1999年12月31日
1900年代の終わりの日に、
内村鑑三の『後世への最大遺物』を登録する。入力はゆうきさん、校正は吉田亜津美さんが担ってくださった。

本作品は、内村による講演の記録である。
1894(明治27)年7月、日清戦争の勃発を目前に控えて、箱根山上、芦ノ湖の畔で開かれたキリスト教徒夏期学校において、内村は人の胸に自ずからわき上がる、ある〈希望〉について語った。
内村は願うという。
「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない…私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである」
では、私たちは何をこの世に遺そうか。
金、ただし社会が活用しうる清き金か。それは大切だ。田地に水を引き、水害の憂いをのぞく、土木的な事業か。それはもっと大切だ。書いて思想を遺すこと。教育に当たって未来を担う者の胸に思想の種をまくこと。これらもまた、遺すべき価値あるものである。
けれど、金や事業や思想を遺すことは、誰にでもなし得る業ではない。これらはまた、「最大遺物」でもないと、内村は言う。
ならば「最大遺物」とは、果たして何なのか。
キリスト教徒たる内村はこれを、「勇ましい高尚なる生涯」「この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである」と言う。
信仰を持たない私にも、自分という存在は、先人が遺した大いなるものに育まれてこそここにあるという自覚と感謝がある。歴史の基調は、失望にあるか希望にあるかと問われれば、疑いなく「希望にある」と答える。あえて「愛」という言葉を用いるなら、私はこの社会を愛している。そしてこの世を去るときには、かけらほどでも何かを、社会に遺していきたいと願う。
「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」
内村が引く、イギリスの天文学者、ウィリアム・ハーシェルの言葉は、私の胸にとどまって私自身の願いとなる。

対価を求めない働きに支えられた、テキスト共用の試みを、「斬新」や「特殊」、「新奇」と評価されることがある。「率直に言って、ただ働きの気持ちが分からない」と質されたことも、二度や三度ではない。
だが、私たちを突き動かしている衝動は、歴史の中で、繰り返し繰り返し人の胸にわき上がってきたものではないだろうか。
私たちがいただこうとする青空は、きっと、常に世の人の頭上にあったはずだ。

心からの感謝を込めて、皆さん、良いお年を。(倫)



1999年12月30日
 tatsukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 十五夜御用心』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年12月29日
大久保友博さんの翻訳で
『アンデルセン童話集』を登録する。数多いアンデルセン童話の中から、「マッチ売りの少女」「おやゆび姫」「はだかの王さま」の三篇をおさめている。
大久保さんは、現役の高校生。これまで、シャーロック・ホームズ物『ボヘミアの醜聞』『赤毛連盟』の二篇の翻訳作品が青空文庫に登録されている。今回は趣向を変え、懐かしい童話の翻訳に取り組んで下さった。親から子へと読み継がれてきた童話が、若い世代の新しい感覚によって生まれ変わるのも、インターネット時代の醍醐味と言えるだろう。
誰もがいちどは読んだことのある童話だけれど、細かい部分などは、意外と思い出せないものだ。たとえば、「マッチ売りの少女」の舞台となったのは、クリスマスの日?それとも大晦日? おやゆび姫が生まれたチューリップの花は、どこに咲いていた?(正解は、『アンデルセン童話集』でどうぞ)
冬の一日、かつて読んだ童話を、もういちど読み返してみるのも楽しい。当時は気付かなかった、新たな発見があるかもしれない。お子さんに読んであげるのも、また良し。
そんなことを願いながら、この小さな童話集をお届けする。(LC)



1999年12月28日
 tatsukiさんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 村正騒動』を登録する。校正はJukiさんです。(AG)



1999年12月27日
 tatsukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 むらさき鯉』を登録する。校正はおのしげひこさんです。(AG)



1999年12月26日
 鈴木厚司さんが入力された
岡本かの子『家霊』を登録する。校正は渥美浩子さんです。(AG)



1999年12月23日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『文芸と道徳』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年12月22日
 もりみつじゅんじさんが入力された
島崎藤村『伸び支度』を登録する。校正は柳沢成雄さんです。(AG)



1999年12月21日
 tat_sukiさんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 身代わり花嫁』『右門捕物帖 耳のない浪人』を登録する。校正は、両作品ともはやしだかずこさんです。(AG)



1999年12月20日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『老ハイデルベルヒ』『誰も知らぬ』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年12月18日
 山田豊さんが入力された
夏目漱石『變な音』(旧字・旧仮名遣い)を登録する。校正はJukiさんです。(AG)



1999年12月17日
 村田拓哉さんが入力された
太宰治『逆行』『列車』(すべて新字・新仮名遣い版)を登録する。校正は青木直子さんです。(AG)



1999年12月16日
 今中一時さんが入力された
泉鏡花『国貞えがく』を登録する。校正は青木直子さんです。(AG)



1999年12月15日
 山根鋭二さんが入力された
武田麟太郎『釜ケ崎』『日本三文オペラ』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年12月14日
 紅邪鬼さんが入力された
島崎藤村『藁草履』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年12月13日
きょうから、トップページに新しいバナーが仲間入りした。
グーテンベルク21のバナーである。ご存じの方も多いと思うけれど、グーテンベルク21は、翻訳物の文学作品を中心に販売している電子出版社。懐かしい翻訳作品が、お手頃な価格のエキスパンドブックで手に入る。メディアは、これまではフロッピーディスクが中心だった。

10月のある日、ネットを散歩していた私は、たまたま、グーテンベルク21の『モンテ・クリスト伯』予約受付ページを見つけた。長篇作品を分割し、連載の形で、毎週メールで届けてくれるという。しかも、テキストファイル、HTMLに加えて、T-Time専用形式であるTTZ形式のファイルが、初めて登場している。手間のかかる長期連載なのだけれど、価格設定はハードカバーの新刊並み。ためらうことなく、その場でTTZ版を予約した。いわゆる「衝動買い」だ。
日頃の私は、電子本と名のつく本を買うとき、「理屈で」買う傾向がある。これまでは、この作者の本だから、とか、イベントで内容の説明を聞いて興味を持ったから、というようなきっかけがほとんどだった。「衝動買い」と感じたのは、今回が初めてだ。申し込みをすませた後、「電子本をネットで衝動買いする時代になったのだなぁ」と、妙に感慨深かった。
連載第1回のメールは、「HONCO on demand」の発売日と同じ11月11日に届いた。紙でもデジタルでも、長篇を読み通すには根気が必要だけれど、連載の1回分は、気軽に読める分量になっている。長篇を分冊にして毎週届けるというかたちは、デジタルだからこそ、比較的簡単に実現できた試みだろう。グーテンベルク21では、『モンテ・クリスト伯』に続き、バナーにも登場している第二弾『チベット旅行記』の配信を、年明け早々に開始するとのこと。予約は既に開始され、内容見本も読める。第一弾とはがらりと趣向を変え、明治時代の僧によるチベットの見聞記という、珍しい本である。

電子本には、紙の本では難しい、さまざまな新しいかたちがある。青空文庫のように、本を無料で広く開放していく途もそのひとつだし、商品としての本をひっさげて、新しい市場にチャレンジしていく途も、もちろんある。いろいろな内容の、いろいろなかたちの本が登場してきて、思わず衝動買いが度重なるようになってくれば、きっと楽しいだろうと期待している。
『モンテ・クリスト伯』の長丁場の連載は、まだ序盤の段階。しばらく、のんびりとつきあっていこう。(LC)



1999年12月13日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 金の蝋燭』を登録する。校正はしずさんです。(AG)



1999年12月11日
 紅邪鬼さんが入力された島崎藤村『
並木足袋』を登録する。校正は、「並木」が伊藤時也さん、「足袋」が富田倫生さんです。(AG)



1999年12月10日
 紅邪鬼さんが入力された
島崎藤村『旧主人』を登録する。校正はTomoko.Iさんです。(AG)



1999年12月9日
オー・ヘンリー著、結城浩訳
『賢者の贈り物』を登録する。
本訳稿は、プロジェクト杉田玄白の正式参加作品。ということは、また黙ってぱくってきたのかというと、今回はちと違う。結城さんから登録の打診を受け、当方でエキスパンドブック版を作り、公開ファイルの一バージョンとして加えていただいた。こうした形で、プロジェクト杉田玄白の成果と結びあえることを、少なくとも私はありがたく思う。山形さんがどう感じるかは、しらんけどな。(伝法がうつるな〜)
プロジェクト杉田玄白が、勢いづいている。公開済みのテキストがふえて、カバーする分野が広がり(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』、デカルト『方法序説』、ファラデー『ロウソクの科学』の第一講も公開済み)、作業中のリストにもごっつい作品が並んでいる。それこそぱくり担当でもおいて、せっせと青空文庫の図書カードを作り、エキスパンドブック版を送りつけたいくらいだ。誰かやってくれないかな。
山形さんのページには、倉骨彰さんによる『オープンソースソフトウェア:彼らはいかにしてビジネススタンダードになったか』の訳に対する批判が載っている。私自身は、「オープンソースの本を、金を出さないと読めないのか」と文句をたれながらも、紙で出たときに1900円也を払って買った。だが今では、この全文も公開されている
「がんばれ!!ゲイツ君」の最新号に「なんとありがたい時代になったことでしょうか。」とあったが、同感である。(倫)



1999年12月8日
 tat_sukiさんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 七七の橙』を登録する。校正はkazuishiさんです。(AG)



1999年12月7日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『女の決闘』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年12月6日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『手品』『骨を削りつつ歩む』『指と指輪』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年12月3日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 柳原堤の女』を登録する。校正はしずさんです。(AG)



1999年12月2日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『入れ札』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年12月1日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『中味と形式』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年11月30日
 H.KoBaYaShiさんが入力された
押川春浪『本州横断 癇癪徒歩旅行』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年11月29日
 小林徹さんが入力された
南部修太郎『S中尉の話』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年11月27日
 山田豊さんが入力された
森鴎外『栗山大膳』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年11月26日
 大野晋さんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 笛の秘密』を登録する。校正はJukiさんです。(AG)



1999年11月25日
 大野晋さんが入力された
小島烏水『上高地風景保護論』『高山の雪』『雪の白峰』を登録する。校正は地田尚さんです。(AG)



1999年11月24日
青空文庫版・寺田寅彦随筆集第一巻「自然と生物」を登録する。入力は、田辺浩昭さんと(株)モモさん。校正は、田中敬三さんとかとうかおりさんである。
今回の「自然と生物」には、『寺田寅彦随筆集』(小宮豊隆編、岩波文庫全五巻)から、「自然と生物」に題をとったものを集めた。以降青空文庫では、第二巻「科学について」、第三巻「俳句と芸術」、第四巻「映画の楽しみ」、第五巻「この国の出来事」、第六巻「随想集」を順次公開していく。以上各巻の構成は、青空文庫が独自に行った。
第一巻の入力にあたってくれた田辺さんは、エキスパンドブックやT-Timeを利用して個人の出版活動を後押しする、猫乃電子出版を主宰している。電子本という道具立てを利用すれば、「猫にだって出版できる」。自分の本を作ろうと志す人の、「猫の手になりたい」というのが社名の由来だ。「あなたは、原稿を書いてください。私が、電子本で出版しインターネット等で販売します」と誘う、同社のウェッブページを、たずねてみてほしい。
入力のもう一方の担い手である(株)モモも、コンピューターのネットワークの上に、新しいビジネスの形、新しい働き方のスタイルを育んでいる。同社が提供するサービスは、各種文書の作成と校正、データ入力、ウェッブページ作り、POPや版下の作成などと幅広い。
この仕事の進め方が、ユニークだ。
モモはインターネットで結びつけた在枠ワーカーを「ギルド」と名付け、受注した仕事を素早く、低コストでこなそうと狙う。「私達の持っていた『わくわくする時間』が猛スピードで奪われ始めている」ならば、ネットワークを利用した効率的な働き方で、胸ときめく時間を取り戻そうとの願いを込めて、ミヒャエルエンデの『モモ』からとった社名であるという。仕事と働き手をインターネットで結ぶ同社の詳細は、こちらへ
青空文庫版・寺田寅彦随筆集の第二巻以降は、全面的にモモに入力していただいた。1998年秋の作業着手時点では、「青空文庫収録ファイルの取り扱い基準」は整っていなかった。当初我々とまとめた合意からは外れる要素をもつ「基準」を受け入れてくださった、(株)モモ代表取締役、伊藤靖さんに感謝する。加えてこのプロジェクトに関わられたすべてのモモの皆さんに、あらためてお礼を申し上げたい。
青空文庫は、インターネットを利用した協力によって作品の電子化を進め、仕上がった作品をこれまたインターネットで読み手に届けている。(田中敬三さん、かとうかおりさん、ありがとう)この前段を、ビジネスとして担うのがモモ。後段を同じく事業として射程に収めるのが、猫乃電子出版の田辺さん。こうした人たちとも、無料公開を前提とした青空文庫で協力できたことに、感謝したい。私たちは、この社会を構成する、多様なグループと力を合わせることができると思う。青空文庫版・寺田寅彦随筆集は、その証でもあるはずだ。(倫)



1999年11月22日
「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」の運用を開始する。
みずたまりで進めてきた「指針」案の検討に加わってくださった皆さんに、あらためてお礼を申し上げる。

「指針」は「工作員作業マニュアル」本文に、「補遺」として組み入れた。
「指針」にそった表記変更を例外的に認めることしたので、マニュアル全体を見渡して、新しい方針と抵触する記述をあらためた。
加えてこれを機会に、マニュアル本文の「包摂」「記載事項」に関する記述をあらためた。

具体的な変更箇所は、以下の通り。
・「青空文庫からのメッセージ 本という財産とどう向き合うか」中の「3.底本を選ぶ」第1項「1)旧漢字、旧かなづかいの書き換え」
「HTML版 工作員作業マニュアル目次」
・「HTML版 工作員作業マニュアル」中の「2.入力-1」、「●1冊の本はさまざまな要素から〜「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」にそって、対処してください。」まで。
・「HTML版 工作員作業マニュアル」中の「2.入力-1」、「■基本となる書式」、青空文庫独自の書式の第3項、第4項
・「HTML版 工作員作業マニュアル」中の「3.入力-2(Windows)」、【包摂文字】の記述と図版を、【微妙な字体差と包摂規準】のそれに。
・「HTML版 工作員作業マニュアル」中の「3.入力-2(Macintosh)」、【包摂文字】の記述と図版を、【微妙な字体差と包摂規準】のそれに。

あわせて、「青空文庫収録ファイルへの記載事項」の末尾に、入力者の便宜を考慮して「記載用テンプレート」を加えた。(倫)



1999年11月22日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『鴎』『女人訓戒』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年11月20日
 et.vi.of nothingさんが入力された
辻潤『「享楽座」のぷろろぐ』『錯覚自我説』『だだをこねる』『惰眠洞妄語』を登録する。校正はかとうかおりさんです。(AG)



1999年11月19日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 廻り燈籠』を登録する。校正はおのしげひこさんです。(AG)



1999年11月18日
水面をわたる波紋のように、青空文庫から、輪が広がっている。
これまでもPalm/Pilot、WorkPad の利用者は、Pal Mac さんが用意してくれた
「青空文庫パーム本の部屋」で、文庫の著作権切れファイルのすべてを、利用しやすい形で引き落とせた。
加えてザウルスのユーザー向けに、まるとさんが「モバイル図書館(もばりぶ)」を開いてくれた。当初は、文庫のファイルをザウルスで直接ダウンロードできないという問題を解決しようと企画されたページだったが、まるとさんの構想は〈総合モバイル図書館〉を目指して膨らんでいる。NTTドコモがはじめた e-shot というサービスに対応し、ポケットボードや文字電話で、広く読書できるような環境を作っていくという。
i-mode 対応の電話を持っている方は、TechnoSphere さんが用意してくれた「i-文庫」をのぞいてみてほしい。私自身は、携帯電話も持っていないような人間だが、パソコンからアクセスしても、i-modeの画面サイズで作品を開けるので、「なるほどこんなふうに読めるのか」と感じはつかめる。これで電話料金が安ければ、本当にどこにいても本が読み始められるわけだ。
ほんの2年半前、ふと青空を見上げればそこに本が開かれるような環境を夢見て、文庫の準備を始めた。そこから、なんとたくさんのことが起こったことだろう。これから、何が起こるのだろう。(倫)



1999年11月17日
 田中久太郎さんが入力された
太宰治『新樹の言葉』を登録する。校正は青木直子さんです。(AG)



1999年11月16日
 久保あきらさんが入力された
橋本進吉『国語音韻の変遷』を登録する。校正はしずさんです。この『国語音韻の変遷』も、図書カードに表記されている底本とは別に、福井大学教育地域科学部の岡島さんよりご提供いただいた電子テキスト(このテキストは旧表記で、明世堂書店『古代國語の音韻に就いて』<昭和17年6月20日初版>の昭和18年1月10日再版を底本としています)を利用させていただきました。(AG)



1999年11月15日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『栗の花の咲くころ』『秘密の風景画』を登録する。校正はしずさんです。(AG)



1999年11月13日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『倫敦消息』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年11月12日
オン・デマンド出版の『青空文庫へようこそ――インターネット公共図書館の試み』特製フランス装についての報告。 活版やオフセット印刷のような大部数向けの印刷技術では、大きな用紙に16ページ分や8ページ分を一度に印刷する。それを折って、折り目の所を裁断するわけだ。折ったまま裁断しないで綴じるのを「フランス綴」といい、読むときには折り目にペーパーナイフを入れる優雅な作業が必要だ。ちょっとあこがれる。
オン・デマンド印刷は、両面コピーのようなもので、大きな用紙は使わない。したがって印刷された用紙を「折る」過程はないから、残念ながらペーパーナイフの出番はないということになってしまう。「特製フランス装」とは「フランス綴」ではなく「フランス表紙」と呼ばれているもので、表紙の用紙が縦横とも内側に美しく折られている。これは機械ではできず、手作業に頼るしかないようだ。それでかなり割高になっているのでしょう。

本をつくるのは新しい仕事ではない。けれども、オン・デマンド出版にも青空文庫にもこれまでにない新しい要素がある。ボランティア共同体・青空文庫のはじめての本が、大日本印刷という大きな企業のオン・デマンド出版の実験として世に出たのはたんなる偶然ではないと思う。青空文庫を支えてくださっているみなさんのおかげで、社会のシステムが変わりつつある現場に立ち会っているのかもしれない。すごい! (八巻)



1999年11月11日
平成11年11月11日という、盛大に1が並ぶ日が、トップページのバナーでおなじみの「HONCO on demand」第一弾の発売日である。3日付の「そらもよう」でお知らせしたとおり、『青空文庫へようこそ――インターネット公共図書館の試み』という本が、本日、世の中にデビューする。

この本の企画が持ちあがってから約2か月の間、編集を担当したメンバは、日常の仕事の傍ら、古い資料に目を通したり、「工作員マニュアル」を改めて読み返したり、本のリストや図書カードを確認したり、といった作業に明け暮れていた。猛烈に忙しくはあったけれど、青空文庫が歩んできた2年の歳月を追体験する、またとないほど充実した日々でもあった。
そういった作業を進めていくうちに、改めて実感したことがある。
この2年間、青空文庫は、なんと大勢の人に支えられてきたことだろう。
日々の仕事に向き合っていると、過ぎていった年月を思い起こす機会は少ない。毎日、文庫を訪れて下さる人たちと言葉を交わしているうちに、歳月はどんどん流れ去っていく。しかし、改めて振り返ってみれば、驚くほど大勢の人たちが、青空文庫のまわりに集まり、支えて下さっているのだった。誰かひとりが欠けていても、1冊の本が足りなくても、青空文庫は、今のとおりの姿ではないはずだ。
そんなことを思いながら、本をまとめる作業をすすめていた。
だから、この本には、青空文庫を愛して下さる人たちへの感謝の気持ちが、いっぱい詰まっている。

この本の誕生を待つ2か月の間にも、いろいろな人に、本当にお世話になった。中でも、急な依頼にもかかわらず、快く原稿を引き受けて下さった工作員のみなさん、作家のみなさんには、心からお礼を申し上げたいと思う。
そして、あつかましいけれど、この場を借りて、実はもうひとつお願いがある。本来なら、この本が生み出す利益は、みなさんと分かち合うべきものだ。けれども、青空文庫を育てていくための活動資金として、青空文庫を支えて下さっているすべての人たちと分かち合っていきたいと、私たちは考えた。私たちのわがままを、どうか許して欲しい。

青空文庫の名前のついた初めての本は、きょうが誕生日。
多くの人に愛されることを願って、晩秋の青空の下に送り出そう。(LC)



1999年11月11日
 橋本山吹さんが入力された
山村暮鳥『ちるちる・みちる』を登録する。校正はトム猫さんです。(AG)



1999年11月10日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『兄たち』『俗天使』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年11月9日
 久保あきらさんが入力された
橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』『駒のいななき』を登録する。なお本作品の入力作業には、図書カードに表記されている底本とは別に、福井大学教育地域科学部の岡島さんよりご提供いただいた電子テキスト(このテキストは旧表記で、明世堂書店『古代國語の音韻に就いて』<昭和17年6月20日初版>の昭和18年1月10日再版を底本としています)を利用させていただきました。(AG)



1999年11月8日
 
佐左木俊郎『恐怖城』を登録する。入力は私が行い、校正はJukiさんが行いました。(AG)



1999年11月6日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 化け銀杏』を登録する。校正は山本奈津恵さんです。(AG)



1999年11月5日
 地田尚さんが入力された
黒岩涙香『幽霊塔』を登録する。校正はかとうかおりさんです。(AG)



