢治「ツェねずみ」、菊池寛「納豆合戦」の校正ご担当、島崎藤村「若菜集」の校正ご担当にお願い
萩原朔太郎「僕の孤独癖について」、宮沢賢治「ツェねずみ」、菊池寛「納豆合戦」の校正をご担当いただいている方と、島崎藤村「若菜集」の校正をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしておりますが、ご意志の把握に至っていません。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年02月17日 宮沢賢治「とっこべとら子」「紫紺染について」「祭りの晩」「なめとこ山の熊」の入力ご担当にお願い
宮沢賢治「とっこべとら子」「紫紺染について」「祭りの晩」「なめとこ山の熊」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの入力を引き継げないかとのお申し出でを受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールを送りましたが、不達でした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。

作業の継続が難しくなった際は、どうぞお気軽にreception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(倫)

2005年01月11日 エドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルスン」「メールストロムの旋渦」、太宰治「もの思う葦」他の入力ご担当にお願い
エドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルスン」「メールストロムの旋渦」の入力をご担当いただいている方、太宰治「もの思う葦」「碧眼托鉢」「悶悶日記」「思案の敗北」「かすかな声」「一日の労苦」「一歩前進二歩退却」「富士について」「正直ノオト」「容貌」「食通」「一問一答」「天狗」「芸術ぎらい」「わが半生を語る」「小志」「かくめい」「小説の面白さ」「徒党について」の入力をご担当いただいている方に、申し上げます。
これらの作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしておりますが、ご意志の把握に至っていません。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、今回申し入れてくださった方に引き継いでいただこうと思います。(倫)

2005年01月01日 著作権保護期間の70年延長に反対する
相馬愛蔵「私の小売商道」、岸田国士「時 処 人」を公開する。
相馬は、新宿中村屋の創業者。「私の小売商道」には、商いの近代化を強く意識しながら歩んだ彼の、複数の著作がまとめられている。
劇作家、小説家の岸田は、ジュール・ルナールの「にんじん」の訳者としても知られる。女優、岸田今日子は娘。「時 処 人」は、1954年元旦の「日本経済新聞」に掲載された年頭所感で、岸田はこの年の3月5日に没した。
相馬愛蔵もまた、同年2月14日に死去している。

そこから、満50年を過ぎて迎える、今日は新しい年の始まり。
二人の著作権は、昨日で切れた。
彼等の作品は、誰もが自由に利用できる、公有のものとなった。

【保護期間延長と青空の行方】

日本の著作権法は、著作者に与える特別の権利を、作者の死後50年間保護すると定めている。
より細かくは、満50年が過ぎた年いっぱい保護期間が続き、翌年の1月1日で切れる。
この間は、著作権をもっている人の許しがなければ、作品を複製できない。インターネットでの公開にも、許諾がいる。だが、権利が切れた後は、誰もが自由に複製し、インターネットで公開できる。
2004年の相馬愛蔵、岸田国士に続き、2005年中に満50年を迎えるのは、坂口安吾、下村湖人、豊島与志雄など。相馬愛蔵夫人で、夫との共著もある相馬黒光の権利も、今年いっぱいで切れる。
「作業中の作品」をみてもらえれば、2006年1月1日の公開を目指して、青空文庫ではすでに、600をこえる彼等の作品の作業が進んでいることがわかる。

元旦は青空文庫にとって、新しい作家を迎える節目だ。
だが、数年後からその後20年間にわたって、私たちは、著作権切れの作家を迎えられなくなる可能性が出てきた。
保護期間を、これまでの死後50年から、70年に延長しようとする動きがみえてきたからだ。
これが実現し、万が一、すでに保護期間を終えた作家にまでさかのぼって70年が適用されれば、青空文庫のリストからは、太宰治、新美南吉、中島敦、島崎藤村、泉鏡花、原民喜、斎藤茂吉、海野十三、峠三吉、堀辰雄、折口信夫、中里介山、小熊秀雄、織田作之助、黒島伝治、横光利一、宮本百合子、与謝野晶子、林芙美子などが、いったん消えることになる。

国立国会図書館は、所蔵する著作権切れ作家の書籍を画像化し、インターネットで公開する、近代デジタルライブラリー・プロジェクトを進めている。
延長が現実のものとなれば、この試みも制約される。

皆が自由に利用できるようになった作品を電子化し、インターネットで参照できるようにする試みには、まず、言葉による表現の世界で弾みがついた。やがて、音楽や映像の領域でも、成果が積み上げられていくだろう。
そうした試みによって、私たちが自由に仰げるようになる「青空」は、保護期間の延長で、確実に狭くなる。

