そらもよう
 


2019年02月13日 賀川豊彦「死線を越えて 02 太陽を射るもの」「死線を越えて 03 壁の声きく時」の入力をご担当いただいている方にお願い
賀川豊彦「死線を越えて 02 太陽を射るもの」「死線を越えて 03 壁の声きく時」の入力をご担当いただいている方に申し上げます。

作業を引き継げないかとの打診を受けて、進捗状況とお気持ちの確認のためメールをお送りしましたが、お返事がありませんでした。
reception@aozora.gr.jp宛に、ご一報をお願いします。

本日から一ヶ月、ご連絡を待ちます。
一月を経て、連絡を取り合えない場合は、これらの入力を引き継いでいただこうと思います。また、同じく石川欣一の多数の作品の入力も一度白紙に戻したいと考えております。

作業の継続が難しくなった際は、皆さん、どうぞお気軽に、reception@aozora.gr.jpまでご連絡ください。
メールアドレス変更の際は、reception@aozora.gr.jp宛にご一報をお願いします。(門)

2019年01月01日 20年先の種を蒔く――真実は時の娘
先年末の12月30日、ついに改正著作権法が施行され、著作権の保護期間は従来の死後50年から死後70年へと延長されました。それに伴い、たとえば今日のために準備していた以下の作家の作品は、青空文庫では20年間公開できなくなりました。

 石田英一郎「現代の偏見と差別」「東と西を結ぶもの」など
 大原総一郎「水晶 小学校時代の思い出」
 奥野信太郎「万里長城」「荷風追憶」など
 沢瀉久孝「万葉集講話」
 木山捷平「河骨」「耳学問」「大陸の細道」「太宰治」など
 子母沢寛「新選組始末記」
 多田不二「路上」「一人の完全」など
 円谷幸吉「遺書」
 野田高梧「小津君の食味」
 広津和郎「夢殿の救世観音」「梶井基次郎君を悼む」
 藤田嗣治「私の顔」
 保篠竜緒訳「ルパンの捕縛」(ルブラン原作)
 村岡花子訳「赤毛のアン」(モンゴメリ原作)、創作童話「たんぽぽの目」など

昨年の元旦は28名の作家をご紹介しましたが、パブリック・ドメイン・デイとして新しく社会の公共財産となる作品をお届けすることは今後しばらく叶いません(参考:「著作権保護期間延長になった作家名一覧」)。

代わって、富田倫生さんの「「天に積む宝」のふやし方、へらし方 著作権保護期間延長が青空文庫にもたらすもの」を、この2019年1月1日の新規公開作品として登録します。

「「天に積む宝」のふやし方、へらし方」は、2005年に刊行された『インターネット図書館 青空文庫』(はる書房)の巻末に収められた文章です。
その冒頭には、次のような危惧が記されていました。

 表現は本来、誰かが触れて、学んだり楽しんだりしても、へることも、損なわれることもない。広く受容されることだけに目標を絞って良いのなら、自由な利用にまかせておけばそれでよい。「ならば、作者が死んでもはや権利保護が創作の励ましとならなくなった時点では、縛りを外して利用を促そう」死後五〇年で権利を切ることに、著作権制度は、こんな期待を込めてきた。その願いは、長く空念仏に終わってきたが、ファイルの複製と移動のコストを激減させるコンピュータ技術と結び付いて、手応えのある現実に変わった。保護期間を七〇年に延ばす選択は、インターネットが普及して、まさに今、花開きつつあるデジタル・アーカイブの可能性を制約してしまう。

1回限りの利用が許可されることや、特定のサイトでのみ読書可能であること――こうした保護が制限されたかたちでの「利用」と、社会の共有財産としての「活用の自由」が、大きく異なるという事実を、青空文庫は20年の活動を通して実感してきました。

パブリック・ドメインとなったことで、作品の新たな生が現れてきたことを目の当たりにした驚きもまた、この文章のなかに綴られています。さまざまなビューワでの閲覧や、点訳・音訳・拡大本などでの活用、そして新しい創作。社会での共有を通じて、作品の生が永らえていくこと……

 青空文庫の実践を通じて、私は思う。
 著作権の保護期間満了を、単なる終わりにとどめてはつまらない。私有の終わりは、公有の始まり。この節目は、天に宝を積み上げる営みの、出発点となしうる。
 ただし公有作品を、誰もがその恵みに浴せる「天に積む宝」とするには、活用の可能性を最大化するために、何の制限も求めないでおこうとする覚悟をはっきりと示す必要がある。

青空文庫が「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」を定めて、パブリック・ドメインに新たな制限を付けずあくまで共有財産として届けるのは、その「公有」に可能性があると信じてのことです。

こうした立場に足を置くなら、たとえば著作権保護期間が死後70年になった世界である種の申し訳のように、「青空文庫にだけアーカイヴが認められる」とか、「青空文庫のサイトでだけ読書が可能となる」といった特別な権利制限が施されるとしても、パブリック・ドメインが生む豊かな活用とはほど遠いお為ごかしにすら見えます。
現行の著作権法でもなお作品が社会で広く自由に活用できる枠組みを考えて育んでいかない限り、どこの空でも青くはならないのです。
青空文庫の問題のみに矮小化しないためにも、パブリック・ドメインを社会の課題として考えることこそ大事であると、あらためて声に大にしたく、富田倫生さんのこの文章をクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを添えてここに公開したいと思います。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは、今を生きる私たちが自らの(ないしは受け継いだ)作品を「社会の共有領域」へ向けて送り出すためのツールでもあります。
青空文庫ではここ数年、著作者・著作権者の「かつての作品を再び届けたい」という意志に基づく共有作品もまた、一定の指針に従って受け入れてきました。最近はその問い合わせも増えつつあります。