1999年11月4日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『忠直卿行状記』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年11月3日
オンデマンド本という言葉をご存じだろうか。
ひらたく言えば、オンデマンド印刷機という特殊な機械を使い、デジタルテキストを短時間で紙の本に仕上げたものである。いささか乱暴な言い方になるけれど、オンデマンド印刷機というのは、大型のプリンタに製本装置がついているようなものと言えばわかりやすいかもしれない。このしくみを使い、必要とされる数だけを作ることにより、大量生産のリスクから本を解放することが期待されている。そんなわけで最近、各国で、人知れず消えてゆく本の命を救い、これから生まれる本に命を与えるためのしくみとして、オンデマンド出版が注目を浴びている。
今年8月、「本とコンピュータ」編集部から、このしくみを使って、青空文庫を紹介する本を出版しないかと持ちかけられた。「HONCO on demand」という企画の、第一弾のうちの1冊だという。第一弾のラインナップは6冊。紙版とオンライン版の「本とコンピュータ」の記事を再編集したものと、書き下ろしとで構成される。青空文庫の本は、書き下ろしの企画だ。
青空文庫がインターネット上に店開きしてから2年。この2年間で、さまざまなできごとに遭遇した。文庫を取り巻く状況も、2年前に比べると、ずいぶん変わった。2年という区切りは、これまでの歩みを振り返り、これから進む道を手探りしていくのにちょうどいいように思えた。そんなわけで、オンデマンド出版の話を持ちかけられたとき、元気よく手を挙げたのだった。「青空文庫へようこそ――インターネット公共図書館の試み」という本は、そうした経緯で誕生することになった。
本の世界をとりまく状況は、相変わらず厳しい。そこから一歩でも踏み出して、読者に本を手渡すためのしくみを、いろいろな人が、いろいろな試みを通じて模索している。オンデマンド出版も、その中のひとつだ。古き良き時代を懐かしみ、現在の状況を嘆いていても、何も変わらない。それぞれの試みは小さな点にすぎないかもしれないけれど、できることから始め、話題を提供し、多くの人たちが本の未来について考えていくきっかけを作っていくことが、まず必要なのではないだろうか。
そういう意味で、私たちの小さな足跡をあとに残していくために、オンデマンド出版という試みは、ふさわしいように思える。この試みが、点のままで終わることなく、線となって本と読者とをつなぎ、面となって本の世界を包んでいくことを心から願っている。
何はともあれ、トップページのバナーをクリックして、「HONCO on demand」のページにアクセスしてみて欲しい。そこでは、6冊の本たちが、あなたを待っているはずだ。(LC)



1999年11月2日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『地獄變』(旧字旧仮名遣い)を登録する。校正は富田倫生さんです。(AG)



1999年11月1日
青空文庫はこれまで、「底本に忠実な入力」を求めてきた。
その原則を変える必要は、今後もないと思う。ただしここから一歩も踏み出さないのなら、旧字旧仮名版しか存在しない作品は、この形でしか収録できない。現代表記版を用意したいという、わき上がって当然の思いは、抑えざるを得ない。
この間、入力を志願する人から、いくつかの作品に関して書き換えの相談を受けた。提案には、いずれももっともな理由があった。そこで呼びかけ人は、旧字旧仮名を現代表記にあらためる際の作業指針を示し、これを目安として、「表記の変更」という新しい課題に、青空文庫として取り組んでいこうと考えた。
その原案を、
ここに示す
皆さんの意見を伺い、正すべきは正して、文庫の約束の一つとして組み入れたい。質問と意見を、みずたまりでお待ちします。(倫)



1999年11月1日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『春の盗賊』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年10月30日
 湯地光弘さんが入力された
大手拓次『藍色の蟇』を登録する。校正は丹羽倫子さんです。(AG)



1999年10月29日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『自転車日記』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年10月28日
 真先芳秋さんが入力された
有島武郎『或る女(前編)』を登録する。校正は渥美浩子さんです。(AG)



1999年10月27日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『熊の出る開墾地』を登録する。校正はしずさんです。(AG)



1999年10月26日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『おしゃれ童子』『デカダン抗議』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年10月25日
 田浦亜矢子さんが入力された
新美南吉『牛をつないだ椿の木』『ごんごろ鐘』『花のき村と盗人たち』を登録する。校正はもりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年10月23日
 真先芳秋さんが入力された
泉鏡花『義血侠血』を登録する。校正は鈴木厚司さんです。(AG)



1999年10月21日
 et.vi.さんが入力された
岩野泡鳴『神秘的半獸主義』を登録する。校正はかとうかおりさんです。(AG)



1999年10月20日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『ア、秋』『美少女』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年10月19日
 山根鋭二さんが入力された
武田麟太郎『一の酉』『現代詩』『大凶の籤』を登録する。校正は伊藤時也さんです。(AG)



1999年10月18日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『駈落』『緑の芽』を登録する。校正はしずさんです。(AG)



1999年10月16日
 柿澤早苗さんが入力された
森鴎外『サフラン』『心中』『二人の友』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年10月15日
 山根鋭二さんが入力された
織田作之助『六白金星』を登録する。校正はTomoko.Iさんです。(AG)



1999年10月14日
 穂井田卓志さんが入力された
岡本かの子『富士』を登録する。校正は高橋由宜さんです。(AG)



1999年10月13日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『座興に非ず』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年10月12日
 真先芳秋さんが入力された
森鴎外『ヰタ・セクスアリス』を登録する。校正はJukiさんです。(AG)



1999年10月9日
 もりみつじゅんじさんが入力された
北條民雄『眼帯記』を登録する。校正は大野晋さんです。(AG)



1999年10月8日
エリック・レイモンド著、山形浩生訳『魔法のおなべ』を登録する。
同じく山形さんによって日本語化され、文庫にも自主登録済み『伽藍とバザール』『ノウアスフィアの開墾』に続く、シリーズ三作目である。ここで扱われているテーマは、ソフトウエアの世界で生じている、一見すれば経済の基本原則を踏み外したような、奇妙で力強い動きだ。私自身は、ここに描かれているソフト開発の細部を理解する、基礎的な知識を欠いている。けれど、これからきっと発展していくに違いない、〈インターネット社会学〉の扉を開いた論考として読んで、それで実に面白い。専門的な言葉や概念が少しじゃまをするかも知れないが、今、私たちの目の前に現れた、歴史を突き動かす新しい力を見きわめようとするこのシリーズを、是非たくさんの人に読んでもらいたい。

Linux(リナックス)について、耳にされたことがあるだろうか。
WindowsやMacintoshのOSと同種の基本ソフトで、サーバーと呼ばれる、ネットワークの書庫的な役割を演じるマシンを中心に、短期間で広く使われるようになった。
このLinuxには、きわめて特徴的なところがある。
まず、タダである点。加えて、どんなふうに組み立てられているか、ソフトの成り立ちが丸見えにされているところも、普通ではない。プログラムがどう組んであるかは、開発者のノウハウそのものだ。普段私たちが使っているたいていのものは、動くけれど、中味はまったく見えない形で提供されている。ソフトで商売しようとする人にとって、ノウハウは秘密にしたまま、ブラックボックスとして売ることは、常識以前だった。
ところが、値段のないLinuxは、どこがどう動くかも、すっかり見せている。
加えてLinuxは、誕生と成長の経緯も際だってユニークだ。
フィンランドの若者が、自分のパソコンで動かせるUNIX(これもOSの一種。パソコンより少し処理能力の高いマシンで使われてきた)風のOSを自力で書いた。大きな家を一軒、丸ごと自分で建てたような大業だが、あえて動機を言葉にすれば〈趣味〉だ。ソフトは別の人に使ってもらって減るもんじゃないから、申し入れがあれば喜んで渡せるし、中味が見たいのなら、見てもらえば良い。
このLinuxが、実に筋良く作られていた。ハッカー仲間達が少しずつ注目するようになり、彼らの実地テストで問題点がどんどん洗い出された。使うのはハッカーで、中味もさらしてあるから、間違いが見つかれば発見した本人が直せる。まだできていない機能は、「必要」と感じた当人が書き足せる。こうして不特定多数が関わって進めはじめた手直しや機能拡張を、もともとLinuxを書いた若者がうまくさばいて成果を組み入れていった。Linux共同開発の、コミュニティーが育ちはじめた。この時期が、インターネットの普及期と重なり合っていたから、コミュニティーは世界に広がった。もともとの作り手であった、リーヌス・トーバルズの高い開発能力と、さまざまな提案をさばく抜群の力量があってのことではあるが、報酬による繋がりや組織的な縛りを持たない、回線だけで結び付いた人たちが、複雑で大規模なものとならざるをえないOSを育てはじめた。
シリーズ第一作の『伽藍とバザール』は、このLinuxの成長を見て、「なんでこんな野放図な開発体制で、しっかりしたOSができてくるのか」と頭を抱えた著者が、なんとかこの現実を理解するための仮説を組み立て、実際にそのモデルが機能するか実験してまとめた論考だ。
〈伽藍〉は、しっかりした全体の構成図をあらかじめ描き、モジュールごとに開発担当をあてる、従来型の中央集権的な開発体制を指す。一方の〈バザール〉では、プロジェクトの進行方向は誰からも示されない。誤りの訂正や、機能の拡張は、気付いた者、必要と思う者が勝手にやって、コミュニティーに提案として差し出す。それを調整役が、全体とのバランスをとりながら、さばいていく。実験に基づいて著者は、〈バザール〉型の開発が確かに成り立つ場合があることを明らかにしていく。
そうした開発モデルが、時に機能しうることはわかった。けれど〈バザール〉に入って開発コミュニティーを形成するハッカー達は、一銭の得にもならないのに、なぜそんなことをするのか?
その疑問に答えようとするのが、第二作の『ノウアスフィアの開墾』だ。著者はここで、〈贈り物の文化〉という概念を持ちだしてくる。
生きていくのに必要なあれやこれやが乏しい段階では、人は、希少性をもったものを手にすることに熱中する。何にでも交換可能な貨幣が存在すれば、金集めを最優先する。この作業に成功して、金をたくさんもった者が、社会的なステータスも得る。ところが、生存に必要な物があまり不足しない社会では、金のたかと名声との結びつきが弱まる。こうした場で名を上げようとすれば、何かを囲い込むのではなく、有用な何かを人にあげてしまうという戦術が浮上すると、著者は指摘する。ハッカーによる無償の働きの原動力を、名声の獲得意欲として説明するわけだ。
ジェームズ・P・ホーガンというSF作家が、『造物主の選択』(小隅黎訳、創元SF文庫)で、〈衣食足りて、他者を出し抜くことが生きることの目標〉となった異星の社会を枕に使っている。地球上にも、高度なコンピューター愛好家の中にこうした連中がいて、ウィルスを仕込んだりしている。一方、Linuxを成功させている諸君は、贈与という前向きの行為で名を上げることを生き甲斐にしているというのが、著者の分析だ。
プログラム開発者はすべてただ働きするべきだとか、インターネット文化の育成に関わる者は無償が当然だと、著者は主張しているわけではない。ただ、かなり衣食の足りた層は事実として存在して、そうした連中の名声獲得ゲームとしてとらえれば、無償のソフト開発で奮闘する連中を突き動かしているものが、説明できるとそう言っているだけだ。
これら二作に続く『魔法のおなべ』で扱われるのは、タダのソフトを軸としてソフトのビジネスに生じ始めた、産業構造の組み替えである。
「タダのものじゃあ、産業にはならんだろう」と、直感的にはそう思うかも知れない。けれど実際に、Linuxのような基本的にはタダのソフトをネタにして、ビジネスが伸びてきている。LinuxをおさめたCD-ROMを売る会社が、成功をおさめるといった例がある。
この事態を説明するために、著者はまず、ソフトビジネスのポイントは〈物を売る〉ことにあるのではなく、ある機能を、将来にわたって発展的に使い続けられるように面倒を見る、〈サービス〉の側にあると指摘する。だから〈物〉自体はタダでも、簡単にインストールできたり、それを使ってユーザーの求めに即した仕組みを作ったり、問題があったときに対処したりするといったサービス産業が成り立つ。これまでのソフトビジネスは、本質は〈サービス〉であるにもかかわらず、〈物を売っている〉という誤解に基づいて進められ、そこからいくつかの歪みが生じていた。一方Linuxなどの台頭するタダソフト関連ビジネスでは、本質的に正しい〈サービスを売る〉というあり方が育っているという分析だ。
そうしたサービス産業の担い手にとって、ハッカー達は金の卵を生むニワトリである。そこで新しい事業家の中から、これまで基本的には余暇時間を使って名声の獲得競争を演じてきたハッカー達のパトロンとなろうとする動きが現れてきたことを、著者は新しい可能性として指摘している。

今回の登録分も含め、シリーズ三部作を少し踏み込んで紹介したのは、こうしたタダソフトを巡る動きが、電子化によって〈本〉の資産を新しい空間に蓄えていこうとする試みと、かなり重なり合う要素をもっていると思うからだ。
あまりに細かくなるので、説明は控えるが「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」を巡る論議の中で、私自身は、オープンソフト、フリーソフトを育てるためにこれまで打たれてきた布石を意識していた。
もう一つ、この報告を長めに書いていることには、ひつじ書房の松本功さんが、青空文庫と私に対して示した疑問に答えるための準備という意味合いもある。
松本さんは、インターネットを介した少額の決済システムを利用して、良質のウェッブサイトを市民が支援する仕組みを普及させたいと考えている。お代は見てのお帰り方式で、利用者が払いたいだけの金額を置いていく。そのまま立ち去っても構わないとするこのやり方を、松本さんは〈投げ銭システム〉と呼んでいる。
投げ銭にふさわしいページの一つとして、松本さんは青空文庫を想定している。これまでにも何度か、「やってみないか」と誘いを受けた。だが、私個人はすぐにもやってみたいという気持ち半分に加え、なんだかつかみどころのない、漠然としたためらいを抱え込んでいた。
結果的に文庫ではここまで、投げ銭に関してまとまった論議もしていない。先日開かれた、第二回の投げ銭システム・ワークショップに出席した際の私の発言にも引っかかるところがあったようで、ご自身の日誌のページで松本さんから疑問が呈された
自分の中に半分あるためらいをしっかり見きわめて書こうとすれば、それこそ本一冊まとめる覚悟とエネルギーがいるように思う。ただそれではさらに延々と松本さんを待たせることになるので、今薄ぼんやりと頭にあるものの骨子だけは示したい。

第一回のワークショップで発言する際、私はエリック・レイモンドの言う〈名声〉を言い換えて、〈タヌキのつくった木の葉のお金〉という比喩を使った。
木の葉のお金は、インターネットの世界における評判だ。Linuxを育てている連中は、本物のお金は得ていないけれど、木の葉のお金を稼いでいる。青空文庫もまとまりとして、木の葉のお金を多少獲得している。これまで木の葉のお金を、市場経済が支配している世の中に出て差し示せば、「それはただの葉っぱですよ」と呆れられるだけだった。けれど、人にとって有用な何かを提供し、その証として集めたものには意味が生じる。インターネットを耕している連中も、確かに現世に生きているのだから、今後は木の葉のお金と本物のお金を交換してみせることが、きわめて重要な課題になる。その際、投げ銭で集まった金額は、木の葉が何枚集まっているかを示し指標に使える。木の葉何枚が本物のお金何枚に代えられるかを決める、為替レートを有利に設定できるよう仕掛けていくことも大切だと私は申し上げたと記憶している。
松本さんは、実際に投げてもらったお金で、暮らしや活動を支えるというイメージをもっているように思う。投げ銭を、最初から本物のお金として扱おうとするスタンスだ。
一方私は、投げ銭で獲得できるものは、木の葉のお金と考えた方がよいように感じている。支払う側に事前の準備を求め、しかもこれだけのゆるい縛りの中で投げられる10円には、100円、1000円の価値があると言い立てる。そこにポイントを置いた方が、強い戦略になるのではないかと考えている。ただし、交換を成立させ、為替レートを吊り上げていくための指標としては、投げ銭以外にも使えるものがある。アクセスやリンクの数、ファイルのダウンロード数、インターネット内での評判や、マスコミへの露出といったものも目安になる。(「吊り上げる」という言い方を、誤解しないでほしい。今のところ木の葉のお金の交換価値はゼロだから、そこから少しでも上げるというニュアンスで書いている。目標が本物のお金の獲得なら、木の葉のお金を集めるという迂回路を選ぶことは、将来にわたってきわめて効率が悪いだろう。)
そうした投げ銭で集めるお金の位置づけに関しては、松本さんと私のあいだではずれがある。もちろんそのことは、投げ銭をやらない理由にはならない。けれど私の側には、トヨタ財団に提出する研究計画を書くときや助成団体からの援助を取り付けようと動く際、支援に関するアスキーとの話し合いの場といったいくつかの局面で、木の葉と本物との交換を成立させようと、これまでも動いてきたという思いがある。投げ銭は、少なくとも私にとって、まったく新しい試みではない。
繰り返しになるが、だからといって投げ銭をやらない理由はない。
ただ、これまでのところ、私たちも主観的にはかなりドタバタと物事に追われてきた。交換を成立させようとあがくことにも、時間をとられた。その中で、投げ銭のことを詰めて考え、広く論議して方針を定めていく時間がとれなかった。
「市民によるスポンサーシップという文化を育むことを断念し」という切り口は、試しに提示されたのだろうが、当たっていないように思う。青空文庫は確かに、投げ銭は組み入れてこなかった。だが共感した市民の〈投げ働き〉が集まったからこそ、ここまできたはずだ。
邪推は邪推。私はそれほど、世渡りのじょうずな人間ではない。
「公立図書館の互換OSとしての、青空文庫」という批判は、本質的で良い指摘だと思う。あの場でも、言葉ではお返ししたが、たくさん抱え込んだ宿題の中から、まず白田秀彰さんの『もう一つのプライバシーの話』をブック化して登録し、この文章を用意して、『魔法のおなべ』を片づけようと考えたのは、要するに痛いところを突かれて反省しからだ。(倫)



1999年10月7日
 加藤るみさんが入力された
太宰治『葉』を登録する。校正は深水英一郎さんです。このテキストは太宰治『黄金風景』と同じく「日本文学(e-text)全集」で作成されたファイルです。詳しくは、5月9日付けの富田さんが書かれたそらもようをご覧下さい。(AG)



1999年10月6日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『八十八夜』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年10月5日
白田秀彰さんの、
『もう一つのプライバシーの話』を登録する。
本作品で二作目となる、「もう一つの」シリーズの誕生には、青空文庫があずかっている。
以前、みずたまりに、中学生の利用者から、著作権に関するコメントがあがった。すでに文庫に登録していた、白田さんの『著作権の原理と現代著作権理論』を読んでもらいたいと思い、紹介してみた。学会報告の草稿をもとにしたというこの作品は、他の重量級の論考に比べ、取っつきやすいのではないかと考えた。彼女からは、「やはりむつかしい」と反応があったので、ずうずうしく「中学生、高校生を読者として想定したものを、書いてもらえないだろうか」とお願いしてみた。
こうして生まれたのが、『もう一つの著作権の話』だ。
シリーズ第二作では、プライバシーの問題が扱われている。
プライバシーを盾にした、自己防衛意識の高まりは、社会の抑圧がより強まっていることの表現でもある。プライバシー問題の解決方法の一つは、情報を検証する態度、偏見を持たない姿勢の確立に見いだせるとする視点に、目を開かれた。
私は実名で、物事の細部まで、ネット上で書き散らかしている。「語るべき」と信じての振る舞いだが、これには仲間内から批判がある。このずれを、自分なりに解いていく鍵も、与えてもらえたように思う。

インターネットを育てはじめた私たちは、今、息づき、今、変わりつつあるこの社会を解く学問を必要としている。
白田秀彰さんは、その新しい〈知〉を、担っていかれるのだと思う。その人の論考を、こうして文庫に登録できることに感謝したい。以前書いた、白田作品へのオマージュにも、あわせてリンクを張っておく。(倫)



1999年10月4日
 大野裕さんが入力された
葉山嘉樹『工場の窓より』『氷雨』『万福追想』を登録する。校正は高橋真也さんです。(AG)



1999年10月2日
 山根鋭二さんが入力された
織田作之助『木の都』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年10月1日
 薦田佳子さんが入力された
森鴎外『佐橋甚五郎』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年9月30日
 湯地光弘さんが入力された
大手拓次の詩集『蛇の花嫁』を登録する。校正は瀬戸さえ子さんです。(AG)



1999年9月29日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『花燭』を登録する。校正は小林繁雄さんです。(AG)



1999年9月28日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 女行者』を登録する。校正はおのしげひこさんです。(AG)



1999年9月27日
 鈴木厚司さんが入力された
有島武郎『溺れかけた兄妹』を登録する。校正は地田尚さんです。(AG)



1999年9月25日
 大野晋さんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 血染の手形』とtat_sukiさんが入力された岡本綺堂『半七捕物帳 小女郎狐』を登録する。校正は、『右門捕物帖 血染の手形』がごまごまさん、『半七捕物帳 小女郎狐』が菅野朋子さんです。(AG)



1999年9月24日
 大野晋さんが入力された佐左木俊郎『荒雄川のほとり・他4編』
「荒雄川のほとり」「喫煙癖」「郷愁」「指」「簡略自伝」『機関車』『季節の植物帳』を登録する。校正は、『荒雄川のほとり・他4編』が鈴木伸吾さん、『機関車』『季節の植物帳』がしずさんです。(AG)



1999年9月23日
 高橋真也さんが入力された
森鴎外『かのように』を登録する。校正は湯地光弘さんです。(AG)



1999年9月22日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 狐と僧』を登録する。校正は山本奈津恵さんです。(AG)



1999年9月21日
アスキー発行の雑誌の付録CD-ROMに、青空文庫の著作権切れファイルを入れてもらう計画について書いた。(
9月10日参照)何日発売のどの雑誌に、どんな形で載るのかをご報告したい。

アスキー.PC(ドットピーシー) 11月号 Windows 490円 9月24日
DOS/V ISSUE 11月号 Windows 890円 9月29日
マックピープル 11月1日号 Macintosh 680円(予価)10月15日
月刊アスキー 11月号 ハイブリッド 890円 10月18日
マックパワー 11月号  Macintosh 980円(予価) 10月18日
(ボイジャーのご協力を得て、それぞれにWindowsもしくはMacintosh用の、エキスパンドブックブラウザーとT-Time機能限定版を添付させていただいた。)