【著作権制度の目指すもの】

青空のぬくもりは、誰もが共に味わえる。
一人があずかって、その恵みが減じることはない。
万人が共に享受して、何ら不都合がない。

著作権法が保護の対象とする、創作的な表現にも、万人の共用を許す「青空」としての性格がある。
すでに生み出された表現を分かち合うことに焦点を絞れば、あらためて著作権制度を用意する必要はないはずだ。
自由な共用に任せておけば、それでよい。それがよい。

だが、私たちは、過去に積み上げられた表現を、ただ味わうだけの存在ではない。過去の蓄積に学んで自らを育むと同時に、新しい何かを生み出そうとする主体でもある。
もちろん、高い評価を受けたり、後世に伝わる作品を残せるのは、私たちのごくごく一部でしかない。だが、つくることへの思いは、誰の胸にも育つ。
表現する人に特別の権利を認め、生み出した作品で生活を成り立たせる可能性を示しておくことは、つくることに向かう、私たちの心の励ましとなりうる。

期限を定めてつくった人に特権を認め、その後は、誰もが自由に利用できるようにするという著作権制度の構えは、積み上げられたものを広く分かち合うと同時に、表現の火を、今以降も燃やし続ける仕組みとして、私たちの社会にとって、有益なものと考える。
分かち合うことも価値。つくりだすことも価値。
相反する要素をもつ、二つの価値のバランスのとりどころである保護期間を、日本の著作権法はこれまで、作者の死後50年と定めてきた。
これを、20年延長し、70年とする検討が、文化庁ではじまった。
ここまで、誰が、どこで、どんな検討を進めてきたのかを、「青空の行方/なにゆえの著作権保護期間70年延長か」と題して、aozora blogにまとめておいた。

【保護期間延長がもたらすもの】

リンク先でも示したとおり、延長を巡る今回の動きは、少なくとも表面的には、日本音楽著作権協会(JASRAC)が文化庁に寄せた、要望からはじまっている。
そこに盛り込まれた三項目からなる提案理由を、文化庁のページから引き、検討を加える。

1 文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである。

提案者が、延長の根拠としてあらためて示す「創作者の権利を保護し、新たな創造を促進」することは、著作権法の意図そのものだ。
そのために、この法はつくられ、ここまで運用されてきた。
保護期間は、作者の死後50年にわたって、すでに認められてきたのである。
提案者は、これをさらに延ばせば、つくる人はより大きな励ましを得て、創造が促進されるというのだろう。
50年よりも70年。ならば、70年をさらに延ばせば、それだけ創造への意欲は高まるというわけか。

私事にわたるが、筆者は書くことを志したことがある。契約を結び、本を出した。乏しいキャリアだが、つくろうと試みたことだけはある。
その経験に照らせば、少なくとも著作者個人にとって、つくることはまず何より、自らが今、生きてあることの証を立てることだ。
いのちの火が消えて、50年。そこからさらに、保護期間を20年間延長してやろうと言われて、つくることに向かうどんな心が励まされるか。
私には、想像の手がかりすらもつかめない。

2 「知的財産戦略の推進」を国策としている我が国は、著作権保護のあり方について国際間の調和を図るべきである。

こう述べる提案者が、調和を図る相手として想定しているのは、EUとアメリカである。

1993年10月、EUは、保護期間を作者の死後70年とする方針を打ち出した。
続いてアメリカが、この動きを追った。
同国ではそれまで、個人の著作物の保護期間は、作者の死後50年、法人のそれは公表後75年(もしくは創作後100年の、どちらか短い方)と定められていた。それが、1998年制定の著作権保護期間延長法(Copyright Term Extension Act)によって、それぞれ70年と、95年(もしくは創作後120年の、どちらか短い方)にあらためられた。
この動きを今後の著作権制度の先駆けととらえ、提案者はこれに追随せよと求める。だが、保護期間の延長は、事実、確乎たる国際的な潮流となっているのだろうか。
判断材料として、そもそもの出発点となったEUの新しい動きを紹介したい。

著作権、著作隣接権をめぐる法的枠組みの見直し事項に関して、2004年7月19日付けでまとめられた欧州委員会の報告書は、保護期間のさらなる延長に歯止めをかけた点で、注目に値する。
1993年10月のEU指令は、著作権の保護期間を作者の死後70年間と定めたが、著作隣接権に関しては、保護の開始から50年とするにとどめていた。これに対し、EU内の一部からは、後者の延長を求める声があがっていた。
CTEAによって、アメリカでは商業用レコードが発売後95年間保護されるようになったことを受けて、同様の延長を図らなければ、ヨーロッパの音楽制作者と音楽産業が、不利益を被るとの主張がなされたと、報告書は指摘している。
これに対しては、現状維持を主張する強固な反対論があった。延長すれば、ごく少数のベストセラーによって売り上げを確保する傾向に拍車がかかり、新しい作品の録音や、新たなる投資への意欲を減ずることになる。また、アメリカを例外として、ほとんどすべての先進国は、著作隣接権の保護期間を50年としている。EUにおける世論や政治状況は、保護期間の延長を支持していないと思われる。さらに、保護期間の短縮を求める声も存在することなどをあげた上で、報告書は、保護期間の延長の機は、熟していないと結論付けた。