1月2日公開の関根秀雄モンテーニュ随想録 はしがきに代えて――モンテーニュとの六十年――」「モンテーニュの知恵」も、こうした「著作権あり」作品受け入れの一例です。

関根秀雄さんが亡くなったのは1987年ですので、もちろんまだその著作・翻訳は保護期間内にあります。その著作権継承者から青空文庫へ翻訳『モンテーニュ随想録』登録のご相談があったのは、今から3年前のことでした。
それからテキストの形式整理や校正に時間がかかってしまいましたが、ようやく今回かたちにすることができました。まずは翻訳の序文となる2篇の文章から公開となりますが、年内には第1巻をお送りできる予定です。

また、パブリック・ドメイン作品の新訳についても、多くの方々からご提供頂いたおかげで、この1月からしばらく立て続けにお届けできます。訳者の皆様にあらためて感謝申し上げます。
とりわけ1月9日には奥増夫さんによるフレッド・M・ホワイト「玉手箱」の翻訳が公開予定ですが、このホワイトという作家、実はプロジェクト・グーテンベルク・オーストラリア(PGA)が近年積極的に掘り起こした作家のひとりです。

オーストラリアもかつては著作権の保護期間が死後50年で、PGAはその短さを活用してEU圏やアメリカでまだパブリック・ドメインになっていなかった作品群を率先してアーカイヴしていました。しかし2005年、アメリカとの自由貿易協定(FTA)のため今回の日本と同じように20年延長されてしまいました。
その際、PGAはもう終わりだ、活動規模は縮小だ、などという無理解な声も聞かれましたが、けして諦めてはいなかったのです。PGAの更新履歴を見れば、その歩みをやめず、この13年地道な活動を続けていたことがわかります。

2009年4月にはかの名作、ジョセフィン・テイ『時の娘』の名も見られます。題名の由来となった「真実は時の娘」という古い句には、真実は一時の権威に揺らぐものではない、という含意があります。そして真実は永遠の時とつながるものなのだと。
翻訳もまた、時から時へのバトンを渡す大事な媒体です。こうしてPGAからのパブリック・ドメインという「宝箱」を後世へと受け渡すお手伝いができて、たいへん嬉しく思います。

昨年12月12日の「そらもよう」でも少し触れましたが、孤児作品の取り扱いについても、ただいま模索を続けております。
2016年から「オーファンワークス実証事業」も始まっていますが、裁定を受けたとしてももちろん、これまでの青空文庫収録ファイルと同じ扱いができるわけではありません。あくまで「著作権あり」の作品として、新たな取り扱い規準を設ける必要もあるでしょう。
利用に制限があるにしても、いったいどれだけの自由が残されるのか、実践を試みてみることは、今後のためにもけっして無駄ではないはずです。

また「本の未来基金」設立以来、電子アーカイヴ作業(特に入力・校正)の技術を広く伝えていくことも、将来的な目的のひとつとしてきました。ただし青空文庫単独で行うには、平素のアーカイヴ活動の忙しさもあって、困難な状況が続いていました。
とはいえこれまでにもボランティア個人によって、大学のゼミ・授業・サークル活動、高校の課外活動などのかたちで、技術を教授する試みが行われてきました。
先々にも、図書館における市民活動やワークショップの一環としてなら協業できる可能性があるということで、まだ水面下ではありますが計画を進めています。

同時に、青空文庫では自らの歴史をながめ、振り返り記録してもいます。その一部は「直面した課題」というページのなかで公開しています。
青空文庫20周年に臨んで上記コンテンツなどをまとめた20年の歩みのパンフレットも、(残念ながら出版にまで至らなかったものの)ほぼ完成に近い原稿が試作されました。
こうした記録は、パブリック・ドメインの意義を伝えるためには、自分たちの行為を見つめ直しながら報告することが大事だと考えて、ボランティア活動と並行して続けています。

これまでの記録は、かつて刊行された『インターネット図書館 青空文庫』(はる書房)も含め、自分たちの内側を記したものでした。
しかし青空文庫が「その外で」どのように活用されてきたかも、パブリック・ドメインの実情を知るためには欠かせない歴史です。
青空文庫という活動の外で、あるいは日本という島国の外で、どう読まれてどのように用いられてきたのか、少しずつ取材していくことも目指したいと思います。

来たる1月10日のシンポジウム「著作権延長後の世界で、我われは何をすべきか」でも、青空文庫がこれからの20年どうしていくのかが問われることでしょう。

何より大事なのは、どんなかたちであれ、この「青空文庫」という発想を継承しつつ、「パブリック・ドメイン」の重要性を、これから訪れるはずの時の試練にも耐えながら訴え続けることです。
たとえ今日から新しくパブリック・ドメインになる作品が20年間出てこなくとも、この1月1日がパブリック・ドメイン・デイであることを忘れるつもりはありません。
パブリック・ドメインの意義に想いを馳せることや、社会全体で文化を共有する大切さを伝えていくためのお祝いの日を萎縮する必要はないのです。

ようやく社会に芽生えてきた文化共有の行為や気持ちを途絶えさせないために、そして本を共有する青空文庫という模伝子《ミーム》をあとに残していくためにも、ともに大声で叫びましょう。

リメンバー・パブリック・ドメイン・デイ!(U)


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