本日、アスキーは、この件に関する報道発表を行う。
リリースの一節に、青空文庫への協力が謳われている。
9月10日に詳しく報告したとおり、付録CD-ROMへの収録依頼として始まった話は、アスキーからの財政支援に結び付いた。
青空文庫は当初、私的なウェッブページを作るのと同様の感覚でスタートした。財政的な基盤はまったく存在せず、資金の必要性に関する認識そのものが、私たちにはなかった。
たくさんの方が入力や校正への協力を申し入れてくれたことで、青空文庫の活動には、弾みがついた。私たちが予想もしなかったペースで、文庫は育っていく。呼びかけ人の側がさばかなければいけないファイルの数も、当然、どんどん増えた。
「自由になる時間を使って作業する」という当初の形では、ファイルの増加の勢いに、追いつかなくなった。そんな中で呼びかけ人の一人から、「文庫の作業に専念したい」旨の宣言があった。2年間で480万円の研究支援をトヨタ財団から受けられることになり、この資金をあてて、彼に専従として働いてもらう道を選んだ。
要となってくれた彼の、獅子奮迅の働きがあって、電子化のペースは速まった。文庫に注目が集まり、さらに多くの方が工作員に名乗りを上げてくれた。そしてもう一度、よりいっそう大きくなったファイルの流れに、私たちは直面させられた。
ここで、今回は本腰を入れて事務局体制の強化に取り組まなければ、作業途中のファイルを、大量に長期間滞留させているという事態の改善には、めどがたたないだろう。
トヨタ財団に加え、今回新たに頂戴できることになったアスキーからの支援を得て、呼びかけ人は事務局機能の強化に取り組もうと考えている。
支援の幅をさらに広げ、安定的に、長く事務局を維持できる体制作りも目指したい。青空文庫は、そこまで育った。「育ってしまった」という思いも、どこかになくはない。だが今は、ぼやいたり泣き言をいっている場合ではないのだろう。(倫)



1999年9月21日
トップページの「青空文庫入門」の名称を「青空文庫早わかり」に変えた。このコーナーは
1999年8月2日の書き込みにある通り、富田さんが友人のパソコン初心者のために書いたのがそもそもの始まりである。そのため自然に「入門」という名称になったのだと思う。でも作品を読みたい人はもちろんだが、誤植らしいものを見つけた、リンクの手続きをしたい、工作員になりたい、自分の作品を登録したい、などの場合の手続きもパッとわかるようにできている。作品を読むことを含めて、青空文庫に対していろいろなはたらきかけをしたい、そのやり方を一刻も早く知りたい人のための「早わかり」コーナーとして、新しいスタートを切ることにした。(八巻)



1999年9月21日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『吾輩は猫である』(新字・新仮名遣い)を登録する。いままでHTML版のみ、一から八まで登録してありましたが、今回すべて校正が完了しましたので、すべてのフォーマットを登録しました。校正は、一が渡部峰子さん、二、五がおのしげひこさん、三が田尻幹二さん、四、七、八、十、十一が高橋真也さん、六がしずさん、九が瀬戸さえ子さんです。また、かなゐさんが入力された夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』(旧字・旧仮名遣い)「序」と「第一」をHTML版のみ登録しました。これは、柴田卓治さんが入力された新字・新仮名遣い版を旧字旧仮名遣いに変換するユーティリティにかけ、かなゐさんが底本を元に校正されたものです。こちらもすべての校正が完了次第、すべてのフォーマットを登録する予定です。(AG)



1999年9月20日
 大野晋さんが入力された
小島烏水『梓川の上流』雪中富士登山記山を讃する文『日本山岳景の特色』を登録する。校正は地田尚さんです。(AG)



1999年9月19日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『M侯爵と写真師』『若杉裁判長』を登録する。校正は久保あきらさんです。(AG)



1999年9月18日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『彼岸過迄』と真先芳秋さんが入力された菊池寛『勝負事』を登録する。校正は、『彼岸過迄』が伊藤時也さん、『勝負事』が岩田とも子さんです。(AG)



1999年9月17日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 鬼娘』と柴田卓治さんが入力された太宰治『秋風記』を登録する。校正は、『半七捕物帳 鬼娘』が曽我部真弓さん、『秋風記』が小林繁雄さんです。(AG)



1999年9月16日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『首を失った蜻蛉』『接吻を盗む女の話』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年9月15日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『作物の批評』『写生文』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年9月14日
 森下祐行さんが入力された
渡辺温『嘘』『花嫁の訂正 ――夫婦哲学――』を登録する。校正は、もりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年9月13日
 真先芳秋さんが入力された
夏目漱石『坊っちゃん』を登録する。校正は、柳沢成雄さんです。(AG)



1999年9月12日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『彼は昔の彼ならず』『雀こ』を登録する。校正は、丹羽倫子さんです。(AG)



1999年9月11日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 三河万歳』と柴田卓治さんが入力された太宰治『懶惰の歌留多』を登録する。校正は、『半七捕物帳 三河万歳』がおのしげひこさん、『懶惰の歌留多』が小林繁雄さんです。(AG)



1999年9月10日
「雑誌の付録CD-ROMに、著作権切れ作品のファイルをおさめてもらう話を進めている」と、
8月25日付けのこの欄で書いた
その狙いと進捗状況に関して、報告したいと思う。

【発想の原点】

青空文庫の著作権切れファイルを、雑誌のCD-ROMに入れられないかという発想は、「収録ファイルの取り扱い規準」に関して論議する過程で抱くようになった。
「著作権切れは、複製、再配布してかまわない。誰かが値段を付けて売ることも自由だ」と、私たちは「規準」で宣言した。
そう言って良いか、そう決めたとき、すでに作業を終えた作品にもこの規定をさかのぼって適用してかまわないかを論議する中で、「自由な公開を前提にして作ったファイルを、誰かが高い値段を付けて売ることは、許せない」という見解が示された。

私たちが作りためていくファイルを、幅広く、容易に利用してもらう上では、複製や再配布にできるだけ条件を付けないことこそが、もっとも有利な選択であると、私は考えた。
だから、「規準」をめぐる論議には、その立場から加わった。
「規準」の運用開始と同時に、Palm/Pilot、WorkPad で読めるよう文庫の著作権切れファイルを変換したページが作られた。
Pal Mac さんによる、「青空文庫パーム本の部屋」だ。
ページ開設の意図を示した「はじめに」を読んで、複製、再配布の敷居をできるだけ下げようとした「規準」のたくらみは、うまく機能すると確信した。

ただし、「規準」では、「商品にしてもかまわない」というところまで、敷居を下げておいた。
その選択を、これもうまく機能させるためには、別の準備がいると痛感させられる出来事があった。
別件で会ったある出版社の社長に、「規準」を準備していると話すと、「それなら、私のところでCD-ROM化させてもらう」と即座に反応があった。
どんな形、どれくらいの値段で出すつもりか、腹づもりをたずねると、「それは私の方で独自に決めさせてもらう」という返答だった。

「規準」は、いろいろな人たちが、独自の商品企画を立てることを許している。
青空文庫のファイルになんらかの新しい価値を添えた商品が作られるのならば、むしろそれは歓迎するべきことだと思う。
ただ、基本は無料のものに何らかの価値が加えられ、その新しい価値の分を評価して買う人が現れるという望ましいあり方を実現するためには、整えておくべき条件がある。
「青空文庫では、無料でファイルの引き落としができる」と広く知らせることと、CD-ROM化された著作権切れファイルをできる限りやすく入手できる選択肢を用意しておくことだ。
「規準」をめぐる論議の中で示され、結果的には抑えていただいた、「高い値段で販売されるのは本意ではない」という気持ちに応えるためにも、何らかの対処をしておこうと考えた。

では、我々がCD-ROMを作り、原価プラス送料で希望者に配布しようか。
ざっとはじいてみると、希望者には400円くらいの負担を求めることになりそうだ。
「十分に安い」という点では、合格点かも知れない。
ただCD-ROMの作成まではできても、希望を募っていちいち送付する際の手間は、それでなくても払底している事務局の機能を、さらに大きく食ってしまう。
そこで、もう一つの可能性として思い浮かべたのが、雑誌の付録CD-ROMに、青空文庫を収録してもらう手だ。

【二つのグループへの働きかけ】

これまで青空文庫の活動を続けてくる中で、私たちは出版に関わる三つのグループから支援を受けてきた。
ひつじ書房は、文庫のページにはじめて広告を入れてくれた。
『本とコンピュータ』は、繰り返し誌面で青空文庫を紹介してくれた。同誌の編集長は、本とコンピューターの〈健全な生かし合い〉という魅力的なアイディアを示した、津野海太郎さんだ。編集同人には、青空文庫の大恩人であるボイジャーの萩野正昭さんが名を連ねている。もう一人の同人、筑摩書房の松田哲夫さんには、同社の文庫をさんざ底本に使わせてもらっているので、嫌みの一つ二つ言われてもしょうがないかと思う。だが松田さんは、ここまで育ってきた青空文庫をむしろ、面白がってくれている。オンライン版・本とコンピュータの広告という形でも、同誌にはご支援を賜った。
今年の4月、青空文庫は容量の大きな回線に繋がったサーバーに移行した。利用者が増えた結果、常態化していた、「繋がらない」、「遅い」が、これで解消できた。メインサイトを提供してくれたのは、アスキーだ。

付録CD-ROMへの収録は、青空文庫の活動を支えてくれてきた、彼らにお願いしようと考えた。
ひつじ書房は、雑誌を発行していない。
そこで、人の縁の深い『本とコンピュータ』にまず、相談した。
同誌はこれまで、付録のCD-ROMを付けた経験がない。比較的薄い表紙を使ってきたという事情もある。可能性が皆無というわけではないが、すぐには対応できないという返事だった。
次にアスキーに打診すると、即刻「やろう」という返答があった。

当初私たちが思い描いていたのは、年に一回か二回、『ASCII』のCD-ROMに入れてもらうという形だった。
『本とコンピュータ』の話も進められて、半年毎、あるいは三カ月毎に、最新の一式をそれぞれの付録CD-ROMにおさめて提供できれば、バランスが取れるかなと考えていた。
ところがこの話を受け入れてくれたアスキー取締役の戸島國雄さんから、より規模を広げようというアイディアが示された。
同社の刊行する複数の雑誌に、繰り返し収録していこうというのだ。

相談の結果、枠組みは次のように決まった。
私たちは、月の終わりに青空文庫の一式をCD-Rに焼く。
著作権の有効なものはリンクにしてあるから、ハードディスクにあるものをそのまま、ただ焼けばいい。
それを受け取ったアスキーでは、各誌の編集長が判断して、該当の月号に掲載するか否かを決める。
付録のCD-ROMに青空文庫を入れたことで雑誌の売り上げが多少とも伸びるか、読者から肯定的な反応があれば、各誌の編集長は収録に積極的になるだろう。
添付するブラウザーも含めると、容量は100Mバイトをだいぶ越える。手応えがなければ、もともと空きは少ないのだから、こんな大きなものを入れる気には、ならないと思う。
今後アスキーのどんな雑誌に、どのくらいの頻度で掲載されるかは、出してみた際の手応えで決まる。

【アスキーとの連携で目指すこと】

当初の想定を越えて、大きな話となったアスキーとの連携を進めることで、青空文庫の呼びかけ人は、三つの実りを獲得したいと考えた。

第一は、そもそもの発想の原点だった、著作権切れの一式を安く入手できる選択肢の確保だ。収録誌の詳細に関しては、追って詳しく紹介するが、最初に出るものは、490円で販売される。対象読者層の関係で、Windowsのみの対応となる点が残念だが、CD-ROMの入手代として考えても、十分に安いのではないかと思う。
目指すものの第二は、アスキーに対して私たちから返せるものを返し、支援をバランスのよいものにすることだ。強力なサーバーの利用は、もっぱらアスキーエデュケーションカンパニーの松本吉彦さん、お一人のご尽力によって可能になった。それに対し、我々からも差し出せるものは差し出し、関係にバランスをとって、一方的な支援を、「協力」に向けて多少でも近づけたいと考えた。
そう口にした舌の根も乾かぬうちに、こんなことを言うのも図々しいのだが、我々は第三に、アスキーからより大きな支援を引き出せないかとも考えた。具体的に想定していたのは、広告だ。だが戸島取締役からは、さらに踏み込んだ、財政支援の申し入れがあった。
私たちはこれを、ありがたく頂戴しようと考えている。

著作権の切れた作品に限れば、青空文庫とは、「これを電子化することで、誰もが自由に読めるようにしておきたい」という、関わる者の胸にわく思いを、形に変えるための場所だ。
外側から眺めれば、時の選択を経たすぐれた作品の電子ファイルを、社会に提供する運動体ということになるだろう。
こうした活動を、営利を目的とせずに進めようとする我々には、「青空の本を耕す」だとか「知を公共財とする」といった、浮ついた言葉が似合う。
臆せずきれい事を口にして、きれい事をきれい事として実現しようと奮闘してこその、青空文庫だと思う。

一方のアスキーは、利益を追求する企業だ。
青空文庫の収録という我々の提案を受けてくれた背景には、当然、雑誌の売り上げに資するという読みがあるだろう。
今回の試みに加わっておられるアスキーのメンバーの何人かは、明らかに青空文庫の試みを面白がってくれている。
ただ、その面白がり方にしても、私たちのそれとまったく同じである必要はないだろう。ネットワークされたコンピューターの新しい使い道を開く実験として受け止め、ここから、将来のビジネスの種を育てたいという意識を持ってもらってこそ、自然だと思う。

私たちは私たちの動機で動く。
アスキーはアスキーの動機で動く。
そのそれぞれの動機が、あるところで重なり合い、共振できるのなら共振させたいと思う。
アスキーの付録CD-ROMにおさまったファイルを利用する人は、たくさん出てくるだろう。
その内の何人かは、誰が、どんな意図でこのファイルを用意したのか、気にかけてくれると思う。
気にかけてくれた人の中からは、この試みに力を貸したいと思う人が、確実に現れるはずだ。
ここからも、輪は広がって行くに違いない。
その輪が大きくなればなるほど、アスキーと青空文庫はともに、独自の物差しにかなった実りを豊かに得られる。
波紋が遠く及べば、共振関係をより長期間維持できるだろう。

念のために申し添えれば、他の雑誌社、他の出版社が青空文庫の著作権切れファイルを複製、再配布することは自由だ。
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」は、今回のアスキーとの連携とは無関係に、当然生き続ける。
文庫の根幹に関わるこの規定に、万が一変更を加えるような必要性が生じた際には、決めるときにかけたと同様の手続きを経るべきだろう。
納得のいく理由や、十分な論議なしに大きく姿勢を変えれば、誰も青空文庫など相手にしなくなるはずだ。
今回、呼びかけ人が、自分たちの意思で『本とコンピュータ』とアスキーに提供を申し入れたのは、トップページからの構成、作品のリスト、図書カード、そらもようといった、青空文庫という団体名義の著作物に相当する部分である。

説明が長くなったが、是非とも触れて置かねばならない、大切な要素をまだ示していない。
アスキーからもらうお金を、何に使うかだ。
青空文庫の活動は、事務局機能を担う者一名をのぞいて、誰も対価を得ずに進めてきた。対価を得ないだけではない。多くの工作員の皆さんがコピー代や郵送料を負担し、中には数十万円する本を購入して、底本としてくださっている方もある。
そうした形で成り立ってきた運動の中に、新たにある規模の金銭を持ち込むことで、呼びかけ人は何を実現しようとしているのか。
その点について率直に語ろうとすれば、この夏、私たちが直面させられた大きな困難について触れざるを得ない。

問いかけても反応がない。迅速に事務処理が行われない。処理に誤りがある…。
ここしばらくの間、多くの皆さんが、呼びかけ人の働きぶりに疑問を抱いてこられたと思う。
個人的な苦しみについても触れざるを得なくなるが、私たちが直面し、乗り越えようともがいているものについて、続いてお話ししていきたい。(倫)



1999年9月10日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『街底の熔鉱炉』と真先芳秋さんが入力された泉鏡花『夜行巡査』を登録する。校正は、『街底の熔鉱炉』が柳沢成雄さん、『夜行巡査』が鈴木厚司さんです。(AG)



1999年9月9日
 柴田卓治さんが入力された夏目漱石『
ケーベル先生の告別戦争からきた行き違い』『手紙』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年9月8日
小熊秀雄全集第3巻『詩集-2 中期詩篇』を登録する。小熊の作品が他の詩人にはない独自の作風をはっきりともつようになった時期、1931(昭和6)〜1935(昭和10)年の5年間に書かれた詩27篇を収録した。プロレタリア文学系の雑誌に初出された作品が多いが、なかには『民謡音楽』なる雑誌(と思うが、詳細不明)に掲載されたものもある。マヤコフスキーへの言及は小熊なら当然としても、珍しくランボオの名が出てくる詩がある。(楽)



1999年9月8日
 山根鋭二さんが入力された
宮沢賢治『さるのこしかけ』を登録する。校正は、田中久絵さんです。(AG)



1999年9月7日
 ゆいみさんが入力された
岡本かの子『鯉魚』を登録する。校正は、岩田とも子さんです。(AG)



1999年9月6日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『姥捨』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年9月5日
 小林徹さんが入力された
素木しづ『秋は淋しい』『晩餐』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年9月4日
 漆原友人さんが入力された
牧野信一『ゼーロン』を登録する。校正は、久保あきらさんです。(AG)



1999年9月3日
 圭さんが入力された
中島敦『狐憑』を登録する。校正は、木本敦子さんです。(AG)



1999年9月2日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『無題』を登録する。校正は、木本敦子さんです。(AG)



1999年9月1日
 宮崎達郎さんが入力された
国木田独歩『非凡なる凡人』を登録する。校正は、久保あきらさんです。(AG)



1999年8月31日
 田中久太郎さんが入力された
梶井基次郎『橡の花』を登録する。校正は、久保あきらさんです。(AG)



1999年8月30日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『HUMAN LOST』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年8月29日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 蝶合戦』『半七捕物帳 筆屋の娘』を登録する。校正は、ごまごまさんです。(AG)



1999年8月28日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 朝顔屋敷』を登録する。校正は、曽我部真弓さんです。(AG)



1999年8月27日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『素戔嗚尊』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年8月25日
富田倫生の
『パソコン創世記』『青空のリスタート』のファイルを修正した。
樋口守さん、鈴木厚司さん、r.s.さん、かとうかおりさん、大石善彦さん、河野さんから、誤字の指摘を受けながら、長いあいだ放置してしまった。中でもかとうさんからのご連絡は、1998年の2月に頂戴している。「自分のこと」と思うと、つい作業項目リストの後回しにした結果、何ともお恥ずかしい仕儀となった。

実は今回、ファイルの訂正を片づける気になったのも、逃げようのない事情に迫られてのことだった。
8月1日に運用を開始した一連の取り決めの中に、「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」という文書がある。
この4項で、「著作権の有効な作品に関しては、著作権者(ほとんどの場合、作品を書いた人)にサーバースペースを確保してもらい、青空文庫の図書カードから、該当のファイルにリンクする形を取る」という方針を示している。
つまり、著作権の有効な作品は、「文庫本体には置かない」のが原則だ。

私は『パソコン創世記』と『青空のリスタート』、加えて『短く語る「本の未来」』を文庫に収録してもらっている。
当初、「何はどこに置く」といった明確な意識がなかった段階で登録したため、これらの作品はみんな、本体のサーバーに置いてきた。
古くからの収録作品には、同様に、著作権が有効でありながら本体に置いてきたものがある。著作権者がどうしてもサーバースペースを用意できないということで置いたもの、加えて、何となく置きっぱなしにしてきたものもあった。

こうしたものはいずれ、前述の4項の規定に従って、別の場所に移さなければいけないと考えていた。
ただしこれも、例によって1ヶ月近く先送りにしてきたのだが、ここにきて、すぐに外さざるを得ない事情が生じた。
青空文庫を、ある出版社が発行する雑誌の付録CD-ROMに、収めてもらえる可能性がでてきたのだ。
それも一誌だけでなく、複数の雑誌で、繰り返し収録される公算が大きい。

雑誌の付録CD-ROMに入れてもらうことで、何を実現したいと考えているか。
その点は、項をあらためて書く。
ただ、かなりの規模のCD-ROMに、繰り返し作品が収められることから、著作権有効の作品に関しては、あくまで慎重な取り扱いが必要であると考えた。

青空文庫での公開を望んでこられた方なのだから、「無料でも読んで欲しい」という気持ちを持っておられることは、重々承知している。
文庫の範囲を越えた再配布の要請があった際、何人かの方からはこれまでにも、「かまわない」というお返事を頂戴してきた。
ただし今回の付録CD-ROMの話は、規模がかなり大きい。
そこで、著作権の有効な作品はひとまず、本体以外の場所に移そうと決めた。

雑誌社にファイルを提供する都度、CD-ROMに載せられないファイルを削り、図書カードを書き換えることは、現実には不可能だ。
そこで「収録不可」の可能性のあるものは、いったんすべて外し、付録CD-ROMが、どんな規模、どのくらいの頻度で作られるのか十分理解してもらった上で、それでも「良し」といってくださる方の作品だけを載せるようにしたいと思う。(そのような意思が示された作品は、本体に置けるとする、4項の例外規定が必要になるかも知れない。)

こうした一連のステップの第一歩として、本体に置いてきたファイルを、急遽別の場所に移した。(本来は置き場所の変更に関しても、事前に著作権者の了解を得るべきと思いながら、いくつかの事情が重なって果たせませんでした。この点、お詫び申し上げます。)
この措置にあたっては、かねてから富田にインターネットの接続環境を与えてくださり、文庫システムの整備に向けて多大なご協力を賜ってきた藤井一寛さんに、またまた無理を聞いていただいた。

引っ越しの作業を進めるうち、自分のファイルを移す段になって、頂戴したまま放置してきた、誤りを指摘するメールを思い出した。
このきっかけをつかまないと、また何年先延ばしにするかわからないと考え、ようやく取りかかって実現できたのが、今回の訂正だ。
たったこれだけやるのに、これほどのきっかけを求めるのだから、実際、私のずぼらにも困ったものである。

なお、付録CD-ROM計画の進捗状況に関しては、今後この欄で継続して報告する。
きっかけは待たず、書くべきことはどんどん示していこうと思う。(倫)



1999年8月23日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『本所両国』を登録する。校正は、もりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年8月22日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『硝子戸の中』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年8月21日
 森下祐行さんが入力された
渡辺温『或る母の話』『象牙の牌』を登録する。校正は、もりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年8月20日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『あさましきもの』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年8月19日
 能美武功さんが訳された
テレンス・ラティガン『椿姫』を登録する。(AG)



1999年8月18日
 r.sawaiさんが入力された
南方熊楠『神社合祀に関する意見』を登録する。校正は、鈴木伸吾さんです。(AG)



1999年8月17日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 お照の父』を登録する。校正は、山本奈津恵さんです。(AG)



1999年8月14日
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」は、文庫に収められた電子テキストが、より広く活用されるようにと願って準備したものだ。
報告が遅れたが、「規準」の運用開始を宣言した1日には、その願いをさっそく形に変える、新しい動きがあった。

