ビフォア・ミッドナイト
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カテゴリー:映画 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2014年5月9日 |

リチャード・リンクレイター監督の『ビフォアシリーズ』が18年の歳月を経て完結した。1995年の『ビフォア・サンライズ』からスタートしたシリーズは、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが主演する恋愛映画だ。映画の沈黙は美徳だと思うけれど、この映画はずっと主人公二人が話し続ける。第一作はウィーンに向かう二人が出会い、夜明けに別れるまでずっと話している。第二作目は9年ぶりに再会した二人が、イーサン・ホークが飛行機に乗る夕方までの時間をずっと話している。そして、完結編と言われている第三作目では、一緒に暮らしている半ば倦怠期を迎えた二人が夜中まで、これまたずっと話している。

この映画は第一作が作られてから、ほぼ9年おきに、劇中でも同じだけの時間が経過したという設定で作られていて、見る側は「9年前の、ほら、あの二人はどうなったんだろう」というまるで知り合いのカップルのその後に立ち会っているかのような、そんな気分になれて、なんだか楽しい。久しぶりに会うあの二人はいまどうしているんだろう、と見守っているのに、すぐにケンカを始めてしまう様子を見ながら「9年前と変わらないじゃないか」とクスクス笑ってしまう。

第二作目の『ビフォア・サンセット』を見た時に、この続きを見たいと思ったのだが、本当に9年後に公開されるとは思っていなかった。飯田橋のギンレイホールで公開されたので、いそいそと見に行く。アクションシーンなんてまったくない。大きな事件が起こるわけでもない。ただただ、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが話して、ケンカして、笑って、また話している。ただそれだけの映画。ただそれだけの映画が本当に面白い。

この映画を見ると、否応なしに時間の流れを思い知らされる。嫌らしいまでに脂ぎっていたイーサン・ホークが枯れてしょぼくれた中年のオッサンになっている。『どうせアメリカ人はパリジェンヌと寝るのがステイタスだとか思ってるんじゃないの』なんて言っていたジュリー・デルピーも、下っ腹がちょっと出て、見事に中年体型になっていて切なくなる。でも、そこがこの映画の面白いところ。その辺りをちゃんと理解していて、ジュリー・デルピーは服を脱いで、垂れはじめたおっぱいを見せるだけじゃなくて、おっぱいを揺らしながら口喧嘩を続行するという潔さのいい演技をしてくれる。

時間が経ったんだ。引き返すことなんて出来ないんだ、ということを場面毎に迫られている。そんな気持ちにもなってくる。

ギンレイホールの前のほうの隅っこの席に身を沈めて第三作目の『ビフォア・ミッドナイト』を見ながら、ふいにそんなことを思ってしまったのだった。約20年という年月をかけて作られてきたシリーズ映画から、継続する時間の重みと、それが断ち切られたらどうなるのか、という哀しみのようなものを同時に受け取っていたような、そんな気がする。

http://beforemidnight-jp.com/main.html


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カテゴリー:未分類 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2012年8月28日 |

いま公開中の映画、「桐島、部活やめるってよ」がかなり面白い。
この春公開された「生きてるものはいないのか」よりも、
一見普通に見えるだけ「桐島、」のほうが面白さに拍車がかかる。

普通の高校に流れる普通の時間。
人より目立ちたいけど、人より目立ちすぎるのはいや。
退屈は嫌だけど、なんか必死なのも恥ずかしい。

そんな時、みんなの憧れだった桐島が部活をやめてしまう。
正確にはやめてしまうという噂が流れる。

それだけで、学校の中の人間関係の歯車が狂い始める。
いろんな部活の中の人間関係が、人と人との微妙な格差のあり方が、

桐島という頂点が揺れることで、音を立ててくずれていく。

それでも、映画部のいけてないめがね男子が8ミリカメラ片手に映画を撮ろうと
必死でファインダーをのぞいている姿が切なくて強い。

もう一度、この映画を見ようと思う。
一度目よりも二度目、二度目よりも三度目の方が
絶対に面白い映画だと思う。

公式サイト。
http://kirishima-movie.com/index.html


高林陽一監督、逝去。
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カテゴリー:未分類 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2012年7月20日 |

僕の映画の師匠であった髙林陽一監督が祇園祭の始まりを待っていたかのように亡くなりました。正確には僕の映画の師匠のさらに師匠、大師匠にあたる存在です。映画の学校を卒業して、すぐに高林監督の『魂遊び〜彷徨〜』という自主映画の助監督をさせてもらいました。一時期、VHSで発売されていたのですが、いまは中古で高値がついています。僕が数年前にインタビューした記事の中でも「自分でも買わへんわな」というくらいに高くなっています。この映画は京都に住む顔師(芸妓の白化粧をする人)である奥山恵介を追ったもの。ただ、ドキュメンタリーではなく、あくまでフィクションで、彼が作っていた人形が主演する場面があったり、ドラマが始まったり、奔放なつくりかたをした映画でした。

この映画ができたとき、高林監督は「やりたいことはやり尽くした」と感じたそうです。そして、実際に20年近く映画を撮らずに沈黙することになります。「撮りたいものもないのに撮れというのは、酷なことだよ」と言う監督に純粋な映画人としての側面と奥様を亡くされてひとり暮らしをしている老監督の寂しさのようなものを感じました。

一緒にモナコ映画祭へもっていって監督賞を受賞した作品の予告編。

高林監督への僕のインタビュー
http://isana-ad.com/home/talk/0806_takabayashi/01.html


『旅芸人の記録』と私。
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カテゴリー:未分類 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2012年5月6日 |

