1930年代の相撲
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カテゴリー:青空文庫 | 投稿者:大野 裕 | 投稿日:2015年4月9日 |

4月9日に公開される久保田万太郎の随筆「角力」を公開前の最終点検時に読みながらネットを見て回った記録です。

「角力」は、NHKの東京放送局で仕事をしていた久保田がある日、国技館に相撲の観戦に行くという話です。初出がいつか分かりませんが、親本は1947年に好學社という会社から出たと書かれています。今も好学社という出版社(絵本の会社のようです)があるみたいですが、会社概要には昭和23年、つまり1948年設立と書いてあります。違う会社なのかなあ。でも、トップページの <title> タグには「1946年創業」と書いてありますね。よく分かりません。問い合わせフォームで質問してみたのですが、返事はもらえませんでした。

文中に「「開橋記念」で両国の近所はわけもなくにぎやかだつた。」とあるので、話は1932年のことでしょうか?(両国橋 – Wikipedia) NHKの放送博物館のサイトに「久保田万太郎と愛宕山」という過去の展示のページがあり、それによると久保田は1925年から38年ごろまで NHK (東京に勤めていたとありますから、それとも齟齬はありません。

話が横に逸れますが、NHK のページには、久保田が後に、職を辞した理由として「日支事変以来、(中略)放送局の在りかたが、ぼくのような自由主義者を許容する寛大さをうしなってきたので」と語ったと綴られています。ここらへん、今の私たちの社会の危うさに通じるところがあるように思います。「日支事変」とは、もちろん、1937年7月7日に端を発する戦争のことです。

久保田は、30年ほど前、十代のころ、相撲を観に行ったことがあると書いています—「小錦の横綱時分です。」 これまたウィキペディアによると、初代の小錦関は1896年に横綱に昇進し、1901年に引退したとあります。文中にはその当時の力士の名前が他にもいくつか挙げられています。

観客数のことが話題にされています。これは今も、減っただの増えただの、ときどき聞きますから、同じような感じかもしれません。日本相撲協会公式サイトのどこかに観客数の統計があるのだと思いますけれど、探し当てられませんでした。

仕切りの時間のことも話題になっています。現代における仕切り時間の話は相撲の制限時間 | 大相撲ドットコムをどうぞ。

文中に登場する水上瀧太郎とその「貝殻追放」も青空文庫で読むことができます。

観客の中に、久保田は俳優の片岡仁左衛門を発見します。十一代目でしょうか。「老優」として紹介されています。亡くなる2年前だったようです。また、往年の力士として鬼竜山という相撲取りも紹介されます。時代からすると、二代目の人のようです。久保田は「ある場所でかれは全勝した」と書いていますが、取り組みの成績のデータベースには、そのような記録はありません。逆に、全敗した場所があったことになっています… 鬼竜山が現役だったころの新聞記事を復刻なさっているかたがいらっしゃいました。こちらです。

この日、久保田を国技館に連れて行ったのは、同僚の石谷さんという同僚で、文中に23回登場します。ネットではあまり出てこないのですが、1930年代のようすについていろいろと書いていらっしゃる藤田さんというかたのブログの記事「東京落語会 」でこれが石谷勝という人物であることを知りました。回向院というところにある相撲関係者の顕彰碑にも、この人の名前が刻まれているそうです。

久保田が NHK を去った理由として語ったものを上に引用しました。「角力」が書かれたのは、彼が辞職する数年前のことであっただろうと思われますが、街のようすが変わったね、相撲の取り口が変わったね、観に来ている人たちも変わったね、みたいなことは書かれていますけれど、右傾化する社会の閉塞感、愚かな戦争に向かっていく不安などは、ここには綴られていません。この随筆を書いた時にはまだそれを感じていなかったのでしょうね。そのあとの変化は、とても急速だったのでしょう。


地底から不思議へ:ルイス・キャロルの加筆をたどる 第12回
144

カテゴリー: | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2015年4月7日 |

【第11回へ】

【凡例】
修正:草稿→修正▼
削除:削除→▼
加筆:▲→加筆▼


▲→12 アリスがわけを語る▼

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地底から不思議へ:ルイス・キャロルの加筆をたどる 第11回
143

カテゴリー: | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2015年4月6日 |

【第10回へ】

【凡例】
修正:草稿→修正▼
削除:削除→▼
加筆:▲→加筆▼


▲→11 だあれがタルトをぬすんだの▼

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地底から不思議へ:ルイス・キャロルの加筆をたどる 第10回
142

カテゴリー: | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2015年4月5日 |

【第9回へ】

【凡例】
修正:草稿→修正▼
削除:削除→▼
加筆:▲→加筆▼


▲→10 ロブスターのカドリール▼

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125年前の愉快な文学者たち
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カテゴリー:青空文庫 | 投稿者:大野 裕 | 投稿日:2015年4月2日 |

4月3日に江見水蔭という人の「硯友社と文士劇」という作品が青空文庫に収録されます。明治時代の文学者たちの交友のようすが描かれているのですが、公開前のチェックのために読んだ時(すみません、自己紹介をしていませんでした。はじめまして。最近、点検チームに参加した大野裕と言います)、あまりに自分がこの時代のことについて無知であるのを残念に思いました。その時に調べたウェブサイトなどをリンク集のような形で残しておきます。

硯友社というのは、ウィキペディアによると、「明治期の文学結社」です。「結社」って、かっこいいですよね。私、子どものころから、秘密結社とか好きでした。青空文庫も「21世紀初頭の電子書庫結社」とか名乗るといいのに。硯友社については、その中心人物であった尾崎紅葉の「硯友社の沿革」のほかに、内田魯庵の「硯友社の勃興と道程」という文章が青空文庫に収録されています。水蔭の文章の最後に出てくる魯庵の『思ひ出す人々』というのがこれです。

著者の江見水蔭(ウィキペディア)は、すでに10作品が青空文庫に収録されています。近代デジタルライブラリーには版面の画像がかなりたくさんあります。

「硯友社と文士劇」は、文学者の仲間たちがチャンバラ劇をやるという話です。こう言ってはなんですが、かなりドリフみたいな感じだったようです。百科事典では、この公演のことが「文士劇」の始まりとして紹介されています。尾崎紅葉、江見水蔭のほかに、以下のような文学者が出演しました。

と、ここらへんまでは、なんとなく調べがつきましたが、もう一人、「錦簔」という人は、なかなか答えが出なかったので、諦めました。** 文学が好きなかたなら、すぐ分かることなのかもしれません。

そのほか、こんな人たちの名前が出て来ます:杉浦重剛、坂東甚五郎(市川九字蔵)、武内桂舟、安川政次郎、田中煙亭、佐藤黄鶴、観世清廉

ここに描かれているのは1890年(明治23年)のようすです。ラフカディオ・ハーンが日本に来た年。明治政府が「教育勅語」を出した年、帝国議会が始まった年だそうです。

それから125年後の2015年に生きる私たち。今から125年後の人たちのもとには、今日の私たちのどんな姿が記録として残っていて、どんなふうに私たちのことを見るのでしょうね。

* **:コメント欄にて、araki さんから、それぞれ石渡露紫および平田錦蓑のことだとお教えいただきました。araki さん、ありがとうございました。(2015/04/05 追記)


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