名刺入れを少し大きくしたくらいの、Palm/Pilot という電子小道具がある。IBM が、WorkPad と名付けて売っているものだ。(ここでは二つをあわせて、以下、「パーム」と書く。)
このパームに関するページを開いている Pal Mac さんが、「規準」を受けて、「青空文庫 パーム本の部屋」を作ってくれた。
問題のあるわずかな例外をのぞいて、文庫の著作権切れファイルが、パーム形式に変換されてそろっている。
作家別リスト、作品別リストが用意され、パームと組み合わせるマシンを考慮して二つの圧縮形式に対応した上で、パームから直接ダウンロードできるファイルもおいてある。文庫の図書カードに、リンクが張ってあるのもありがたい。
「やさしいパーム本の読み方」と名付けた、利用者のための手引きも書いてもらえたので、青空文庫の「電子テキストの読み方」から、リンクさせてもらおうと考えている。
小型の情報機器で青空文庫のファイルを読むための工夫は、これまでもいろいろな方が進めてくださったが、「パーム本の部屋」の徹底ぶりには目を見張る。
パームを使っておられる方は、是非のぞいてみて欲しい。
ブックマークしたくなること、請け合いだ。

「パーム本の部屋」に関しては、もう一つ紹介したいことがある。「はじめに」と題して Pal Mac さんが書いた、「部屋」の誕生の経緯を語る文章だ。
「規準」をまとめていく過程では、文庫に集うたくさんの仲間と長い時間をかけ、おびただしい言葉を費やして気持ちをすり合わせた。たくさんの人をとことん疲れさせた張本人が私なのだろうが、当人もかなりくたびれた。
だが、「規準」に託した思いを、ましんでとらえて打ち返してくれた Pal Mac さんのメッセージを読んだ夜には、これでもう、褒美は十分にもらった気になった。
パームに縁のない方も、是非、このメッセージだけは読んでいただけないだろうか。

そんな鮮烈な印象を受けた「パーム本の部屋」を、公開から2週間遅れで紹介しているのにはわけがある。
「規準」がきっかけとなって「部屋」が生まれたように、「部屋」がまた一つ、新しい試みを生んだ。
そこまでを、一まとまりとして示したかった。

「山葵的世界」と名付けたページを作っている鮫皮山葵さんも、パームのユーザーだ。
鮫皮さんは、Palm OS 用に作られた、Palmscape というウェッブブラウザーにしびれた。携帯電話に繋いで、実に快適にウェッブページが開けると喜び、感動のあまり Palmscape で見るのに便利なページのリンク集を用意した。
名付けて、「山葵的掌」という。
その一角に、「てのり青空文庫」というページが作られた。
作家別、作品別のリストが Palmscape で見てきれいにおさまるように仕立ててあり、Pal Macさんが準備したファイルと、文庫の図書カードにリンクが張ってある。
「ここに収録されたファイルは、規準に基づく限りはどのような方法でもコピーして再配布して結構です。フリーテキストの世界をどんどん大きくしていきましょう!」とする Pal Mac さんの呼びかけに、これもすかさず、しっかりと応えた試みだ。

青空文庫でファイルとりまとめの大黒柱となっている野口さんは、パームを持っている。
「てのり青空文庫」を見て、モバイル魂を呼びさまされたらしく、「いいですね」と感想のメールが届いた。
いつか本当に青空の下で、野口さんのパームに文庫のファイルを引き落としてみたいと思う。(倫)



1999年8月13日
 柴田卓治さんが入力された夏目漱石『
文芸委員は何をするか学者と名誉』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年8月12日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『明暗』を登録する。校正は、伊藤時也さんです。(AG)



1999年8月7日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『二十世紀旗手』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年8月6日
 ちょもさんが入力された
中島敦『南島譚・幸福』を登録する。校正は、田中久絵さんです。(AG)



1999年8月5日
 柴田卓治さんが入力された夏目漱石『
博士問題とマードック先生と余マードック先生の『日本歴史』博士問題の成行』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年8月4日
 柴田卓治さんが入力された夏目漱石『
教育と文芸『東洋美術図譜』イズムの功過』を登録する。校正は、福地博文さんです。(AG)



1999年8月3日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 向島の寮』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年8月2日
昨日から、トップページの構成を変えた。
青空文庫入門というページを用意して、その看板をトップの目立つところに置いた。
はじめて文庫を訪れた人でも、ステップさえ踏めば、ファイルが読めて、活動の全体像がうかがえるようにしたいと考えての対処だ。
この文書の狙いは、文庫の仕組みになれていない人を、戸惑わせないことにつきる。
読んでみて、「わかりにくい」と感じたり、「これについても説明して欲しい」といった点があれば、info@aozora.gr.jpに注文を付けて欲しい。

青空文庫入門のもとになった文書は、当初、ごく個人的な事情で書いた。
きっかけは、7月の初め、古い友達にまとめて会ったことだ。
最後に会ったとき、中学生、高校生だった三姉妹は、二十代の、背筋の伸びた娘さんになっていた。結婚を控えているという長女の、今の年頃で出会ったもう一人の懐かしい友は、中学生と小学生の息子の母であるという。
今、なにをしているのかと問われ、「インターネットの電子図書館」では通じないかと思ったが、三姉妹も二児の母も、はじめてのパソコンとしてiMacを買ったと聞いて気持ちが弾んだ。
だが、URLを教えておいたものの、「本の読み方が分からない」というメールが、双方から届いた。

これまでも、文庫の利用者に必要と思う文書は、遅れ遅れとなっても用意してきたつもりでいた。
ファイルの読み方に関しても、然りだ。
だが、はっきりと顔を思い浮かべられる人から「分からない」と言われると、なんとかエキスパンドブックを開くところまでたどり着いてもらい、「けっこう読めるじゃない」などと、感想の一つでも聞きたい気持ちが募った。
そこで、作品の選び方から、ファイルを開くまでの流れを説明する文書を、四人の表情を思い浮かべながら書いてサーバーに置き、URLを教えた。
三姉妹からは、すぐに「読めました!」の報告が届き、二児の母からも、少し時間がかかったが、成功レポートが寄せられた。

今、自分がやっていることを、私はあなた達に見てもらいたかった。
そう強く感じてはじめて、文庫を開いてから二年間なしで済ませてきたこんな文書がいると思うようになった。(倫)



1999年8月2日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 津の国屋』を登録する。校正は、ごまごまさんです。(AG)



1999年8月1日
青空文庫の登録作品はすでに500点を越えている。全国各地の工作員の皆さんが貴重な時間をさいて入力・校正などの作業を進めてくださっているおかげだが、作品が増えるにつれて、難しい問題も出てきた。「何を読んだらいいのか、手がかりが乏しい」という声が聞かれるようになってきたことである。
有名作家ならまだしも、あまり著名でない作家の作品の場合、「どんな作家で、どんな作品なのか」というガイドはどうしても必要だろう。そうでないと、結局はよく知られている作家の、よく知られている作品に関心が集まってしまう結果になる。図書カードの内容を充実させればいいのだが、残念ながらそうするだけの余力がない。
そこで、「青空文庫へのナビゲーション」を基本目的に、きょう8月1日、
「ちへいせん−青空文庫読書新聞」というサブ・ページをスタートさせた。名前は新聞だが、要するに通常のウェブ・サイトであり、HTMLファイルとT-Timeで読むTTZファイルで構成した、「新聞ふう、雑誌ふう」のページである。
 簡単に内容をご案内しておくと、大きくは、「コラム」「アンソロジー」「新登録作品ガイド」の3つの柱でつくられている。このうち、中心は「コラム」にあって、青空文庫の登録作品の魅力を語るエッセイや、青空文庫で作品を無償公開なさっている作家のエッセイ、さらにはいずれは青空文庫に登録する随筆や長篇小説の連載など、複数のコラムでつくってある。文学館ガイドなど、読者の皆さんの投稿でつくっていくコーナーもある。
また、「アンソロジー」は青空文庫の登録作品に一部未登録作品を加えてつくられたテーマ別アンソロジーで構成されており、「新登録作品ガイド」は、未消化な感は否めないが、ここひと月ほどの間に登録された作品からいくつか選択して紹介するページである。
すべての作品は存在するだけでは価値はない、読まれてはじめてそこに価値が生ずる。「ちへいせん−青空文庫読書新聞」は客観的に見れば現時点では未熟児も同然だが、工作員や読者の皆さんの力を借りながら、作品の魅力にふれ、読み、語り合うページとして充実をはかっていきたい。ここはひとつ、よろしくごひいきに。(楽)



1999年8月1日
青空文庫の作品は、本日から
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に従って利用してください。
同時に、「青空文庫へのリンク規準」「工作員を志願される皆さんへ」「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」という三つの指針を示します。
リンク、作業への参加、作品収録を望まれる方は、まず該当する文書を参照し、ご自身の考えを確かめた上で、文書に示された次のステップを踏んでくださるよう、お願いいたします。

上記の文書、とりわけ「ファイルの取り扱い規準」をまとめる過程では、たくさんの方と、時間をかけて論議しました。
おびただしい言葉をえんえんと交わす中で、私は学び、自らの考えを確かめ、口幅ったい言い方にはなりますが、深めたようにも思います。
「バランス」といった、自分に縁遠かった事柄は、それこそ一から学んだ気がします。
発言された方、加えて、直接は声を上げなかったけれど、論議を見守られた多くの方の胸にも、味わいの深い思いが残ったのではないでしょうか。

「公(おおやけ)」は、自覚的には、私が一度も使ったことのなかった言葉です。
強大な権力を振るう者に、民衆が立ち向かい、個の自律を勝ち取る。
その個が、軋轢を伴う相互作用を通じて、共通の価値としての「公」を編んでいくという経験を、私たちの社会は基本的に欠いているように思います。
そんな社会に生きてきた私は、「公」をもっぱら、自己保身を最優先する権力者の、欺瞞の隠れ蓑として受け取ってきました。

けれど、個を個のままに繋ぐ、インターネットを介した協力と合意の形成作業を経験していく内に、私たちは私たちなりの新しい「公」を、ここから育みうるのではないかと、考えるようになりました。

個が、組織や社会の中にあっても、それと対峙したときにも、背筋を伸ばして向かい合いうることは、大切な価値です。
けれど、欺瞞的な「公」を真に乗り越える作業は、押しかかってくる圧力に、個の自律を盾として抗することでは完遂しない。
まとまりとしての個がいつか、自らの「公」を編み始めてようやく、抑圧的な「公」を根底的に乗り越える出発点に立てるのではないか。
そんな思いが、わいてきます。

もちろん自律的に編まれた「公」にも、寿命があるはずです。
人を励まし、勇気づける力を失い、やがては桎梏としてしか意識されなくなることもあるでしょう。
けれど、個の協同が「公」を育てるという勘所さえはっきりと示し、伝えることができれば、私たちの合意が用済みとなったところで、次の人たちが新しい「規準」を、もしかしたら「基準」とも呼びうるものを生み出してくれるのではないでしょうか。

青空文庫に関わって、私はもう一つ、意義深い体験をしたように思います。
その時間を共有した仲間に、心からのお礼を申し上げ、「ファイルの取り扱い規準」の運用開始を宣言します。(倫)



1999年8月1日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『玩具』『めくら草紙』『雌に就いて』を登録する。校正は、鈴木伸吾さんです。(AG)



1999年7月31日
 j.utiyamaさんが入力された
夏目漱石『こころ』を登録する。校正は、伊藤時也さんです。(AG)



1999年7月30日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『喝采』『創生記』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年7月29日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『吾輩は猫である』のうち、一〜八をHTML版だけ登録する。校正は、一が渡部峰子さん、二と五がおのしげひこさん、三が田尻幹二さん、四と七と八が高橋真也さん、六がしずさんです。すべての校正が終わり次第、テキストとエキスパンドブックを登録する予定です。
 また、かなゐさんが『吾輩は猫である』の復刻初版本を現在入力しています。ただ、最初からまた新たに入力するのは大変なことですから、柴田卓治さんが入力された新字新仮名遣いのテキストを、テキスト変換ユーティリティーConvCharr(昆布茶)と舊字舊假名辭書「丸谷君」第三版bを使って、旧字旧仮名遣いに変換した後、復刻初版本を元に校正するという方法をとることにしました。こちらも校正が終わり次第、HTML版から公開したいと思います。

 ユーティリティーについてのことはこちらをごらんください。 (AG)



1999年7月28日
 森下祐行さんが入力された
渡辺温『父を失う話』を登録する。校正は、もりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年7月27日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 槍突き』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年7月26日
 浜野智さんが入力された
宮沢賢治『雁の童子』を登録する。(AG)



1999年7月25日
 tat_sukiさんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 なぞの八卦見』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年7月24日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 猫騒動』を登録する。校正は、山本奈津恵さんです。(AG)



1999年7月23日
 山田豊さんが入力された
森鴎外『假名遣意見』を登録する。校正は、高橋真也さんです。

 また、「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」の実施に向けて、樋口一葉や森鴎外など、過去のファイルを順次訂正して行きます。(AG)



1999年7月22日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『狂言の神』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年7月21日
 能美武功さんが訳された
テレンス・ラティガン『銘々のテーブル』を登録する。(AG)



1999年7月20日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『虚構の春』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年7月19日
青空文庫のファイルは、どんなふうに使えるのか?
複製したり、再配布したりできるのか?
特定のブラウザーや個別の情報機器に対応させるため、タグを削ったり付け加えたりして良いのか?

収録作品が拡充していくにつれ、繰り返し寄せられるようになったこれらの問いに、あらかじめ答えておきたいと思い立った。
答えるなら、青空文庫の初心に添った形で、態度を明確にしたいと考えた。
皆さんとの長い論議を経て、「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」をまとめた。

今後、青空文庫で整備するものはこれに従って運用していくとして、私たちはこれまで、こうした明確な規準なしにたくさんのファイルを作ってきた。
すでに作ったファイルにも「規準」を適用して良いか、作業に関わった方におたずねし、大半の方からは、「良い」とのお返事を頂戴した。
この結果を基に、呼びかけ人は、過去のファイルにさかのぼって、「規準」を適用しようと考えている。

ただし、工作員のお一人からは、「自分の関わった作品には『規準』を適用してほしくない」という意思が示された。
「より縛りの厳しい扱いを求めたい」という意向だったので、別にメーリングリストを用意して、該当のファイルに付す「特例」の内容を論議してきた。

「特例」を巡る論議に望む際、私には「全て話がついてから、『規準』の運用開始を宣言したい」という思いがあった。
だから、決まったも同然の「規準」をここまで「案」のまま引きずってしまい、もう一方「特例」を巡る論議の中では、「早く話を進めたい」という思いがあって、何度か先走った発言を繰り返した。
そのことが、「特例」メーリングリストを混乱させてしまったように思う。

そのことの反省に基づいて、「規準」は「規準」として運用を開始し、「特例」に関する論議は、焦らずに腰を据えて進めてはと、考え直した。
もちろん、該当作品は「規準」の対象外として、「特例」が固まるまでは、複製、再配布は差し控えてもらう。
その歯止めをかけた上で、「特例」に関する論議を十分に尽くしたい。

「規準」作りは、青空文庫における協力のあり方を、明確に定義する試みだ。
だからこれからは、工作員として働いてくれる人、作品を登録してくれる方、一人一人に、はっきりと協力の形を示し、理解と納得の上で、作業していきたいと思う。
協力を思いたってくれた人には、まず
「工作員を志願される皆さんへ」という文書を読んでもらう。
作品登録を望む人には、まず「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」に目を通してもらう。
加えて、リンクに対する姿勢を明らかにするために、「青空文庫へのリンク規準」を用意する。
これら一群の文書と共に、「規準」の運用開始を宣言しようと思う。

青空文庫をはじめて訪れた人への心配りが、欠けているのではないかと、以前から気になっていた。
そこで、はじめに読んでもらう「青空文庫案内」的な文書を用意し、上記の一群の文書へは、その中から導こうかと考えている。

今回、はじめて皆さんに読んでいただく、三つの追加文書は、「これで運用します」と呼びかけ人から提示する性格のものだと思う。
けれど、「規準」を巡る論議の過程で、皆さんと話すことへの我々の信頼は、やはり膨らんだ。
時には辛くてしょうがなかったのも確かで、おまけにまだ、片は付いていないのだが、それでも得たものの方が遙かに大きかったと思う。

だから三つの追加文書に関しても、皆さんの意見を聞いて、あらためるべきはあらためたい。
これから二週間をかけて批判を頂戴し、磨きをかけた上で、8月1日あたりの運用開始を目指せればと考えている。
再度、皆さんのご協力を乞います。どうぞよろしくお願いいたします。(倫)



1999年7月19日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 鷹のゆくえ』を登録する。校正は、おのしげひこさんです。(AG)



1999年7月18日
 もりみつじゅんじさんが入力された
芥川龍之介『芥川龍之介歌集』を登録する。校正は、本木まゆみさんです。この『芥川龍之介歌集』は、底本である岩波書店「芥川龍之介全集 第一巻」に収められている芥川龍之介の和歌だけをまとめました。(AG)



1999年7月17日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『猟奇の街』を登録する。校正は、吉田亜津美さんです。(AG)



1999年7月16日
阪本順治監督の
「ビリケン」は、ションベン臭い映画館で噛んだスコンブの味がした。
ちょっとばかり不思議なことや、身の丈からわずかにはみ出るちっぽけな願いは、気軽にひょいとそこいらへんの神さんにあずけとく。「たのんます」と一つ、柏手でも打って、あとはわいわいがやがやと生きる〈ぬくい暮らし〉の像が、スクリーンを眺めている目玉の奥の方で膨らみはじめた。
エンドロールにかかってわいてきたのは、悔しいような思いだ。託された願いを叶えようと悪戦苦闘するビリケンさんのお姿を、私はもっともっと続けて見たかった。けれど、話の運びに少しゆるみが残った気がして、パラパラと立ち上がる客を数えると、続編は見られないかと少し気持ちがしぼんだ。

植松眞人さんの新作、「神さんが降りてきた。」を読み終えてまず浮かんだのは、ビリケンがかなえてくれなかった続編への期待だ。缶ジュース背負ってこの作品に現れる神さんは、ビリケンさんに比べてもはるかに非力そうで、神さん同士の人間関係(じゃまずいのか?)に翻弄されて、まことにご苦労が多そうだ。新規ビジネスに乗り出した意欲は買うにしても、ド厚かましい願い事でも押しつけられた日にはどんな難儀が肩にのしかかるものか、「人(?)の不幸は蜜の味」で、まことに興味津々である。
この神さん、ただの善人でもなさそうで、やられっぱなしでもないだろうしな。

文庫に登録されている植松さんの「コーヒーメーカー」「新世界交響曲」をはじめて読んだときには、完成度の高さを印象づけられた。〈不思議〉や〈巧み〉が、ゆるみなく、きちっと結晶している。
コピーライターという植松さんの仕事には、小説を書くことに重なる要素があるのかもしれない。〈できあがった感覚〉の源は、ここか。と同時に、植松さんの表現の意欲は、かなりしっかりと本職にも預けられるのだろう。となると、この神さんと再会したいという読者の勝手な願いも、実現は難しいのかもしれない。
それでも、自動販売機に硬貨を放り込むことでもあれば、そこは厚かましく、願を掛けてやろう。植松さんの語りが懐かしくなったら、登録済みの二作から読み直し、気長に再会を待とうと思う。(倫)



1999年7月15日
 小林徹さんが入力された
素木しづ『かなしみの日より』『雛鳥の夢』を登録する。校正は、福地博文さんです。(AG)



1999年7月14日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 弁天娘』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年7月13日
 赤木孝之さんが入力された
太宰治『道化の華』を登録する。校正者は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年7月12日
 赤木孝之さんが入力された
太宰治『陰火』を登録する。校正者は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年7月11日
 酔尻焼猿人さんが入力された
小栗虫太郎『白蟻』を登録する。校正者は、条希さんです。(AG)



1999年7月10日
宮武外骨『一円本流行の害毒と其裏面談』を登録する。入力は河上進さん。宮武外骨は1955年に亡くなったので、著作権は存続している。河上さんは宮武外骨の著作権継承者で評論家の吉野孝雄さんと親しく、その関係で公開を了承していただいた。経緯については「そらもよう」6月22日の富田さんの書き込みに詳しい。 河上さんは『季刊・本とコンピュータ』の編集デスクとして活躍している。7月12日発行の『季刊・本とコンピュータ』9号では河上さんが青空文庫を10ページにわたり大きく紹介してくれた。タイトルは「100人がつくった500冊の電子本「青空文庫」へようこそ」。何人かの工作員のかたがたにも取材の手がのびている。問題点も指摘されている。河上さんが宮武外骨のこの作品を入力した「にわか工作員」体験記もある。そしてさいごには作品リストまで載っている。ぜひ読んでください。 『本とコンピュータ』には雑誌とは一味違うオンライン版もある。こちらも覗いてみてください。(八巻)



1999年7月9日
 大野晋さんが入力された横光利一『
赤い着物笑われた子』『御身』『火』を登録する。校正者は、『赤い着物』『笑われた子』が伊藤祥さん、『蠅』が瀬戸さえ子さん、『火』が田尻幹二さん、そして『御身』がしずさんです。(AG)



1999年7月8日
 長谷悟さんが入力された
與謝野晶子訳『源氏物語』の「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅が枝」「藤のうら葉」「若菜(上)」「若菜(下)」「柏木」を登録する。校正者は、「螢」が双沢薫さん、「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「真木柱」「梅が枝」「若菜(上)」「若菜(下)」が渥美浩子さん、「藤袴」が佐々木春夫さん、「藤のうら葉」が渡辺裕子さん、「柏木」が小林繁雄さんです。(AG)



1999年7月7日
 能美武功さんが訳された
テレンス・ラティガン『眠りの森の王子』を登録する。

 この『眠りの森の王子』は、『王子と踊子』の題名で1957年に映画化されている。マリリン・モンローが独立プロで制作した映画で、ローレンス・オリビエが監督・主演をし、テレンス・ラティガン自身が脚色をしている。能美さんの話によると、モンローはラティガンと交渉するため直接イギリスへ出向いたということです。さんざん待たされたラティガンは、モンローに会うなり、怒るどころかその魅力に参ってしまったそうです。(AG)



1999年7月6日
 大野晋さんが入力された
エドガー・アラン・ポー作、佐々木直次郎訳『モルグ街の殺人事件』を登録する。校正者はj.utiyamaさんです。(AG)



1999年7月5日
 小林繁雄さんが入力された
南方熊楠『十二支考(2)兎に関する民俗と伝説』を登録する。校正者は曽我部真弓さんです。(AG)