CTEAは、アメリカ国内でも論議の的となったことも付け加えておきたい。
著作権切れの書籍を電子化して公開するプロジェクトを進めるエリック・エルドレッド等は、同法が合衆国憲法に違反するとの訴えを起こした。2003年1月15日、連邦最高裁によってこの訴えは退けられたが、ステファン・ブレヤー判事とジョン・ポール・スティーブンズ判事は、20年延長を憲法違反とする反対意見を付した。
「CODE」「コモンズ」などの著作で知られ、この裁判で原告代理人もつとめた法学者のローレンス・レッシグらは、保護期間延長への批判と抵抗を、今も続けている。

3 我が国のコンテンツ創造サイクルの活性化と国際競争力の向上を図るべきである。

日本の著作権法は、第一条で、法の目的を「文化の発展に寄与すること」と示している。
提案者が3で想定する、コンテンツ産業という特定分野の競争力強化といった次元に、著作権法の狙いはない。
より深い、社会の根本的な組み立てに関わろうとするのが、著作権制度の本願である。

著作権制度という天秤の片側には、著作権がのる。
もう一方に置くべき、誰もが容易に表現に触れられる自由を、ここでは仮に、文化享受権と呼んでみる。
文化享受権には、日本国憲法に保証された「幸福追求」の権利、「思想及び良心の自由」「表現の自由」「学問の自由」「教育を受ける権利」などが深く関わる。
先人の著作物に、広く、容易に触れられることの保証なくして、憲法に明記されたこれらの権利と自由は、実効性のあるものとはなりえない。

著作権保護期間の延長は、憲法が「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に」与えると約束している、基本的人権を制約しかねない。
こうした社会の根幹に関わる問題に、特定産業の国際競争力強化を目的として変更を加えることは、許されないと考える。

【著作権保護期間の70年延長に反対】

著作権法の目的は、「文化の発展に寄与すること」にある。
著作者の権利保護は、これを実現するための手段である。
法はこれに加えて、「公正な利用の促進」という、文化享受権にそったもう一つの手段を、同時に示している。
著作権制度の要諦は、権利の保護と、公正な利用の促進という二つの手段を、どうバランスさせるかという点にある。

このバランスを、権利保護を強化する方向で取り直そうとする者に、私たちは同意しない。
ただし、社会構造に大きな変化があれば、バランスを見直すこと自体は、必要になるだろうと考える。
8年目に入った青空文庫の体験を通じて、保護期間について、育ってきた思いもある。

保護期間を50年に限り、以降は誰もが自由に利用できるようにするという著作権の定めは、率直に言って、長く空念仏に終わってきたと思う。

紙の本は、晴眼者にとっては、大変に良くできた作品の器だ。
電子出版に親しんだ後は、余計にその素晴らしさが痛感される。
だが、「なんと贅沢な」との思いもまた、これを手にして、時にわいてくる。
これだけのものをつくりあげるには、当然大きなコストがかかる。保護期間を過ぎ、定価の10%程度の著作権料を払わなくてすむようになったからと言って、こんな贅沢をしていたのでは、本の値段を大きく引き下げることは不可能だ。
作品をおさめる器として、高コスト体質の紙の本しか選べなかったこれまで、著作権切れは、本の値段の引き下げにつながらなかった。
「公正な利用」を促すてことして、権利を切ることは、機能してこなかった。

だが、インターネットは、言葉による作品の器に、もう一つの選択肢を与えた。
電子ファイルである。
つくること、たくわえること、送りとどけること。
ファイルを選べば、これらすべてのステップで、劇的なコスト削減効果が発揮される。
ボランティアが、図書館のまねごとに挑戦する可能性すら、開ける。
組織も、財政的な基盤ももたない青空文庫が、著作権が切れたその日に、公有となった作品をインターネットで公開することができる。

インターネットを得て、著作権を切ることははじめて、実効性のある仕組みとして機能しはじめた。
そうなった今、著作権と公正な利用の促進のバランスを取り直すのであれば、行うべきはむしろ、保護期間の短縮ではないかと考える。
どこまで著作者の励ましとなるか疑わしい、長期の保護期間を設定するかわり、著作権を早めに切って、より素速く、より多くの作品をデジタル・アーカイブに送り込んでやれば、社会の文化的な基礎は、確実に太くなる。

青空文庫呼びかけ人は、そう考える。
よって、著作権保護期間の70年延長に反対する。
その意思を示すために、本日からトップページに、延長反対のロゴを掲げる。(倫)


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