早稲田松竹でテオ・アンゲロプロス監督の追悼上映が行われている。5月5日から1週間は『旅芸人の記録』。早速、観に行く。一人で一番前の席に腰をかけて、画面に見入る。初めてこの映画を見たのは高校生の頃。キネマ旬報に書いてあった数十年に1本の傑作という言葉に惹かれて観に行った。
わからなかった。ギリシャのことも世界の歴史についても疎かった私にはストーリーも、アンゲロプロスが伝えたいこともわからず、なんどもウトウトとしながら必死で4時間耐えていた。
見終わって、あまりのわからなさに、もう一度続けてみた。当時は指定席入れ替え制ではなかったので、そういう見方が出来た。というわけで、もう一度見た。また分からなかった。眠るとか眠らないとかいう以前に、この作品を理解するだけの下地がないのだと思い知らされた。
あれから30年以上。やっとスクリーンで再会した『旅芸人の記録』はとても面白い映画だった。この映画が面白いといと感じられただけで、「ああ、少しは成長したのか」と思うことが出来た。不思議だったのは、主要な登場人物がときおりカメラ目線で語るというカットをすっかり忘れていたこと。そうか、そういうこともやる人だったのか、アンゲロプロス。とこれまた嬉しくなった。


映画を見て、映画に振り回される。
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カテゴリー:映画 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2012年3月22日 |

僕の友人に映画が大好きな人物がいる。僕も映画は好きだが、彼ほどではない。実際に映画を撮り続けている映画作家でも、彼ほど映画を愛している人物はいないのではないかと思うほどである。

それほど映画を愛しているのだが、「映画の方はもしかしたらオレを愛してはいないのではないかと思うんだ」と彼が僕に言ったことがある。映画を見すぎて、おつむにきたのか?と思ったが、そうではないならしい。どうやら、二三日に一度は、映画にいじめられているという印象をもつことがあるという。

例えば、青空。空が真っ青に晴れ渡り、そこに真っ白な雲が浮かんでいる。そんな時、彼は必ず「ジョン・フォードの青空だ」とつぶやく。が、真っ青に晴れ渡り、真っ白な雲が浮かんでいても、ジョン・フォードの青空にならないこともある。そんな時、彼は思うのだそうだ。「あと、雲の数が1割ほど少なければ、ジョン・フォードの青空になるのに!」と。

同じように、風でカーテンが揺れているのを見て、「ああ、もう少し風が弱ければ、ヴィスコンティの『山猫』と同じ感じなんだけどなあ」と思い、地元兵庫県芦屋の海を眺めては「『気狂いピエロ』の地中海の色にはほど遠い」と思ってしまうのだそうだ。

最近、とみにこの感覚が鋭くなってしまい、メシを食っていても、女の子と飲んでいても、映画と少し違うことばかりが目についてしまって、毎日が苦痛だと言い出したのである。

さて、どうしたものか。どうすればいいのか。と彼は僕に悩ましい顔をするのだが、考えていても妙案は浮かばず、「とりあえず」と声を発すると、「今日で終わってしまう映画があるから、見てくるよ」と力なく笑いながら立ち上がるのだった。


三大スターに囲まれて
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カテゴリー: | 投稿者:uematsu | 投稿日:2012年3月11日 |

神田にある「スタジオイワト」では、
藤井貞和さんの詩をみんなで朗読する、
というイベント「異なる声」が開催されました。

以前、どこかでも書いたけれど、
僕がまだ映画の学校に通っている頃、
つまり十代の終わりに自主映画を作っていて、
藤井貞和さんの詩集『ピューリファイ!』の一遍、
『途中の仕事』という詩をそのまんまタイトルにした映画を
撮ったことがあるほど大好きな詩人。

なので、書いた本人の前で、詩を読み上げるなんて考えただけで、
もう血圧が上がってしまうほど。

さらに、その朗読に高橋悠治さんがピアノ演奏を付ける、
と聞いてしまうと、さらにいけない。

だって、その映画のBGMは著作権なんてまるで無視して、
僕がかってにつけた高橋さんのサティが流れていたのだ。

さて、それからいままで告白していなかったけれど、
スタジオイワトにはもう一つ、僕を悩ませる存在が…。

実は、僕が20代の半ばで広告関係の仕事を始めた頃、
ずっと憧れていたのが、
スタジオイワトを運営されている平野さんのご主人、
平野甲賀さんなのであった。

これまでも、スタジオイワトに行くたびに、
平野甲賀さんをお見かけしていたのだけれど、
「ファンでした!」と言ってしまうと、
もう、どこを見ていいかわからなくなるので、
誰にも言わずに内緒にしてきたのだった。

しかし、今日、正面に藤井貞和さん、
その右手に高橋悠治さん、
そして、ズズッと右を見ると平野甲賀。

ついに、僕が十代から二十代にかけてファンになった神々が、
スタジオイワトにそろい踏みしたのだ。

三大スターに囲まれて、僕はもう自分勝手にふらふら。
一緒に参加した高校生の娘には、
「とうちゃん、ここに来ると、いっつも緊張してない?」
とすっかりバレバレ。

イベントそのものは本当にスリリングで面白いものだったが、
ここまで夢見心地だった僕に、
冷静にそれを判断できるだけの資格はきっとない。

ただただ、あんなに平均年齢の高い空間の中で、
もう立派に年配の男性三人を
まるでディズニーのエレクトリカルパレードのように、
眺めていたという事実があるだけ。

嗚呼


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