1999年7月4日
 もりみつじゅんじさんが入力された
新美南吉『正坊とクロ』『張紅倫』『病む子の祭』を登録する。校正者は渥美浩子さんです。(AG)



1999年7月3日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『ロマネスク』を登録する。校正者は小林繁雄さんです。(AG)



1999年7月2日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 山祝いの夜』を登録する。校正は、ごまごまさんです。(AG)



1999年7月1日
 山口美佐さんが入力された
上田敏訳詩集『海潮音』を登録する。校正は、Jukiさんです。(AG)



1999年6月30日
 小林徹さんが入力された
水野仙子『女』『神樂阪の半襟』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年6月29日
 赤木孝之さんが入力された
太宰治『逆行』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年6月28日
tat_sukiさんの猛烈な働きと、校正にあたってくれている皆さんのお力を得て、岡本綺堂の半七捕物帳がどんどん登録されている。
この成果を受けて、大久保友博さんが
【半七捕物帳 執筆順リンク】というリストを作ってくれた。
書かれた順番に作品を並べ、作品名から文庫の図書カードにリンクしたこのリストが紹介されると、「事件の発生と解決の日付を入れてくれないか?」という注文が、みずたまりで付いた。
大久保さんも、このアイディアには乗ってくれている。

そこでどうだろう。半七捕物帳を読まれた方は、事件発生時点の確認にご協力いただけないだろうか? リストを確認して日付がブランクになってたら、是非、大久保さんにメールで教えてあげて欲しい。
今はまだ、日時に関するデーターはまったく集まっていない。
半七捕物帳から広がりはじめた輪を、今度はあなたに繋いもらえないだろうか。(倫)



1999年6月28日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『仮装観桜会』を登録する。校正は、鈴木伸吾さんです。(AG)



1999年6月27日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 春の雪解』を登録する。校正は、おのしげひこさんです。(AG)



1999年6月26日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『思い出す事など』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年6月25日
 能美武功さんが訳された
テレンス・ラティガンの『深く青い海』を登録する。(AG)



1999年6月24日
 小林徹さんが入力された
南部修太郎『猫又先生』を登録する。校正者は丹羽倫子さんです。(AG)



1999年6月23日
 柴田卓治さんが入力された
太宰治『地球図』を登録する。校正者はすずきともひろさんです。(AG)



1999年6月22日
「入力中の作品」に、宮武外骨『一円本流行の害毒と其裏面談』を記載する。
諧謔を能くするこの反骨のジャーナリストに関しては、まず雑誌『滑稽新聞』を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。彼はその後も、いろいろな雑誌を作っていて、新聞史研究者、江戸・明治の風俗研究家としての仕事も続くのだが、何しろ明治期に出した『滑稽新聞』の印象が強くて、私もずいぶん「古い人」にしてしまっていた。
実際には、外骨は長命を得て、1955(昭和30)年まで生きている。著作権は2006年の1月1日まで存続する。にもかかわらず、今回、外骨の電子化を進めている事情を、説明しておきたいと思う。

作者の死後、著作権を引き継がれた遺族に対して、「作品を公開させていただけないか」と打診することは、控えようと決めている。(「本という財産とどう向き合うか」
2.2)著作権の切れていない作品参照)
継承者は当然、権利を生活の支えとして頼まれるだろう。今は活かせていなくても、いつかまた本の企画が持ち上がるのではないかという、期待もあるはずだ。見も知らぬ者からの無料公開の申し入れは、まず間違いなく脅威と感じられるだろう。
この判断は、今も変わらない。だから、皆さんが「青空文庫」を名乗って個別に打診することは、これからも控えて欲しい。

にもかかわらず今回、『一円本流行の害毒と其裏面談』の作業を進めた理由は二つある。
一つは、外骨自身がこの小冊子に付した宣言だ。昭和初年、文学全集などが一冊一円という廉価で大量に刊行されたことに対し、〈出版バブルが来る〉と警鐘を鳴らしたこのパンフレットには、〈自分の見解を伝えるために、どんどん複製して配ってくれ〉とのコメントが付いている。
もう一つは、入力者と著作権継承者の特別な関係だ。
この作品の入力にあたってくれたのは、『季刊・本とコンピュータ』の編集者である河上進さんである。実は同誌の次の号には、青空文庫の「訪問記」が載ることになっていて、担当する河上さんが「にわか工作員として作業し、体験レポートを書こう」と申し入れてくれた。
候補を検討する内、外骨の著作権を引き継がれている評論家の吉野孝雄さんと、河上さんが親しいことがわかった。吉野さんが編まれた『雑誌集成 宮武外骨此中にあり』(ゆまに書房)の担当編集者が、河上さんだった。
こうした二つの事情が重なって、今回はあえて禁を破り、吉野さんに『一円本流行の害毒と其裏面談』の公開を願い出て、お許しをいただいた。
吉野さんは、「宮武外骨解剖」というページを開いておられる。ファイルはここに置いて、文庫の図書カードからリンクする形を取ろうと考えている。(倫)



1999年6月22日
 小林徹さんが入力された
國木田獨歩『石清虚』を登録する。校正者はしずさんです。(AG)



1999年6月21日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 広重と河獺』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年6月20日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『満韓ところどころ』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年6月19日
 能美武功さんが訳されたテレンス・ラティガンの
『シルヴィアって誰?』を登録する。(AG)



1999年6月18日
小熊秀雄全集7『詩集6 長篇詩集』同12『詩集11 文壇諷刺詩篇』を登録する。入力は八巻美恵さん。前者には「長長秋夜」に代表される長篇詩を、後者には志賀直哉、島崎藤村といった文壇人をからかい、あてこすり、笑いのめした詩をおさめた。長篇詩にも独特のユーモアが濃く、どの作品をとっても、自由に、奔放に、かつ真摯に生きた小熊秀雄の世界の魅力が示されていると思う。 なお、全集7の登録を機会に、これまで単独で登録していた『長長秋夜』は文庫から削除する。(楽)



1999年6月17日
 小林徹さんが入力された
三島霜川『青い顏』を登録する。校正者は山本奈津恵さんです。(AG)



1999年6月16日
 小林徹さんが入力された
 水野仙子『四十餘日』を登録する。校正者は田尻幹二さんです。(AG)



1999年6月15日
 赤木孝之さんが入力された
太宰治『猿面冠者』を登録する。校正者は湯地光弘さんです。(AG)



1999年6月14日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『永日小品』『夏目漱石 評論集』を登録する。この『評論集』には、夏目漱石の比較的短い評論、『コンラッドの描きたる自然について』『田山花袋君に答う』『文壇の趨勢』『明治座の所感を虚子君に問れて』『虚子君へ』を収めました。校正者は大野晋さんです。(AG)



1999年6月13日
工作員のみなさんに、
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に対する諾否をおたずねした結果は、現時点で「諾」が87、「否」が1となっている。
問い合わせのメールは、153通送ったから、回答率は約58パーセントという計算になる。

工作員を志願してくださった方は皆、それぞれの人生の途上にある。雨も降れば風も吹くだろう。ここぞと思う働き場所を、別に見つけられることもあるはずだ。いったんは協力を申し入れながら、順調に進められないことは当然起こりうる。そうなったとき、取り下げや遅れの連絡は、なかなか取りにくいだろうと思う。ただ私たちもそのままにはしておけなくて、それとなく状況をたずねるメールを、あいだをおいて送っている。
今回の問い合わせは、明らかに文庫との縁が薄れてしまったと思われる方にも、漏れなく入れた。みんながみんな、常に電子メールをチェックするとは限らないし、この問題が自分にどう関わるのかぴんとこない人、延々と続く込み入った議論に嫌気のさす人もいるだろう。率直に言って、これだけ返答を寄せていただけるとは、予想していなかった。
答えてくださった皆さん。本当に、ありがとうございました。

インターネットの上で、電子メールだけで繋がっている仲間と、どう物事を決めていけば良いのか、私にはよくわからない。
あらかじめ気持ちを摺り合わせることなく、「こう決めた」と押しつけることは簡単だ。ただそんなことをすれば、共感だけで成り立っている運動そのものが、容易にしぼむ。
固定的な母集団を持たず、心を響き合わせることで人の輪を広げていこうとする試みに、多数決原理がなじむとも思えない。

『ルネッサンスパブリッシャー宣言』で松本功さんが、村の寄り合いについて触れていた。宮本常一の記述を引き、西欧流の民主主義の形式だけ取り入れて、伝統的な村の話し合いの技術を捨てたことで、「地場の論理が破壊された」と松本さんいう。
村ではかつて、取り決めをおこなう必要があるときには、まとめ役のところに集まって、延々と話し合いを続けた。腹が減ったら、家から弁当を持ってくる。夜が更けると、その場で眠る者もあり、話し続けて夜を明かす者もある。寄り合いは結論が出るまで続くのが当たり前だったが、それでも三日もすれば、難しい話もたいていは片が付いたという。
この間、皆さんと論議を続けながら、私はこの寄り合いの情景を思っていた。

私たちの寄り合いには、規則めいた約束はない。だから数や率は、「決まった」とすることの、明確な根拠にはなりえない。
けれど今回、私たちはここまでせいいっぱい、話し合ったんじゃないだろうかと思う。
「受け入れられない」とされる方が関わった作品をのぞき、これで、登録済みのファイルにさかのぼって「規準」を適用しようと思うのだけれど、みんなどうだろう?
「それではやはり、まずい」と思われたら、みずたまりに書き込むなり、info@aozora.gr.jpにメールを入れて欲しい。もうしばらく待って、反対の声が上がらなければ、今回の寄り合いはここで開き、「規準」の適用開始を宣言したい。

関わった方から、「否」の回答があった場合は、先に示した手順の「6」で、「特別な制限を付けよう」と提案している。特例の具体的な中身は、「反対された方のご意向を伺い、それをもとに、かかわった方全員と呼びかけ人で、話し合って」という、「7」に示した方針に従って、決めていってはどうだろう。
これをどこで進めるか。新たにメーリング・リストを開く手もあるが、まずは、みずたまりからはじめてみようかと考えている。

なんだか少し、外が明るくなって、鳥の声まで聞こえてきたようだ。
あともう一がんばりして、みんなで朝を迎えたい。(倫)



1999年6月13日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『行人』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年6月12日
 能美武功さんが訳されたテレンス・ラティガンの
『蠱惑草』を登録する。(AG)



1999年6月11日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 帯取りの池』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年6月10日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『錯覚の拷問室』を登録する。校正は、しずさんです。(AG)



1999年6月9日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『羅生門』(旧字・旧仮名)を登録する。校正者はもりみつじゅんじさんです。

 j.utiyamaさんが入力の際に底本としたのは、ほるぷ出版の日本の文学33「羅生門」でした。この本は、阿蘭陀書房版「羅生門」を親本としている、と明記されていましたが、新字新仮名遣いに改めてありました。そこで、たまたま手元にほるぷ出版から出ている阿蘭陀書房版「羅生門」の復刻版がありましたので、j.utiyamaさんへ断った上で、その復刻版にすべて合わせることにいたしました。そしてその阿蘭陀書房版「羅生門」の表紙に使われていた菅虎雄(1864〜1943)の題字もスキャニングした上、PhotoShopでレタッチして使用しました。

 今回は、ボイジャー社の「T-Time」ファイル(ttzファイル)も用意いたしました。このファイルは、阿蘭陀書房版「羅生門」のレイアウトを再現したものです。1行、1行、阿蘭陀書房版に合わせてあるつもりです。Windowsでは、MS明朝、DF平成明朝、秀英明朝体、Macintoshでは、細明朝体、平成明朝体、本明朝-M、秀英明朝体でレイアウトが崩れないことを確認をしました。このファイルは縦が640pixelありますので、できれば縦が640pixel以上の解像度のモニタで御覧になってください。またこのファイルは、最初の立ち上がりはこちらで設定したレイアウトが再現されますが、その後は、ご自分の読みやすい設定に変更することができます。

「T-Time」はこちらで機能限定版を手に入れることができます。このLite版があれば「T-Time」ファイルを見ることが可能です。もちろん製品版の「T-Time」をお持ちの方は、それで見ることが可能です。ただ「T-Time」には、Apple社のQuickTime3.0が必須です。こちらのアップルのサイトからダウンロードするか、雑誌の附録CD-ROMから手に入れて下さい。大分大きなファイルのダウンロードとなりますので、雑誌のCD-ROMなどから手に入れた方が良いかもしれません。現在はQuickTime4.0を手に入れることができるようですね。(AG)



1999年6月8日
 作家別本のリストの【あ】の項目が、芥川龍之介や岡本綺堂の作品があるため大分長くなってしまいました。そこで、作品の多い作家は単独のページを儲けることにいたしました。また一つ階層が深いページが出来てしまいますがご了承下さい。(AG)



1999年6月8日
 大野晋さんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 生首の進物』を登録する。校正は、福地博文さんです。(AG)



1999年6月7日
 能美武功さんが訳されたテレンス・ラティガンの
『お日様のあるうちに』を登録する。(AG)



1999年6月6日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『或る嬰児殺しの動機』を登録する。校正は、鈴木伸吾さんです。(AG)



1999年6月5日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 歩兵の髪切り』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年6月4日
現在、工作員のみなさんに諾否を諮っている「ファイルの取り扱い規準」に関して、ご報告し、お許しを乞いたい問題が生じました。
案には、免責にかかわる、以下のような記述を盛り込んでいました。
ファイルは、誤りを含んでいる可能性があります。
ファイルを用いたことで、何らかの被害があったとしても、青空文庫側は責めを負いません。
「これでは、誤りに目をつぶるような印象を与えるのではないか。
文庫のトップページに示してある、「通りすがりの誤植の指摘を歓迎します」という精神にそって、教えてもらえれば、ファイルを正すというメッセージをここにも盛り込んだ方が良いのではないか。」というご指摘を受け、私たちももっともであると考え直しました。
そこで、該当の個所を、以下のように修正したいと思います。
ファイルは、誤りを含んでいる可能性があります。
誤りに気付かれた際は、info@aozora.gr.jp宛にご連絡ください。確認、修正の後、ファイルを差し替えます。
ただし、ファイルを用いたことで何らかの被害があったとしても、青空文庫側は責めを負いません。
修正点に対して、あらためて工作員のお一人お一人に諾否を問うステップは、省かせていただけないかと考えています。基本的なルールを曲げている点は重々承知していますが、この修正は案の精神をより明確に示すためのもので、なんらルールの変更に関わる要素はないとの判断に基づいてのお願いです。
それに、率直に言って、案そのものへの回答と混乱を生じさせることなしに、素早く集計する自信がありません。
異議のある方は、info@aozora.gr.jpにご一方いただく形で進めさせてくださいますよう、この点は伏して御願い申し上げます。(倫)



1999年6月4日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 奥女中』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年6月3日
新美南吉『狐』を登録する。
よく知られている「ごん狐」とは違って、こちらは人間の子供たちの心にしのびこんだ「きつねつき」をめぐる物語。のんびりした田舎の祭りの日を背景に、母と子の絆が南吉らしい細やかなタッチで描かれる。小さなお子さんのいらっしゃる方は、ぜひ音読してあげてください。(楽)



1999年6月2日
「収録ファイルの取り扱い規準」運用開始に向けて、昨夜遅く、ステップをまた一つ上った。「規準」を受け入れてくださるか否か、直接おたずねするメールを、工作員の皆さんお一人お一人に、ようやく送ることができた。
関わっていただいた作品が、一度でも登録された方には、漏れなくお送りしたつもりだ。けれど、未登録の方の中には、長らく作業中となっているケースがあって、どのように対処するべきか迷った。本日、こうした方の何人かにも、打診のメールを続けて送らせていただくが、明日になっても「届くべき打診が届かない」場合は、info@aozora.gr.jp宛、御連絡を賜りたい。

今回の打診に同意してくれる人が多ければ多いほど、これまで作っていただいたファイルに、より広く「規準」を適用できる。
ここまで引きずってきた曖昧さにのみを入れ、青空文庫の初心をより鮮明に示したのが規準―。皆さんとの論議の中で、共有できると確信するようになったこの思いが、独りよがりに終わらぬことを祈りながら、返答をお待ちします。(倫)



1999年6月2日
 j.utiyamaさんが入力された
梶井基次郎『のんきな患者』を登録する。校正は、二宮知美さんです。(AG)



1999年6月1日
作品を寄せてくださっている佐野良二さんから、「
読者の声のページを置いてみた」と御連絡をいただいた。
さっそくおじゃましてみると、そらもように書いた私の紹介文が大きな顔で出しゃばっていて、ちょっと恥ずかしい。それでも、青空文庫経由で読んでくれた人の、心からのコメントを追ううちに、佐野さんに向けてとも、自分に対してともつかず、「よかった」と声をかけたくなった。このページを手がかりに、『われらリフター』『五味氏の宝物』『闇の力』『飛び出しナイフ』『尾なし犬』といった佐野作品に触れる人の輪が、広がってくれればと思う。

同様のページは、『スレイブ』を登録してくれている、畑仲哲雄さんのところにもある。おや、ここでも私が出しゃばっているな〜。(倫)



1999年6月1日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 半鐘の怪』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年5月31日
 赤木孝之さんが入力された
太宰治『列車』を登録する。校正は、田尻幹二さんです。(AG)



1999年5月30日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 蟹のお角』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年5月29日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『芋粥』を登録する。校正は、吉田亜津美さんです。(AG)



1999年5月28日
 もりみつじゅんじさんが入力された
北條民雄『いのちの初夜』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年5月27日
文庫のファイルは、どんなふうに使えるのか。
たったそれだけのことを決めるために、いろいろな人の、いろいろな考えに、えんえんと向き合った。曖昧に自分が思い浮かべていたことを、針の穴を射抜くように言い当ててもらったことがある。お互いの考えを隔てる溝の深さに、暗澹たる気分を呑んだことがある。呼びかけ人の中でも、激しくぶつかり合い、深く信頼する仲間を傷つけた。

このようにしてまとめた、
「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」を示す。
文庫を育ててくれたすべての皆さんに、受け入れられるか否か、判定を仰ぎたい。(倫)



1999年5月27日
 能美武功さんが訳されたテレンス・ラティガンの
『炎の道』を登録する。(AG)



1999年5月26日
 山田豊さんが入力された
芥川龍之介『「鏡花全集」目録開口』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年5月25日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 お化け師匠』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年5月24日
昨年8月に登録した
小熊秀雄全集の第1巻『短歌集』に修正を加え、再度登録した。前にお知らせした「底本の月報にまとめられていた訂正」に基づく修正である。短歌集そのものがあまり大きなサイズのものではないし、底本の訂正もごくわずかなものだが、なかで目立つのは、旭川時代の短歌2首が削除されていることである。月報には何も説明されていないが、ということはその2首はそもそも小熊作品であるという確実な裏付けがなかったのか、それとも他人の作品を編集上あやまって載せてしまったのか。いずれにしても、気になる方は、お手数ながら、再度のダウンロードをお願いします。(楽)



1999年5月24日
 大野晋さんが入力された
佐左木俊郎『街頭の偽映鏡』を登録する。校正は、曽我部真弓さんです。(AG)



1999年5月23日
 田島曉雄さんが入力された
富岡誠『杉よ! 眼の男よ!』を登録する。校正は、Jukiさんです。(AG)



1999年5月22日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 菊人形の昔』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年5月21日
 八巻美惠さんが入力された
太宰治『津軽』を登録する。(AG)



1999年5月20日
 能美武功さんが訳されたテレンス・ラティガンの
『涙なしのフランス語』を登録する。この『涙なしのフランス語』の初演は1936年。その当時のキャストには、トレヴァー・ハワード、レックス・ハリソン、ジェシカ・タンディの名前が見える。小説や映画は後世にまで形を残すが、舞台はそうはいかない。こんな豪華なキャストの舞台が見られる時代に生まれたかったと思う。(AG)



1999年5月19日
青空文庫に収められている作品は、どんなふうに使えるのか。何ができて、何ができないのか。この点をはっきり示そうと、準備を進めている。
この規準は、文庫の作業に協力してくれた方全員に諮った上で、運用に移りたい。先日から、関連する論議を、みずたまりで交わしている。ここに寄せられたコメントを、
文書にまとめた。とても長くなって恐縮だが、工作員の皆さんには、是非、お目通し願いたい。
インターネットという空間をどう使っていくか、道を選ぶ際、誰もが突き当たるだろう大切なテーマが浮かび上がっていると思う。この話をできたことも、青空文庫の実りであると、私はそう考える。(倫)



1999年5月19日
 
『長塚節歌集 上』『同 中』『同 下』『長塚節句集』を登録する。入力は、町野修三さん。400ページを越える底本からの入力、町野さん、本当にご苦労さまでした。
 内容について、簡単に説明しておく。『歌集』3巻には、長塚節が残したすべての短歌・長歌・旋頭歌がおさめられている。巻それぞれに、上:明治31〜36年、中:明治37〜41年、下:明治44〜大正3年の作品がまとめてある。これまで独立した作品として青空文庫に登録してきた『病中雜咏』『鍼の如く』は登録を抹消することとし、あらためて下巻におさめた。また、『句集』には、明治37年の作と伝えられる俳句をおさめた。数はごく少ないが、これが全句である。
 正岡子規の門下生中でも、長塚節は最も洗練された、透明で繊細かつ瑞々しい美を歌の世界につくりだした人である。長歌の部類は、現代人にはなかなか理解しにくいだろう。しかし、短歌、ことに病に倒れてからの晩年の作は、深夜にひとり画面で読み進めると、心の奧深くにひたひたとしみとおってくるものが確実にある。(楽)



1999年5月18日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『勲章を貰う話』を登録する。校正者は、瀬尾明子さんです。(AG)



1999年5月17日
 森下祐行さんが入力された
渡辺温『少女』を登録する。校正者は、もりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年5月16日
 鈴木厚司さんが入力された
石川啄木『性急な思想』国木田独歩『恋を恋する人』を登録する。(AG)



1999年5月15日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『秋山図』十本の針女仙』を登録する。校正者は、『秋山図』『女仙』がもりみつじゅんじさん、『十本の針』が菅野朋子さんです。(AG)



1999年5月14日
 佐藤洋之さんが入力された
織田作之助『土曜夫人』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年5月13日
 Mt.fujiさんが入力された
国木田独歩『運命論者』を登録する。校正者は福地博文さんです。(AG)



1999年5月12日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『京に着ける夕』『ケーベル先生』『子規の画』『初秋の一日』『長谷川君と余』『文鳥』『変な音』『三山居士』を登録する。校正者は大野晋さんです。(AG)



1999年5月11日
  tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 河豚太鼓』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年5月10日
  tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 勘平の死』を登録する。校正は、湯地光弘さんです。(AG)



1999年5月9日
太宰治『黄金風景』を登録する。入力は、深水英一郎さんと加藤るみさん。校正には、加藤るみさんがあたってくれた。

「インターネットの本屋さん『まぐまぐ』」では、電子メールで配信する「日本文学(e-text)全集」と名付けた企画を進めている。案内のページを見た方なら、ぴんときたかもしれない。太宰治の『黄金風景』は、この配信サンプルに使われている。深水さんは「まぐまぐ」を作った人。加藤るみさんは、同サイトの顔となって外部との対応に当たっている、「まぐまぐのリーダー的存在」だ。
実は深水さんからは、企画の検討段階で連絡をいただいていた。ファイル作成が始まると、「青空工作員の深水」を名乗って、「入力中の作品」への登録要請が寄せられた。電子メールでの配信という枠組みで進めるから、長めの作品は、全集では区切って送られる。ただし、バックナンバーを置く場所が用意されるから、「こことあそこのあいだが抜けて見つからない」と騒ぐような心配はない。加えて深水さんは、青空文庫も、少し毛色の変わったミラーとして使ってやろうと考えてくれた。ファイルをお預かりできれば、私たちは校正を重ねられる。T-Timeのルビ形式に対応させたり、エキスパンドブック版を用意したりといった味付けも施せる。外字リストの存在も〈味〉として認めてもらえると、担当している者としてはありがたい。そうした青空文庫のいくつかの機能を、深水さんは評価してくれた。

すでに青空文庫以外で電子化された作品に対して、どう対処するかという問題は、なかなかむつかしい。
相談してファイルの利用を認めてもらう。図書館的なサイトなら、相互に利用を認めあう。それぞれのサイトは独自の味付けに工夫を凝らし、省けた時間で、別の作品の電子化や後処理を進める。
とこんな形が取れればと、文庫の開設当初から、考えてはいた。事実、入力ファイルを送って下さる方には、そうした感覚で青空文庫を使ってくれる人もいる。けれど私たちの側からは、「使わせてください」とお願いしにくいケースもあった。どこか別の所にあるからといって、「自分で入れたい」と申し入れてくれる人の気持ちを、おさえることもしにくかった。
ところが深水さんは、大きな企画を自力で準備しながら、同時に青空文庫も認めてくれた。同企画のFAQに行くと、「すでにどなたかがデジタル化している場合は、転載が可能か問い合わせします」とある。はじめに連絡を頂戴したときにもお答えした内容ではあるが、「すでに文庫にある作品を配信される際は、当方のファイルを使ってください」と、重ねて申し上げた。

青空文庫のファイルの取り扱いルールは、「本のリスト」の冒頭に示してある。だが、山形浩生さんの批判にあるとおり、これでは曖昧だ(であるので、以下はこれを「ゆるふんガイドライン」と称する)。Newtonやザウルス、WorkPadといった小さな道具で読むために、ファイルを作り替えようと考えた場合、また、独自の編集を施して自分たちのサイトに置きたいと思い立った際など、誰にどう断ればいいのか、あるいはまったく断らなくて良いのかが明確でない。著作権の切れているものと切れていないものの、区別も示していない。
ただし、これまで現実にファイル利用の打診があった際には、次のように答えてきた。
著作権の切れていないもの:青空文庫には、作品の利用に関して回答する権利がない。著作権者に直接連絡を取って、判断を仰いで欲しい。
著作権の切れているもの:無料公開されるのなら、自由に使ってもらってかまわない。ファイルフォーマットの変更も、もちろん結構。ただし、ファイルに添えている入力者と校正者の名前は、削らないで欲しい。該当のファイルが青空文庫を舞台とした協力の中から生まれたものであることを、なんらかの形で分かるようにして欲しい。(「ファイルは青空文庫から」としてもらえれば、それで足りる。)
著作権切れのファイルを有料の商品に組み込みたいという依頼も、一件だけあった。DTPソフトの、加工サンプルとして使いたいという例だ。この際は、入力と校正に当たられた方に了解を求め、了承が得られたので、使ってもらった。
呼びかけ人の段階で、著作権切れの作品に関して「どうぞ」と答えることは、ゆるふんガイドラインの規定に照らせば、越権行為である。ただ、「入力や校正やファイル作成の作業を担ったことで、電子化テキストを〈縛る〉権利は生じない。現行法のどこにもそんな規定はないし、今後、〈縛る〉側で法整備をするべきでもない」あるいは、「電子翻刻者に与えられるべきものは、自らの心の充足と、利用する人の感謝以上のものであってはならない」という私たちの基本的な考え方は、折に触れて示してきた。この精神を運用上の方針に落とし込めば、「著作権切れファイルの利用は、原則自由。ただ作業者の名前は削らないで欲しい」という形でよいだろうと考え、そう対応してきた。

今回、「日本文学(e-text)全集」との連携が動き始め、先延ばししてきた点を山形さんから指摘してもらったのを機会に、私たちは青空文庫のファイルに関して、何ができて何ができないのか、一目見て分かるようにしたいと考えている。
基本は、これまでの対応方針どおりで良いのではないだろうか。少し悩ましいのは、商品に利用する際だろう。
例えば「まぐまぐ」は、株式会社まぐまぐによって運営されている。個々のメールマガジンは無料で配信されるが、経営は広告収入によって成り立っている。青空文庫の事務局機能を支える一助として、私たちのページも広告を入れている。厳密に見ていけば、有料と無料の線引きはかなり難しい。私自身は、商品への利用を拒んでも、意味はないのではないかと思い始めている。以下は個人レベルの腹案だが、著作権切れは一切自由。商売する人が現れれば、広告の出稿なり、資金援助なり、入力や校正への協力なりを要請してみる。「テキスト・アーカイヴィングの仲間になろう」と呼びかける。それで無視されれば、みんなでそろって念でもかけて、あとはさっぱり忘れてしまうのが、健康にもよいのではなかろうか。
ともあれ、ファイルの取り扱いルールに関する原案を、時を置かずに示そうと思う。すべての工作員の皆さんには、その形で協力できるか、直すとすればどこを直せばよいか、ご意見を賜りたい。作業に当たられていない方ももちろん、思うところがあれば聞かせて欲しい。独自の規準でアーカイヴィングを進めておられる皆さんには、我々が明示するファイル利用の原則を踏まえ、連携相手の候補に青空文庫を加えていただけるとありがたい。
広がり始めた波紋を、遠く広く行き渡らせるために、さて、もう一仕事。(倫)



1999年5月8日
トップページの左肩に、しるしを置いた。
誰がいたから青空文庫を始められたのか、ずっと覚えておくためだ。
蒼穹を翔る星は、エキスパンドブックとT-Timeの生みの親である祝田久さんが、デザインしくれた。
もう一度、ボイジャーにありがとう。
そして、これからもどうぞよろしく。(倫)



1999年5月8日
藤下真潮さんの『エア ―黄泉戸喫―』を登録する。
すでに登録済みの『イブ −覚醒儀式−』『インターミッション』に続く第三部で、今回のテーマは遺伝子。イブ・シリーズは、本編で完結という。
本シリーズが生まれるきっかけとなったのは、川原由美子の『観用少女』という作品だ。この中に出てくる、〈プランツ〉の背後に、藤下さんは大きな物語を仕込みたくなったのだろう。一つの出来事、一つの存在を、大きな流れの中に位置づけたいという衝動は、物語の書き手をしばしば突き動かす。第三部では、プランツ誕生の大仕掛けがぐんぐん動き出して、一気に読み進んだ。
読後、藤下さんに二三、突っ込んだ。
・プランツにおける単為生殖のトリガーとなるのは、性交なのだろうか?
・瑠璃の子は、覚醒に問題を生じなかったのか?
・瑠璃の子孫は、かなりの数に及んでいるらしい。もしプランツの単為生殖のトリガーが性交なら、瑠璃の娘群は、理解ある夫群を獲得できたということか。
藤下さんから返ってきた答えは、ここには書かない。mashの本棚で読後にでもたずねてもらえれば、作者からの謎解きがあるだろう。(倫)



1999年5月7日
小熊秀雄『小熊秀雄全集-8 詩集(7)恋愛詩篇』を登録する。
おさめられているのは、昭和10年に刊行された『小熊秀雄詩集』以後に書かれた、恋愛をテーマにした詩16篇である。いずれも黙って読んでいただくのが一番、よけいな解説はいらない。
岩波文庫版『小熊秀雄詩集』解説に次のような小熊の私生活についての小熊夫人の回想が載っているので、参考のために引用しておこう。「……(小熊は)六人位の女性と恋愛交渉、又は恋愛的交渉がありました。たいていは半年位で終ったらしく、次ぎ次ぎに新しい恋人が現われてきました。小熊は、私にはかくさず家に連れてきました」(楽)



1999年5月6日
  tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 幽霊の観世物』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年5月5日
  佐藤律子さんが入力された
岡本かの子『老妓抄』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年5月1日
  大野晋さんが入力された
佐々木味津三『右門捕物帖 南蛮幽霊』を登録する。校正は、菅野朋子さんです。(AG)



1999年4月30日
  tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 夜叉神堂』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年4月29日
 小林徹さんが入力された
水野仙子『響』を登録する。校正は田尻幹二さんです。(AG)



1999年4月28日
小葉武史さんの、『sophia』を登録する。
作者の言葉をそのまま借りれば、作品は「ニーチェ以降の近代社会思想の系譜を、小説の形式で表した」もの。その狙いを、正面から受け止めた自信はまるでないが、私の読後感を一言だけ添えさせてもらう。
70年安保の年は、高校二年から三年にかかっていた。学外の集会やデモに参加する生徒に身を寄せ、とにかく話そうとする教師の家に、仲間としばしばたむろした。私たちの先輩にあたり、高校卒業後すぐにその教師と結婚したのだというきっぱりとした気性の奥さんとも、いろいろな話をした。異性に強く惹かれる気持ちと裏表のおそれを、ある時「迷惑」という言葉で話したことがある。自分の内に目覚めた好意だけを根拠に、相手の時間、大げさに言えば人生に介入して良いのか、ためらうというようなことを言ったはずだ。その時、「あなたは、他人と一度も、しっかり向き合ったことがない。まだ、生きてないよ」と、とても強い調子で張り飛ばされた。
『sophia』の主人公を支配しているものを、作者の狙いとは無関係に自分のレベルまで引き下げ、高校生の時のあのとまどいに当てはめて、私は受け止めた。互いの重力に引き、引かれることに、その後の私は、なんとなく成り行きで慣れていった。だが彼は、延々たる哲学的思弁を積み重ねた後、小さなきっかけを得てようやく、突破口を開く。それにしても、どれほどの考えが、そこに至るまでに求められたことか。小葉さん、人というのは、なんともやっかいな生き物ですね。
オノヨーコがロンドンで展覧会を開いたとき、内覧の日にジョン・レノンが会場を訪れる。入ってすぐの所に、白い脚立が置いてあり、天井から虫眼鏡が吊されている。脚立の上にのぼって、天井に書かれた小さな文字を虫眼鏡でのぞくと、「yes」と書いてある。「no」だったり、「nasty」だったなら、すぐに会場を出ただろう。その「yes」に、あたたかみを感じたんだと、ジョン・レノンは、はじめての出会いについて語っている。『sophia』の長い長い長いはしごを登った先にも、小さく「yes」と書いてある。(倫)



1999年4月27日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 吉良の脇指』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年4月26日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 青山の仇討』を登録する。校正は、大野晋さんです。(AG)



1999年4月25日
青空文庫を、情報の流れのよい場所に移すことにした。「繋がらない、遅い」という問題を解決するためだ。
今後、メインサイトとして扱う
http://www.aozora.gr.jp/と、ミラーサイトとするhttp://www3.wind.ne.jp/mazmoto/aozorabunko/は、すでに、使える状態にある。両サイトとも中味はまったく同じで、更新も同時に進めていく。試してみて速そうな方に、今すぐブックマークを切り替えてもらえるとありがたい。片方にアクセスできない場合があっても、今後はもう一方を試してもらうことができる。

青空文庫が「そこにあるもの」として受け止められることに、違和感を覚えることがある。文庫は、1年半ほど前に、数人がはじめたものだ。それが私たちだったから、今に至る経緯はよく知っている。ちょっとしたウェッブページを開く程度の意識でスタートしてみると、驚くほどたくさんの人が、協力を申し入れてくれた。小さなきっかけを私たちが作り、育てたのは工作員として力をふるってくれた人と、さまざまな支援の手をさしのべてくれた人たちだ。人がはじめ、人によって育てられた。
当初、大きなことは考えていなかったから、「お金なんていらないよ」といってくれる、ボイジャーのサーバーを使わせてもらった。スタート時点では、アクセスは当然限りなくゼロに近く、半年後に週平均のページビューが2万近くなったときには驚いた。さらにそこから半年が過ぎ、今年に入ってからは、週に12万ページビューを数えるようになった。青空文庫は、少し大きなファイルのダウンロードが中心となっているから、現れた数字より、回線にかかる負担は大きいはずだ。どうやらこのレベルで、ボイジャーが利用しているOCNエコノミーの限界に突き当たったらしい。「繋がらない、遅い」が常態化し、サーバーのダウンが頻発するようになった。回線は本来、ボイジャーが業務のために用意したものだ。文庫の利用者に迷惑がかかるだけでなく、ボイジャーのビジネスに差し障るようになった。同社社長の萩野正昭さんからは、さらに踏み込んだ支援強化の提案をいただいた。けれど、文庫を「育てよう」とする意思がしぼまない限り、アクセスは今後も伸び続けるだろう。思い切って、強力な基盤を持った場所に移し、ミラーサイトの設置にも取り組んでいかなければ、早晩「繋がらない、遅い」がぶり返すのは明らかだろうと考えた。
青空文庫の新しいメインサイトは、アスキーエデュケーションカンパニーの支援によって、ミラーサイトは群馬インターネットのご厚意によって、設置することができた。道を付けてくれたのは、松本吉彦さんだ。(松本さんが何をしてきた人かは、『パソコン創世記』の第二部第五章を読んでもらえれば分かる。)両社と松本さんのご支援に、心からのお礼を申し上げる。
これまで使ってきたhttp://www.voyager.co.jp/aozora/は、あと5日間、4月いっぱい更新を続ける。その後、新しい内容は盛り込まず、5月末まで併用した後、運用を停止する。ここまで青空文庫を懐に抱いて育ててくれたボイジャーの皆さん、本当にありがとうございました。
人がはじめ、人に育てられて、青空文庫はここまできた。今また、人の働きをえて、階段を一つ上ることができた。ここになにがしかがあるとすれば、それはすべて人の手の業だ。(倫)



1999年4月25日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 かむろ蛇』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年4月24日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 唐人飴』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年4月23日
八巻美恵さんと分担で進めている「小熊秀雄全集」は、底本を図書館から借りて入力・校正などの作業を行っている。図書館の貸し出し期間は2週間で、これだけの期間ではとても入力は終わらない。そこで、必要な個所のコピーをとり、それをもとに作業するという方法で進めている。
たいていの全集ものには、別刷りの「月報」がつきものだが、このほど、ふとしたことから小熊全集の最終巻の月報に「訂正」が含まれていることがわかった。内容は主に誤植の訂正で、実に15ページある。これまで、「訂正」の存在に気づかないまま作業してきたため、当然ながら青空文庫版の小熊全集は初版の誤植をそのまま受け継いでいる。 そこで、「訂正」に基づき、すでに登録ずみのファイル1つ1つにあらためて修正を加えていくことにした。これまで読んでくださっている方々には再度ファイルのダウンロードの手間をかけてしまうことになり、まことに申し訳ないのだが、とりあえず先日登録したばかりの
「全集2 初期詩篇」のテキストファイル、HTMLファイル、エキスパンドブック・ファイルに修正を加えて再登録する。
それ以外の巻についても1つ1つ修正と再登録を行い、その都度この「そらもよう」でお知らせしていくつもりでいる。(楽)



1999年4月23日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『ゼラール中尉』を登録する。校正者は小林真弓さんです。(AG)



1999年4月22日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『門』を登録する。校正者は高橋知仁さんです。(AG)



1999年4月21日
本日から、『本とコンピュータ』の広告が、トップページに加わる。
『本とコンピュータ』は、まず季刊の雑誌から始まった。「伝統的な活字本の世界に生きる人びと。新しい電子本をつくる人びと。そして、いまや非印刷の領域をも視野におさめて動きはじめている印刷界の人びと」の対話によって、本のこれからを考えてゆくと、編集長の津野海太郎さんは語っている。明らかに、青空文庫の立脚点は、同誌の足の置き場所にごく近い。私も毎号じっくり読んで、うなずいたり首をひねったりしながら、楽しんでいる。
現在書店に並んでいるのは、通巻8号目になる1999年春号だ。水上勉さんの「パソコン生活を語る」が面白い。キヤノンのEZPSから入り、今はMacで書いている水上さんには、デジタルのさまざまなトラブルにもストレスを高じさせない極意がある。秘策は、同誌をお求めの上、47ページで。この号では、テキスト・アーカイブの先駆けであるプロジェクト・グーテンベルクのマイケル・ハートさんが「負けないぞ!」と吼え、「異聞マルチメディア誕生記」の連載では萩野正昭さんが、青空文庫の誕生から今日に至る経緯を書いてくれている。
トップページにもどってバナーをクリックすると、『本とコンピュータ』というウェッブページにジャンプする。こちらは紙版とは別ものの、室謙二さん編集による、オンライン月刊誌だ。紀田順一郎さんによる大型連載、「技術と日本語ものがたり」には、コンピューターならではの味付けもたっぷりきかせてあって楽しい。世界、とりわけアジアの出版、電子出版事情を伝えてくれる点でも、この雑誌は特徴的だ。
広告という形で支援の手をさしのべてくださった『本とコンピュータ』の皆さん、ありがとうございます。文庫を訪れてくださる皆さん、どうぞ『本とコンピュータ』にご注目ください。(倫)



1999年4月20日
 浜野智さんが入力された
新美南吉『おじいさんのランプ』を登録する。(AG)



1999年4月19日
青空文庫に登録されている作品の中から著作権切れのものと作者の了解が取れたもの が入っている
「新しい読書」と いうCD-ROMを、ボイジャーがプレゼントしている。送付先やアドレスを入力する と送ってくれる。先着3000名。

富田さんによれば「ボイジャーはマーケティング上の狙いから、CD-ROMの制作と送料 を持つ。青空文庫をはじめとするファイル提供者側は、アクセス費用なしで届けられ るのは良いだろうと考える。二つが合わさって、現れた形が〈プレゼント〉です。」 (みずたまりの書き込みから)

「エキスパンドブック」と「T-Time」の機能限定版も入っているので、これがあれば 青空文庫のエキスパンドブック版や、最近登場してこれから増えることが予測されれ るttz版もらくらく楽しめる。もらいましょう!(八巻)



1999年4月16日
T-Timeを使った縦書きの雑誌
「Ice Tea」を始めた。

青空文庫を始めるときには、これほどたくさんの人が「やりたい」と自主的に参加してくれることを、そう呼びかけてはみたものの、あまり予測してはいなかった。80年代に「水牛通信」というミニコミを出していたこともあって、個人的には青空文庫をその延長のようにとらえていた。つまりウェブ上のミニコミをやるんだという感じだったのである。

でも、青空文庫を始めてみたら、あっという間に私の最初の思惑をはるかにこえて隆盛(!)してしまったではないか。こんなふうに予想を破られるのは、あまりない経験で、うれしい。ミニコミのことは忘れて、ひとりの工作員として、作品を選ぶところから、入力、校正、登録、と作業をしている。

一方で、ウェブ上で雑誌をやりたいという気持ちはずっと居すわり続けていた。ときどき「編集の虫」がさわぎだす。内容はもちろんだが、むしろ仕組みを考えるのが、編集の醍醐味のように思えるのだ。たとえば、きれいで、読みやすくて、軽い、といった仕組みができれば、その雑誌で読んでみたい素材(テキスト)はウェブ上に星の数ほどあるだろう。T-Timeはあたらしい雑誌にかたちを与えてくれた。青空文庫の蔵書のなかから、あるテーマで何冊かを束ねてみることも「Ice Tea」でやってみたいことの一つだ。

「Ice Tea」のもうひとりの編集人、私の相棒は萩野正昭さん。ボイジャーの社長だが、「Ice Tea」は社長業から離れて(無関係とはいえないだろうが)、個人としてかかわっている。二人とも老眼で目をしょぼつかせてはいるが、でも時には徹夜もいとわない。青空文庫同様、よろしくお願いします。(八巻)



1999年4月16日
山形浩生さんが、
「プロジェクト杉田玄白」をはじめると宣言している。青空文庫は、著作権切れの古いものばっかりで「しょぼい」。特に翻訳は、原著作者に加えて翻訳者の権利切れまで待っているから、なんとも「古くさい」。だから、とっとと自分たちで訳しちまおうという提案だ。
その目指すところは、素晴らしいと思う。大久保友博さん訳の『ボヘミアの醜聞』『赤毛連盟』、能美武功さんによる『侯爵夫人』『ザディッグ 又は 宿命 』といったわずかな例外はあるが、訳者の著作権が切れていないために、入力を諦めてきた例は数多い。青空文庫がやれないできたことを見きわめ、そこから「ならばオレが」と踏み出していく姿勢は、なんとも潔いと思う。イカレテて、ぐっとキテいる翻訳家が、プロジェクトとして進めようと言ってくれるのだから、私たちがあがくより間違いなく成果が上がるだろう。
ただし、山形さんの提案の前提である「しょぼい」という認識には、受け入れるにしても、一つだけ条件を付けたい。たとえば、柴田卓治さんの入力、伊藤時也さんの校正を得て並びはじめた夏目漱石、j.utiyamaさんが目を見張る勢いで入れてくれた芥川龍之介、浜野智さん、八巻美恵さんが進めている小熊秀雄の全集など見ると、私は、ごく素直に「すごい!」と思う。この一文がどこまで延びるか見当もつかないから諦めただけで、本当はここで、登録されたすべての作品と関わった人を上げて、「すごい、すごい」と繰り返したい。ただし、新しい書き手の、当然著作権はまだ生きている作品が、勢いよく入ってこないじゃないかという批判は、受け入れざるを得ない。4月12日付けのそらもようにも書いたが、「新しい作品を古いものと同様に扱おう」と言い張ってきたのは、私だ。その私が、新しい作品の取り込みに成果を上げられず、結果的に棚が古いものに偏った。原因を作ったお前は「しょぼいぞ」という意味として、山形さんの指摘を肝に銘じたい。
共にこの時代に生きている書き手と、収録に関して同意をまとめようとすれば、そこに緊張をはらんだ関係が生じる。登録を申し入れようと考えた人の多くは、「手ひどい拒絶を受けるのではないか」という恐れを抱くはずだ。私たちにも、自信を持って「読んでくれ」といえる作品をそろえたい気持ちがある。実際に作品を読んで、書き手に向き合うという手順も、時間をかけて踏まなければいけない。これまでの経験を踏まえると、新作登録が進まないできた最大の要因は、作品を挟んで人と人が対峙しなければならないことのしんどさにあったと、私は考える。だが、ひるんだままでは、いつまでたっても古典偏重は直らない。時には、蛮勇を奮って踏み出すことが必要だろう。そこで、山形さんから「しょぼい」を頂戴した今回は、少し乱暴に、とびきり生きのいい作品を、翻訳物の中からかっさらってこようと思う。
エリック・レイモンドによる、『伽藍とバザール』と『ノウアスフィアの開墾』が直接取り扱うのは、LinuxというOSの開発過程である。「インターネットのかぼそい糸だけで結ばれた、地球全体に散らばった数千人の開発者たちが片手間にハッキングするだけで、超一流のOSが魔法みたいに編み出されてしまう」メカニズムの謎が、腑分けされていく。専門的な話も出てくるが、論考は特定の技術の枠を越えて、世界史上の新しい動きをとらえている。「Linuxは、意識的かつ成功裏に全世界を才能プールとして使おうとした最初のプロジェクトだった」と、『伽藍とバザール』でレイモンドは語る。プロジェクト・グーテンベルクが見つけたこと、インターネット上でさまざまな協力関係を築こうと試みる人が発見する可能性、そして青空文庫を舞台として私たちが編みつつある関係の本質を言い当てた、きわめて刺激的なネットワーク社会学のケーススタディーになっている。
二つの作品は、実は山形さんによって訳され、公開されているものだ。これまで青空文庫では例のないやりかただが、今回はこれに、著者と訳者に断りを入れず、勝手にリンクする。なぜそんな真似をするかは、山形さんに直接聞いて欲しい。原著作者のエリック・レイモンドさんも、自身のウェッブページで日本語版の公開に言及しているので、彼にも断らない。日本の著作権法の枠組みに照らせば、原著作者は、該当作品の自動公衆送信権を訳者である山形さんが実施することを、明らかに許諾している。訳者は、公開している著作物へのリンクと複製を、広く一般に認めると宣言しているので、断りなしでよいと考えた。下手にお願いなど差し上げて、「そういうメールをよこしやがったら、断るからな」という宣言の対象にされても困るしな。
ということで、エリック・レイモンド著、山形浩生訳の『伽藍とバザール』『ノウアスフィアの開墾』を、黙って登録する。しょぼい野郎につきまとわれて迷惑だろうが、プロジェクト杉田玄白の成果には、これからもどんどん無断でリンクを張っていこうと思う。(倫)



1999年4月15日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『身投げ救助業』を登録する。校正は菅野朋子さんです。(AG)



1999年4月14日
小熊秀雄全集の第2巻『詩集-1 初期詩篇』を登録する。小熊は1901(明治34)年に生まれ、1940(昭和15)年に亡くなった詩人だが、この巻には昭和5年までの詩篇が収録してある。
個人的には、小熊秀雄の名前を知ったのはいまから30年以上前、雑誌『文学』で特集が組まれた折りのことだが、たまたま版元に勤めていて、当時の『文学』の編集者、現在では南方熊楠の研究者として著名な飯倉照平さんから「読んでごらんよ」といわれたのがきっかけである。詩というものがよくわからない僕は、小熊のことを、名前のイメージから「木訥でのんびりした感じの人物」と思いこんでいた。実際の彼が「頬はやせこけ、目は鋭く、いかにも内部に狂気を宿した人物」であることを知るのは、ずっと後年である。「初期詩篇」の60篇の詩には、そんな小熊が空漠感を抱えつつ夜の街をさすらった時代の感情生活がくっきりと定着されていて、「いつの時代でも若者の精神は変わらない」という思いを新たにさせられる。(楽)



1999年4月13日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『坑夫』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年4月12日
畑仲哲雄さんの『スレイブ』を、最後は唇のはしを噛みながら読んだ。主人公の亀井課長が、コピー研究会に参加するあたりからは、「私はいったい、何をしていたんだろう」と、胸の奥からため息が立て続けに漏れた。そこから堂々めぐりの思いになぶられて、昨夜は眠りが浅かった。このまま書いても、ただの個人的な愚痴に終わるかもしれない。だが、青空文庫の短い歴史と今後の進路には、深く関わる話だ。ついつい文章が長くなることもあり、私一人の心に浮かんだことを吐露するのはしばらく差し控えてきたが、今回はあえて書いてみようと思う。正直に言えば、吐き出して楽になりたい誘惑にかられてもいる。(ということなので、以下の文字列を追うことは、あなたの時間を無駄に消費させる可能性があります。お急ぎの方は、直接『スレイブ』へ。)

9日の金曜日、アドレスの最後に.cnの付いたメールが届いた。日本語を勉強している中国人で、しばしば文庫を訪ねてくれているという。「著作権の問題があって難しいのはわかっているが、今、現在の日本の小説で、オンラインで読めるものはどこかにないのか」という問い合わせだった。
思いつくものと少し調べたものをリストアップし、電子本書店のURLもいくつか添えて返事を書くうちに、青空文庫にある「今の日本の小説」は読んだのか、たずねたい気持ちがよぎった。たとえば、私たちの仲間内で評判になった、『スレイブ』は、読んでくれたのかと。
だが、10日土曜日の昼過ぎに送った返事に、そのことは書かないでおいた。私自身、まだ読んでいない点が、後ろめたかった。「自分が面白いと思ったら、その時、もう一度メールを書こう」この日の午後、『スレイブ』を読み始めたのは、それがきっかけだった。

電子テキストは、複製と配布にごくわずかなコストしか求めない。本を売って儲ける立場に身を置けば、どんどんコピーされてじゃんじゃん撒かれるのだから、とんでもないピンチだ。だが、「読んでもらいたい」と願う心、楽しみたい、学びたいと思う気持ちには、逆に大きなチャンスだろう。
『スレイブ』にも出てくるリチャード・ドーキンスの概念を借りれば、インターネットは個々のミームに、より大きな伝搬の可能性を与え、結果的にミーム間の相互作用を促進させる。〈考え方〉同士の競争と協調の激化は、サルの親戚が人として暮らしていることの根拠を、より豊かに実らせ、熟させるだろう。手に石と棒のみを持って生きるより、膨大な知恵の山から受け取れるだけのものをあずかり、自らもその恵みに浴しながら歩んだ方が、死という絶対の虚無に最後は身を投じざるを得ないにしても、少しは楽しめるのではないか。
そんな思いを腹にため、取り組むべき課題としては、残したい作品を電子化し、誰でもが引き落とせるよう体制を整えることを据えて、青空文庫を始めた

著作権の切れた作品は、時のふるいとでも言うべき、選別を経ている。一方、新しい作品を受け入れれば、極端に異なったレベルの作品に向かい合い、しばしば悩む羽目になるだろうと恐れていた。著作権切れのものと、切れていないものは棚を分け、評価の定まった作品に力点を置いた方が賢明という考え方は、仲間の何人かが最初から持っていた。登録の申し入れがあった作品が理解できないときは、事実、苦しんだ。気の重い議論を、呼びかけ人のあいだでえんえん続けるたびに、「古典に集中する」という選択が繰り返し浮上した。だが、そのつど分離に反対してきたのは、私だった。
端正な棚は落ち着いて信頼感があるが、読む事への期待を、古典がすべて満たすわけではない。山形浩生の口吻を借りれば、静かな棚は、ある面で確実にしょぼい。だから理解できない言説にはとまどいながらも、「今の作品も同列に扱おう」と主張し続けた。
『スレイブ』は、その私こそが見つけ、あたりの人すべてに「読め!」と訴えてしかるべき作品だった。ここに描かれているのは、青空文庫の魂だ。なぜ私たちがこんなことを始めたのか、その理由がわかる。なぜこんなにもたくさんの人が工作員として働いてくれるのか、その謎が解ける。『スレイブ』の伝搬形態は、これまでの本の常識からは、大きく外れている。だが、作品を読み通せば、これ以外のどんな道筋もこの作品には選びようがなかったと、納得がいく。畑仲さんが青空文庫に置こうと思ってくれた気持ちも、しみじみわかる。その『スレイブ』を、文庫への登録から半年の間、私は読み損ねていた。最初に頂戴したメールに、惹かれるものを感じながら、決めたばかりの役割分担に任せ、直感に従わなかった。

なぜ、青空文庫に関わっているのか、その根拠を問われる出来事に、この数週間は直面させられていた。初心は、ネットワークされたコンピューターを、言葉のパイプとして使うことへの期待だ。戦術は、古典を耕すと同時に、ミームのプールを揺るがそうとする新しい声を受け止めることだ。その課題に、私自身もこの手で、取り組もうと考えていた。だが、実際に動き出すと、さまざまな仕事と可能性が早送りしたビデオのように見えてきた。
どんな作品を選び、どうまとめるかを問えば、私たちは図書館にとどまらず、出版社としての役割を抱え込む。入力に幅広い協力を得ようとすれば、印刷所にあった手順をマニュアルとして示す必要がある。多くの人が実際に読んできた作品を電子化すれば、漢字コードの問題点が日々の作業の中から浮かび上がって見えることにも気づいた。ずいぶんと地味な、学術よりのテーマだが、これも文庫の可能性の一つだ。図書館のまねごとを演じる以上、蓄積と公開は頭にあったが、そもそも今回『スレイブ』を読むきっかけとなった、リファレンスの役割を繰り返し求められるとは、思いもしなかった。加えて、青空文庫の可能性の幅が広がって見えれば見えるほど、基盤作りという課題の重みは、私の中で増していった。必要なのは、これまでも、これからも〈最低限の〉組織化だ。だが、資金作りに脳味噌の力の多くを割り振るはめになるといった懸念は、青空文庫を始めようと考えたでは、かけらも存在しなかった 。
好きな本を残す、面白い本を広めるという原点に近い働きから、私自身は次第に、距離のある場所であがくようになった。結果的に、私こそが見つけるべきだった『スレイブ』を、ここまで読み損なった。『スレイブ』を見つけた喜びが大きい分だけ、「何をしていたのか」との悔やみは深い。

では、私は引き返すべきなのだろうか。初心を確かめ、そこまで身を引いて、脇を固めるべきだろうか。
青空文庫の進路を巡るこの数週間の論議を経ても、『スレイブ』を見逃していたという痛恨事に気づかされた後も、私にはそうは思えない。文庫が動き出した後で見つけたものは、確かに初心とは呼べないだろう。だがそれらはもはや、私の中で、文庫の存在意義の、確かな一つとなっている。漢字コードに関わる基礎資料の収集も、ウェッブ上のリファレンス業務も、他のテキストアーカイブとの連携の模索も、やはり青空文庫の役割として引き受けたいと思う。組織的な基盤作りにも、今こそ、腹をくくって向き合わざるをえないと考える。

プロジェクト・グーテンベルク岡島昭浩先生の試みからかすめ取り、青空文庫という複写機がばらまき始めたミームに、私は勝ち残って欲しい。独りよがりの思いこみだろうか。この場に集う人たちは、ここにあるミームをより強力なものへと育て上げ、より広く、より遠く行き渡らせようと望み始めているとも思う。(倫)



1999年4月12日
 網迫さんが入力された
太宰治『畜犬談』を登録する。校正は、田尻幹二さんです。(AG)



1999年4月11日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 新カチカチ山』を登録する。校正は、小林繁雄さんです。(AG)



1999年4月10日
本のリストと図書カードで、外国人名の表記にばらつきがあったので、ルールを決めてあらためた。
・ファミリーネームを先に示す。(アーサー・コナン・ドイルは、ドイル、アーサー・コナンで配列。)
・作家別本のリストには、著者名に加えて翻訳者名による項目も立てる。(「ドイル、アーサー・コナン『ボヘミア の醜聞』大久保友博訳」に加え、「大久保友博訳『ボヘミアの醜聞』ドイル、アーサー・コナン」を置く。)
という方針で、今後は作業する。

ただしこのままでは、
青空文庫検索ページに問い合わせた際、「アーサー・コナン・ドイル」の形を拾ってくれなくなる。そこで、図書カードの著者名欄は、「ドイル、アーサー・コナン(アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle) 」と、重ねて書くことにした。
ファミリーネームだけで、ファーストネームのないものがあったので、あわせてこの機会に補った。

今回の措置は、4月6日にもりみつじゅんじさんがみずたまりに寄せた、「素朴でない疑問」に応えたものだ。「なぜそんなふうにしているの?」という疑問シリーズは、4月2日に武田秀男さんが書いた、「教えてください。」からはじまっている。まだ、答えを出していない点には、追って方針を固めたい。
青空文庫は、掲示板をみずたまりと呼んでいる。絵本作家の、長谷川集平さんの命名、デザインだ。疑問でも、感想でも、提案でも、どしどし書き込んで欲しい。(倫)



1999年4月10日
大久保友博さん訳のホームズ・シリーズ第2弾
『赤毛連盟』を登録する。ファンの方にはすでにおなじみの物語だが、21世紀も間近なこの島国に住む若い人の手による新訳をぜひお楽しみいただきたい。以下、全くの受け売りだが、この物語に登場する小道具をめぐる話題を1つ。
冒頭近くの場面でのワトスンによる描写に「四角く穴の開いた金属の小片」という記述が出てくる。その少しあとで、今度はホームズの台詞でこの金属は「中国(シナ)の硬貨」とされている。イギリス人だと思うが、これに異を唱えた人がいた。「中国には四角い穴のあいたコインはない、コインは日本のものである」と。これを読んだ日本のシャーロキアンは喜んだらしい。原作者が勘違いしていたとはいえ、これでホームズと日本との縁が結ばれたのだから。
ところが、実際には、中国にも四角い穴のあいたコインがあった。唐の初代皇帝の時代に発行されたもので、7世紀から19世紀末まで法定通貨として用いられたものだという。……シャーロキアンたちは、こんな些細な事柄をめぐって、いまも楽しい論争に明け暮れている。(楽)



1999年4月9日
「みみず物語2」を登録する。種から無農薬、飼料から無農薬、肥料から無農薬という目標をかかげてスタートした循環農場の記録である。鶏の断食なんて知っていますか? もともとはその小泉循環農場の「種から無農薬」野菜とともに届けられる一枚のビラだが、約二年でこのような分量になる。青空文庫ではじめて一冊になって登場するオリジナル、ぜひ読んでください。続編を登録する機会に「みみず物語」のHTML版もあらたに作った。(八巻)



1999年4月8日
 高橋美奈子さんが入力された
太宰治『桜桃』を登録する。校正者は瀬戸さえ子さんです。(AG)



1999年4月3日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『虞美人草』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。そして、大野晋さんが入力されたポー作・佐々木直次郎訳『アッシャー家の崩壊』を登録する。校正者は福地博文さんです。(AG)



1999年4月1日
トップに「青空文庫検索ページ」という項目を設け、
もりみつじゅんじさんが公開してくれたページにリンクを張る。
もりみつさんが書いてくれたのは、AltaVistaやgoo、infoseekなどの各種サーチエンジンを利用して、いろいろな角度から文庫内を検索するためのものだ。作家名や作品名、文章の一節などからファイルにたどり着くような使い方もできれば、そらもようや工作員マニュアルなどの各種の文書も洗える。JIS漢字コードの「包摂」について、そらもように書いたことがある。この問題に関してたずねられるたび、「あれはどこにあったか」と騒いできたが、これを使えば一発だ。それぞれのエンジンで、出してくる答えが違うのも面白い。いろいろな使い方ができると思う。皆さん、是非、活用して欲しい。
今回、こうした形でリンクすることになった流れは、3月21日にもりみつさんがみずたまりに書いた、「青空文庫検索君」と題したメッセージ以降でたどれる。もりみつさん、素晴らしいページをありがとう。(倫)



1999年3月30日
「文学作品に現れたJIS X 0208にない文字」を更新する。
小林繁雄さんの入力された南方熊楠『十二支考(1)虎に関する史話と伝説民俗』中には、JIS漢字コードにない文字がたくさん出てくる。単に「JISにない」というだけでなく、ここで出合って、もう二度とあうことはないだろうと思うような、珍しい漢字のオンパレードだ。小林さん、ファイル作りにあたられた浜野智さんのご苦労が、偲ばれる。今回の分は、全体の十二分の一ということなので、これからの苦難の道もまた偲ばれてしまうのが、ちょっと辛い。
〈しんどさの玉突き連鎖〉は、今回の更新作業にも及んだ。(ごくごく少ないとは思うが)興味のある方は、どんなふうに処理したか、見て欲しい。けれど、一連の作業は、新JIS漢字の策定にも活かせるかもしれないと思うと、気持ちが前を向く。「0208にない文字」のページで紹介しているとおり、収録する文字を決めるための公開レビューは終わったが、今回の更新内容は委員会に報告するだけはしておこうと思う。

以下、新JIS漢字の動向に興味のある方向けに、短く報告。
JIS X 0213と呼ばれる可能性の高い新JIS漢字コードは、0208に置き換わるものではない。0213が制定された後も、0208は規格として残る。採録される文字は0208の上位互換で、期待される運用形態は当然、0208の代替だろう。けれど、いろいろな要素が絡んで、すっきり移行するとは言い切れない。0208適合を謳う世界が、残り続ける可能性がある。
青空文庫のようなテキストをためておく仕組みにとって、0213への移行には、プラスとマイナスの要素がある。
プラスは、現在は外字として扱わなければならない文字が、大幅に減る点だ。確実な交換を期待できる基盤が広がるのだから、基本的にありがたい動きであることには、間違いない。
マイナスの要素は、包摂規準が0208とは一部、変わることだ。29文字の、いわゆる78JIS字体が収録されることは、「過去の規格の誤りを正す」という意味で当然と考えていた。けれど、人名漢字許容字体と常用漢字表康熙字体別掲字が採録されることになった点(1999年1月6日追加)は、文庫の管理に関わる立場からはとても頭が痛い。文庫ではこれまで、「0208の包摂規準は受け入れながら、底本に忠実な入力をおこなう」としてきた。基本的には前進と受け止めて良い0213への移行を図ろうとすると、これまでの方針を、「0213の包摂規準は受け入れながら、底本に忠実な入力」と変えることになる。これまでは同じものとして扱ってきた文字が、いわゆる新字体と旧字体とに分かれる例が出てくる。その数が、78JISの29字だけだと思っていたら、名前の表記の自由度を高めるという要請から加わった、110字もプラスして勘定に入れざるを得なくなった。「名前のため」とは言っても、包摂規準が変わるのだから、新たに 加わった分の「旧字」は、広い範囲のテキスト中でどんどん使われるようになる。
では、青空文庫はどうするのか。
・過去のファイルも、0213への切り替えを目指すのか。(そのためには、該当の文字すべてに対して検索をかけ、「新字体」であるか「旧字体」なのかを、底本に当たって照合していかなければならなくなる。)
・0208適合を謳って、過去のファイルはそのままにしておくのか。
新規のファイルは、いずれタイミングを見て0213への切り替えを図れるとは思うが、過去のファイルをどう扱うかは頭が痛い。これは、すべてのテキストアーカイブに波及する問題だ。
ただここで、「JISが悪い。JISのせいだ」と非難するにとどまるのでは、「理想的な環境を誰かがはじめから用意してくれなかった」と嘆くことにしかならないように思う。テキスト交換の土台をより強力なものとするために、自分は何をするのか。どう態度を決めるのか。求められるのは、歴史の当事者としての選択だと思う。(倫)



1999年3月25日
 tat_sukiさんが入力された
岡本綺堂『半七捕物帳 三つの声』『半七捕物帳 仮面』を登録する。校正は、南方熊楠『虎に関する史話と伝説民俗』を入力された小林繁雄さんです。(AG)



1999年3月23日
南方熊楠『虎に関する史話と伝説民俗』を登録する。入力は小林繁雄さん。作品は12の動物についての論考をまとめた著書『十二支考』の最初の章を独立させたもので、古今東西の文献からの引用を駆使しつつ、虎をめぐる多彩な史実や伝説が披露される。ただでさえ難解の声高い熊楠の著作は現代人には読むにやっかいだが、いったんその内側に踏み込めば知的興奮を覚えないではいないだろう。苦労して読むだけのかいはあるというものだ。全12章の完全入力めざす小林さんの奮闘に、感謝と応援のエールを。
以下はT-Timeユーザーの方に……この作品のHTMLファイルは一応T-Timeでルビ表示できるようにしてあるが、万全ではない。「博物画譜(イラストレイテット・ナチュラル・ヒストリー)」のような、極度に長いルビのつく語句が多いせいである。エキスパンドブックの重さを負担に感じる方もいるだろうから、リンク登録だが、TTZ版も用意した。ぜひご覧ください。(楽)



1999年3月20日
 さぶさんが入力された
岡本かの子『みちのく』を登録する。校正者はしずさんです。(AG)



1999年3月18日
すでに登録済みの、佐野良二作品、
『われらリフター』『五味氏の宝物』『闇の力』『飛び出しナイフ』『尾なし犬』をエキスパンドブック化する。
なすべきことは日々に現れ、段取りを学ばぬまま齢ばかりを重ねて、体力を失っていく。呼びかけ人には、正直、余力がない。(「お前と一緒にするな」って?)「収録してかまわない」と言ってくださる著者にも、原則としてファイルの作成までお願いしている。佐野さんはエキスパンドブックを作るツールを使っておられず、これまではHTML版とテキスト版のみの公開だった。登録前、はじめて読ませてもらったときにわいてきた、「一番読みやすい形でも用意しておきたい」という気持ちを、ようやく今になって形にできた。私なりの推薦のメッセージであるエキスパンドブック版で、佐野さんの世界を是非、味わってみて欲しい。(倫)



1999年3月15日
長塚節『病中雜咏』を登録する。入力者は、『鍼の如く』に続き町野修三さん。町野さん、ご苦労さまでした。作品の順序からすると『病中雜咏』は『鍼の如く』に先立つ歌集で、著者が喉頭結核で入院し、一旦退院後、再入院して直後の時期に書かれている。『鍼の如く』では諦念がもたらす透明な美しさが通奏音になっているのに比べ、詞書を含めて全体に自身の先行きに対する不安や焦燥がより色濃く出ていると感じられる。(楽)



1999年3月13日
町野修三さん入力の
長塚節の歌集『鍼の如く』を登録する。青空文庫での歌集の登録は啄木以来だが、短歌の好きな方にはこちらも充実した読書体験を味わっていただけるものと思う。『鍼の如く』は長塚節最晩年の歌集だが、他の歌集についても町野さんが引き続き入力していらっしゃる。お楽しみに。(楽)



1999年3月12日
 能美武功さんが訳された
ノエル・カワード作『侯爵夫人』を登録する。
 能美武功さんが訳されたものは、すでにヴォルテールの『ザディッグ 又は 宿命』が登録されていますが、これらの作品は気象大学の授業で使われたものです。まだ他にも能美さんが訳されたものがありますので、それらも順次登録していきたいと思います。(AG)



1999年3月9日
 山口美佐さんが入力された
立原道造『優しき歌 I・II』と山根鋭二さんだ入力された松永延造『職工と微笑』を登録する。(AG)



1999年3月8日
 真先芳秋さんが入力された
菊池寛『出世』を登録する。校正は鈴木伸吾さんです。そして、細川みづ穂さんが入力された宮沢賢治『猫の事務所』を登録する。校正は瀬戸さえ子さんです。

『猫の事務所』を入力された細川みづ穂さんは、その名の通り『猫の事務所』を東京の江古田に開いています。絵本とガラスペンを売っているお店です。詳しくは細川みづ穂さんの『猫の事務所』のページへ。(AG)



1999年3月6日
昨年登録した『尾崎放哉選句集』にWindowsでは正しく表示されない記号が混じっているなどの不具合があり、ファイルをすべて改訂した。見た目の大きな変更はエキスパンドブックのサイズ変更だが、テキストとHTMLについても細かい修正を入れた。現時点ではリンク登録だが、T-Time商品版及び無料配布の機能限定版のための専用ファイル形式である
TTZ版も作成し、図書カードに記載した。TTZについてはご存じでない方が多いと思われるが、簡単なガイドを用意したので、参照いただきたいと思う。
なお、この選句集は、もともとj.utiyamaさんが入力なさったものから句を選択するとともに、他の底本から追加入力を行ってまとめたものである。これまで、そのことをどこにも明記してなかったので、あらためてすべてのファイルに奥付を入れた。(楽)



1999年3月5日
「文学作品に現れた外字」を公開する。電子化で浮かび上がった、JIS漢字コードで表せない文字をまとめたものだ。
昨年の5月、「青空文庫登録作品に現れた外字」をまとめて、実際に使われ、広く読まれてきた作品の中で外字を確認する手法が、漢字コードの問題点を把握する上では有効であると気づいた。まとまった数あたらないと意味が出てこないので、まず足場を固めてから、作業に取りかかった。
現在、私たちがお世話になっているJIS漢字コードを拡張する計画が進められている。これに、多少なりとも貢献できないかと考えて作業の予定を組み、先日、要望書を提出した。これをまとめ直したのが、今回の資料だ。
このままでは、まったくもって無味乾燥なデーターだが、ここからなにかが見えてこないものだろうか。自由にさわれるようにしておけば、使い道は誰かが見つけてくれる。文庫の活動の中で繰り返し体験してきたこのメカニズムが、ここでも機能するよう願う。何しろ少し、労力がいったのだ。(倫)



1999年3月5日
小熊秀雄全集の14分冊、『童話集』を登録する。小熊童話はかつて『或る手品師の話』の標題で童話集が晶文社から発行されていたし、現在も英訳付きの絵本『焼かれた魚』が入手可能なはずだが、残念ながら広く読まれているとはいいがたい。小熊自身が投影されていると感じられる「或る手品師の話」やアイヌの生活に題材をとった「マナイタの化けた話」など、一風変わった味わいをぜひ楽しんでいただきたいと思う。(楽)



1999年3月3日
 武田秀男さんが入力された
與謝野晶子『私の生ひ立ち』を登録する。校正者は、福地博文さんです。
 この與謝野晶子の『私の生ひ立ち』は、雑誌「新少女」の創刊号(大正4年4月)より十二月号まで連載されたものです。そして、その連載時には竹久夢二の挿絵が使われていました。今回底本とした刊行社の本には、その当時の挿絵がそのまま使われています。竹久夢二が亡くなって50年以上立つので、今回のエキスパンドブック版にはその挿絵もそのまま使用しました。なお、このエキスパンドンブック版の作成者も、テキストを入力された武田秀男さんです。(AG)



1999年3月2日
 小林徹さんが入力された
村山槐多『殺人行者』と大野晋さんが入力された新美南吉『手袋を買いに童話における物語性の喪失』を登録する。校正者は、『殺人行者』が高橋真也さん、『手袋を買いに・童話における物語性の喪失』が伊藤祥さんです。(AG)



1999年3月1日
新美南吉『
赤い蝋燭最後の胡弓弾き』を登録する。標題になっている短編2つが1つのファイルにまとめてある。前者は幼児向けのごく短い作品、後者はむしろ大人向けとも思えるもので、作風は全く違う。作者はわずか29歳で亡くなったが、多彩な才能の一端がこの2つの作品からうかがえる。旧正月に門付で家々を訪ね歩く胡弓弾きが時代に取り残されていくさまが描かれる「最後の胡弓弾き」は、南吉作品の中でも出色のものと思う。(楽)



1999年3月1日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『影』『彼』『彼 第二』『白』『庭』『母』『冬』『夢』『路上』を登録する。校正者は、『路上』がかとうかおりさん、それ以外はもりみつじゅんじさんです。(AG)



1999年2月24日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『野分』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。そして、文咲苺子さんが入力された太宰治『駈込み訴え』を登録する。校正は、高橋真也さんです。(AG)



1999年2月20日
若松賤子『忘れ形見』を登録する。作者は江戸末期〜明治初期を生きた人で、若くして亡くなったが、黎明期の日本児童文学に忘れがたい足跡を残した。バーネットの"Little Lord Fauntleroy"を『小公子』の題名で訳した翻訳者として知られ、夫君の巌本善治が主宰する『女学雑誌』で数多くの翻訳作品を発表した。『忘れ形見』は海外の詩を翻案した短編小説。(楽)



1999年2月19日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『二百十日』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。そして、j.utiyamaさんが入力された綱島梁川『予が見神の実験』を登録する。校正は、Jukiさんです。(AG)



1999年2月17日
中原中也『在りし日の歌』を登録する。『山羊の歌』に続き、青空文庫では中也2冊目の詩集である。中に「まことに人生、一瞬の夢/ゴム風船の、美しさかな」という1行があるが、中也の急死はこの詩集の清書完了から1カ月後。しかし、60年以上たっても、詩そのものは少しも古びていない。(楽)



1999年2月17日
 柴田卓治さんが入力された
夏目漱石『草枕』を登録する。校正者は伊藤時也さんです。(AG)



1999年2月16日
 細渕真弓さんが入力された太宰治『
女生徒』と網迫さんが入力された太宰治『待つ』を登録する。『待つ』は、とても短い作品の上、底本が何であるかわからなくなっていたため、『女生徒』の底本である角川文庫「女生徒」を元に校正し、二つを一緒にまとめました。『女生徒』の方の校正は細渕紀子さん、『待つ』の方は私が行いました。(AG)



1999年2月15日
 j.utiyamaさんが入力された芥川龍之介『素描三題・他七編』を登録する。この中には、
「素描三題」の他、「塵労」「軽井沢で」「都会で」「仙人」「耳目記」「凶」「鵠沼雑記」が含まれています。これらは、芥川の中でも特に短い作品ばかりなので一つにまとめました。(AG)



1999年2月13日
 Kasawaraさんが入力された
小栗虫太郎『人外魔境 天母峰』と大野晋さんが入力された伊藤左千夫『姪子』『守の家』を登録する。校正者は、『人外魔境 天母峰』が福地博文さん、『姪子』『守の家』が高橋真也さんです。そして、鈴木厚司さんが入力された有島武郎『小さき者へ』『一房の葡萄』『片信』を登録いたしました。(AG)



1999年2月12日
 網迫さんが入力された
徳田秋聲『絶望』國木田獨歩『少年の悲哀』を登録する。校正者は、『絶望』が渡瀬淳志さん、『少年の悲哀』が丹羽倫子さんです。(AG)



1999年2月11日
町野修三『大伴家持論1―後編』を登録する。『家持論1』は、これでとりあえず完結となる。著者である町野さんはすでに『家持論2』を進めていらっしゃる。興味のある方は町野さんのウェブサイトもぜひ覗いてみてほしい。(楽)



1999年2月9日
 小林徹さんが入力された
国木田独歩『怠惰屋の弟子入り』と佐野良二さんが入力された中島敦『悟浄歎異』を登録する。校正は、『怠惰屋の弟子入り』が柳沢成雄さん、『悟浄歎異』がかとうかおりさんです。(AG)



1999年2月6日
 r.sawaiさんが入力された
宮沢賢治『オツベルと象』、網迫さんが入力された岡本かの子『狂童女の戀』、佐藤洋之さんが入力された同じく岡本かの子の『東海道五十三次』を登録する。校正者は、『オツベルと象』が篠宮康彰さん、『狂童女の戀』が瀬戸さえ子さん、『東海道五十三次』が高橋真也さんです。(AG)



1999年2月5日
宮沢賢治『ガドルフの百合』を登録する。一人旅を続ける青年、ガドルフが嵐に襲われて逃げ込んだ家で見た、稲妻や百合の花、夜の闇をめぐる幻想を描く短編である。ご存じのとおり、賢治は音楽が好きで、自らチェロを弾いた(一説によれば、チェロの教師はあの斎藤秀雄であったそうな)。この作品は本来即興で演奏されたというカデンツァのように、短いが、強烈な印象を残す。(楽)



1999年2月4日
 大野晋さんが入力された
ポー作・佐々木直次郎訳『黒猫』を登録する。校正者は宮崎直彦さんです。そして、深山香里さんが入力された太宰治『皮膚と心』を登録する。校正者は佐々木春夫さんです。そしてさらに、奥本潔さんが入力された佐左木俊郎『汽笛』を登録する。校正者は田尻幹二さんです。(AG)



1999年2月3日
 青空文庫は、発足から1年を越えたいま、多数の工作員の方々が入力や校正作業に携わっていただいております。そして、寄付も多く方々からいただきました。その寄付のお金は、主に、テキストのプリントアウト、底本のコピー、それらの発送費用に使わせていただいています。それらの明細を簡単ですが
会計報告させていただきます。(AG)



1999年2月3日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『古千屋』『たね子の憂鬱』『手紙』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。(AG)



1999年2月2日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『文芸的な、余りに文芸的な』『続文芸的な、余りに文芸的な』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。そして、網迫さんが入力された菊池寛『大島が出来る話』を登録する。校正は上岡ちなみさんです。(AG)



1999年2月1日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『浅草公園』『死後』『尼提』『春の夜』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。そして、真先芳秋さんが入力された菊池寛『恩讐の彼方に』を登録いたしました。校正は、伊藤祥さんです。(AG)



1999年1月31日
宮沢賢治の短編「マグノリアの木」を登録する。仏教の教えを核とする一連の賢治童話の1つで、天上の光景がマグノリアの花の美しさに託して描かれる。ごく短い寓話であり、話題にされることは少ないが、日蓮宗に傾倒した彼の内面を知る上でまぎれもなく重要な作品。


宮沢賢治「インドラの網」を登録する。先に登録した「マグノリアの木」と同じく、仏教的な世界観をもとに天上の世界を題材とした短編寓話である。肉体を離れた魂の見たものが幻想的に描かれる。(楽)



1999年1月30日
青空文庫のテキストを、縦書き版のNewton Bookに仕上げてくれた楠本紀雄さんから、「新作公開」の連絡をいただいた。芥川龍之介の『桃太郎』と、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』が
Newton Experiment のリストに加わっている。同ページに掲載されている組み見本を見ると、Newtonを持っていない私も、いつかこの目で読み応えを確かめてみたくなる。楠本さん、ありがとう。(倫)



1999年1月30日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『木曾義仲論』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。そして、真先芳秋さんが入力された泉鏡花『高野聖』を登録いたしました。校正は、林めぐみさんです。

 芥川龍之介の『木曾義仲論』は、改行後の1字下げがされていないため、底本の筑摩の文学全集だけでは、改行されているのか、されていないのか、その判断がつかない場所も出てきてしまいました。そこで岩波書店の「芥川龍之介全集」を参考として、改行の位置を判断しました。両者の間に食い違いがある場合は、岩波書店の全集の方に合わせました。(AG)



1999年1月27日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『貝殼』『カルメン』虎の話機関車を見ながら春の夜は僕は東洋の秋』を登録する。『貝殼』と『虎の話・機関車を見ながら・春の夜は・僕は・東洋の秋』の校正はかとうかおりさん、『カルメン』の校正は田尻幹二さんです。そして、もりみつじゅんじさんが入力された渡辺温『兵隊の死』を登録する。こちらの校正も田尻幹二さんです。(AG)



1999年1月26日
 j.utiyamaさんが入力された芥川龍之介『
漱石山房の秋漱石山房の冬『長崎小品』『誘惑』『LOS CAPRICHOS』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。そして、柴田卓治さんが入力されたゴーゴリ作・平井肇訳『鼻』を登録する。校正は、柳沢成雄さんです。(AG)



1999年1月24日
辻潤「風狂私語」「浮浪漫語」「変なあたま――最近の心境を語る――」「自分だけの世界」「錯覚した小宇宙」「Tada-Dada of Alangri-Gloriban」「え゛りと・え゛りたす」を登録する。入力とHTMLファイルへの加工はet.vi.of nothingさんによる。辻潤の名を知る人は最近ではあまり多くないと思われるが、ダダイストであり、放浪に人生を送った自由人である。もともとは教師で、教え子である伊藤野枝と恋愛関係になり、一子・辻まことをもうけた。そのユニークな人となりについては、今回登録したエッセイが何よりも明快に物語ってくれている。なお、フォント指定との関係で、ブラウザによってはHTMLファイルが文字化けする場合がある。その際は、「ファイルのフォント指定を無視する」設定にしてください。(楽)



1999年1月24日
 もりみつじゅんじさんが入力された
芥川龍之介『河童』とj.utiyamaさんが入力された『蜃気楼』を登録する。校正は両方ともかとうかおりさんです。(AG)



1999年1月23日
 治さんが入力されてた
太宰治『トカトントン』を登録する。校正者は、割子田数哉さんです。そして小林徹さんが入力された村山槐多『悪魔の舌』を登録する。校正者は、山本奈津恵さんです。(AG)



1999年1月22日
「著作権の消滅した作家名一覧」を修正する。
もりみつじゅんじさんの要請を受け、今井邦子、上司小剣、菊池寛、菊池幽芳、小島烏水、嵯峨の屋お室、島田清次郎、千家元麿、高須芳次郎、太宰治、東海散士、松原二十三階堂、真山青果、宮崎三昧を加えた。年の初めに菊池寛と太宰治を入れ忘れていたのは、ちょっと恥ずかしい。
もりみつさんは一覧を詳しく点検し、データーを補い、誤りを指摘してくれた。それに基づいた修正も加えている。ありがとうございました。
一覧は複数の資料を参照しながらまとめたが、柱としたのは『著作権台帳』だ。江見水蔭と太田玉茗の生没年は、他の多くの参考資料と、『著作権台帳』のものとが異なっている。今回は併記するにとどめてしまったが、正解をご存じの方はご教示ください。(倫)



1999年1月22日
 らんむろ・さてぃさんが入力された
夏目漱石『道草』を登録する。校正者は細渕紀子さんです。この『道草』は、漱石の実際の体験を元に書かれた作品ですが、必ずしもすべてが事実というわけではないようです。漱石が書いた日記と照らし合わせて読むととても面白いかもしれません。(AG)



1999年1月19日
萩原朔太郎『田舎の時計他十二篇』を登録する。入力は、『猫町』に続いて月島雫さん。ファイルには、朔太郎の散文詩12篇が収録されている。今回は、それらを初出の順に配列した。旧かなが使用された作品だが、作風はどれも軽く、詩にあまりなじみのない読者の方でも楽しめるだろう。(楽)



1999年1月19日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『お富の貞操』『好色』『山鴫』綱島梁川『国民性と文学』を登録する。校正は、芥川の作品がかとうかおりさん、『国民性と文学』が丹羽倫子さんです。(AG)



1999年1月17日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『老いたる素戔嗚尊』『温泉だより』『廿年後の戦争』『鼠小僧次郎吉』登録する。校正は、『老いたる素戔嗚尊』『廿年後の戦争』『鼠小僧次郎吉』がかとうかおりさん、『温泉だより』が大野晋さんです。(AG)



1999年1月16日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『あばばばば』『一塊の土』『糸女覚え書』『戯作三昧』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。(AG)



1999年1月14日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『芭蕉雑記』『続芭蕉雑記』梶井基次郎『冬の蠅』を登録する。校正者は、『芭蕉雑記』『続芭蕉雑記』がかとうかおりさん、『冬の蠅』が横木雅子さんです。(AG)



1999年1月13日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『侏儒の言葉』を登録する。校正は、かとうかおりさん。そして、柴田卓治さんが入力されたゴーゴリ作・平井肇訳『外套』を登録する。ロシアの作家ニコライ・ゴーゴリが亡くなったのが1852年。そのゴーゴリの作品の翻訳で有名な平井肇が亡くなったのが1946年です。なかなか翻訳ものの権利をクリアすることは難しいのですが、この作品は大丈夫です。『外套』の校正者は、Jukiさんです。(AG)



1999年1月12日
萩原朔太郎『猫町』を登録する。入力は、ryoko masudaさん。ryoko masudaさんが入力なさった作品の登録は、これが初ということになる。作品は、ご存じのとおり、朔太郎が書いた数少ない小説の1つ。もの思いにふけりながら散歩する詩人が猫町の幻影に踏み込むお話だが、描かれるのはファンタジーではなくて、詩人の内面のドラマである。余談だが、つげ義春の『貧困旅行記』にこの「猫町」に関連した紀行文がある。「猫町」が気に入った方には、そちらもおもしろいかもしれない。(楽)



1999年1月12日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『或敵打の話』『校正後に』『出帆』『将軍』『葬儀記』『樗牛の事』『文学好きの家庭から』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。(AG)



1999年1月11日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『松江印象記』『水の三日』『槍が岳に登った記』『日光小品』『大川の水』梶井基次郎『闇の絵巻』『愛撫』を登録する。校正は、芥川の作品がかとうかおりさん、梶井の作品が高橋美奈子さんです。(AG)



1999年1月10日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『一夕話』『三右衛門の罪』『不思議な島』『二人小町』『保吉の手帳から』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。(AG)



1999年1月9日
 網迫さんが入力された
太宰治『富嶽百景』を登録する。校正は、割子田数哉さんです。(AG)



1999年1月8日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『或恋愛小説』『金将軍』『少年』『伝吉の敵打ち』『文放古』『文章』『桃太郎』『百合』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。(AG)



1999年1月7日
町野修三著『大伴家持論1―前編』を登録する。短歌新聞社から刊行された書籍の前半部を独立させたもので、町野さんがご自分で入力なさったテキストをもとにつくられたHTMLファイルは、すでに町野さんのホームページで公開されている。今回の登録にあたっては、そのHTMLファイルに手を加え、PDFに仕立て直した。多数引用されている漢文中の返り点や右寄せ文字など、現在のHTMLでは表現しきれない部分があるからである。作品は「大伴家持とはいかなる人物であったか」を過去の諸説の再検討などをふまえつつダイナミックに追究したもの。じきに登録できるだろう後編とあわせ、万葉時代の和歌はもちろん、日本史に関心のある方にも一読をすすめたい。(楽)



1999年1月7日
 kakuさんが入力された
伊藤左千夫『野菊の墓』を登録する。校正は、伊藤時也さんです。そして、j.utiyamaさんが入力された芥川龍之介『海のほとり』を登録する。校正は、大野晋さんです。

『野菊の墓』と言うと、木下恵介が撮った映画「野菊の如き君なりき」を思い出します。昨年は、黒澤明に続いて木下恵介も逝ってしまった。悲しいです。(AG)



1999年1月6日
 小林徹さんが入力された
水野仙子『道』を登録する。校正は、おの しげひこさんです。そして、真先芳秋さんが入力された菊池寛『青木の出京』を登録する。校正は、林めぐみさんです。(AG)



1999年1月5日
 j.utiyamaさんが入力された
芥川龍之介『馬の脚』『第四の夫から』『十円札』『春』『寒さ』『子供の病気』『仙人』『おしの』『おぎん』を登録する。校正は、かとうかおりさんです。そして、八巻美恵さんが入力された太宰治『右大臣実朝』を登録いたしました。(AG)



1999年1月1日
 あけましておめでとうございます。昨年は、みなさま方に大変お世話になりました。得に、入力者の方々、校正者の方々、誤植を見つけて下さった方々、大変ありがとうございました。今年は、もっと、もっと、飛躍の年にしたいと思います。

 そして、新年のご挨拶がわりに、今年より著作権の切れる太宰治と菊池寛の作品を登録いたします。
太宰治『ヴィヨンの妻』『家庭の幸福』『貨幣』『親友交歓』『人間失格』『清貧譚』菊池寛『父帰る』『藤十郎の恋』『無名作家の日記』。『ヴィヨンの妻』および『家庭の幸福』の入力者は細渕紀子さん、校正者は小浜真由美、『貨幣』の入力者はSAME SIDEさん、校正者は細渕紀子さん、『親友交歓』の入力者は細渕真弓さん、校正者は細渕紀子さん、『人間失格』の入力者は細渕真弓さん、校正者は八巻美恵さん、『清貧譚』の入力者は八巻美恵さんです。『父帰る』『藤十郎の恋』『無名作家の日記』の入力者は真先芳秋さん、『父帰る』および『藤十郎の恋』の校正は私が、『無名作家の日記』の校正は横木雅子さんが行ってくれました。みなさん、今年もよろしくお願いいたします。(AG)
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