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時は春――ハリー・クラーク幻想詩画集・抄
The Year’s at the Spring, edited by L. D’O. Walters and illustrated by Harry Clarke
時は春、
日は朝《あした》、
朝《あした》は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
――ロバアト・ブラウニング/上田敏訳「春の朝」
「羊飼いの女」アリス・メネル(1847-1922)
歩む彼女――わが喜びの貴婦人――
群れ従える羊飼いの女よ。
率いる羊は内心そのもの。純白に保ち、
転げ落ちぬよう護っている。
花かぐわしい丘にて羊に餌をやり、
抱き寄せては寝入らせる。めぐる彼女――母なる丘と明るくも
暗い谷間を、危なげなく深く。
宵にはあのあたたかいふくらみのうちに
清らかな星々が出でることだろう。
歩む彼女――わが喜びの貴婦人――
群れ従える羊飼いの女よ。見失わぬ彼女――そのささやかな想いを抱き、
晴れ晴れと走り抜け跳び越えてゆく。
いと思慮深く善良だからこそ
魂を揺るがせまいとする彼女。
歩む彼女――わが喜びの貴婦人――
群れ従える羊飼いの女よ。
「春」ウィリアム・ワトソン(1858-1935)
春よ春、
こたびも少女の笑みを。
そのせつなの
のちに少女の涙を!
春よ、どうかわが耳に。
愛しの君にことごとく
わが喜憂を伝えし折には。
春よ春、
こたびも黄金の笑みを。
ただせつなの
のちに黄金の涙も。
「ゆりかごの歌」サロージニー・ナーイドゥ(1879-1949)
香辛料の木立から
お米の畑を抜け
蓮の浮かぶ小川を越えて
あなたのために運びゆく、
露と雫に濡れながら
ささやかな楽しい夢を。目をおつむり 愛しい子、
自然のホタルが何匹も
魔法の木をめぐり飛ぶ。
あなたのために
ヒナゲシからくすねてきたよ、
ささやかな楽しい夢を。かわいいお目々 おやすみね、
金色の光につつまれて
あなたのまわりで星空がきらめく。
やさしく撫でて
あなたにじかに届けたい、
ささやかな楽しい夢よ。
「あとすこしで!」クイーニ・スコット=ホッパー(1881-1924)
ちゃんとは見れてないんだけど、
森の原っぱで妖精さんのおどるとこ。
あそこの樫の木のうろの裏に
ずらっと草の輪っかが並んでて。
でも、その樫のかげに隠れてたら
あの日は見えそうだったの、あとすこしで!ちゃんとは見れてないんだけど、
夕暮れの海に人魚の上がってくるとこ。
じめじめの浜辺は日暮れの空で
真っ赤にそまったりしてて。
でも――こっそり、岩場のあいだに――
あの夕べは見えそうだったの、あとすこしで!ちゃんとは見れてはないんだけど、
こわいゴブリンが納屋に出てきたり
そこの木箱の薄暗い物かげから
頭をぴょこんと出したりするとこ。
でもあのとき――ママが目を上げたりしなけりゃ、
見えそうだったの、あとすこしで、あとすこしで!
「塩沼地から漏れ聞こえるには」ハロルド・モンロー(1879-1932)
水精《ニンフ》さんよお、そのビーズは何だい?
碧ガラスよ、小鬼《ゴブリン》さん。そんなにまじまじ、どうしたの?
そいつをおくれよ。
いや。
おくれったら、おくれよ、おいらに。
いや。
だったら葦の原っぱで夜通しわめいて、
泥に寝転びながら、おくれよと叫んでやるぜ。小鬼さん、そんなに好き好き、どうしたの?
星空よりも水面よりもすばらしいのさ、
吹きすさぶ風の歌声よりも上等ときて、
どんな美しい人の娘よりもきれいとくる、
その銀の環にした碧ガラスのビーズはよお。やめて。月からくすねてきたのはあたしなの。
なあ、そのビーズおくれよ。ほしいんだよ。いや。
その碧ガラスのビーズのためなら
深い沼の底からでもわめいてやるさ、それくらい大好きさ。
おくれったら、おくれよ。イヤ!
「ここにホウキがあればなあ」パトリック・R・チャーマーズ(1872-1942)
ここにホウキがあればなあ、その乗り方がわかればなあ、
ジェーンがお茶に出ているすきに、この窓から外に飛び出て、
ホウキをあやつりながら煙突屋根の上を越えて抜けていって、
ぼくみたいな足を痛めた子の行けないところへ行くのにな。
そうすればカニだらけの岩場を走ったり海に入ったり、
ほら、むにむにの赤いイソギンチャクは触るとちぢむんだってね。
ここにホウキがあればなあ、その乗り方がわかればなあ、
ここにホウキがあればなあ――松葉杖の代わりに!
「秋のご支援」ローズ・ファイルマン(1877-1957)
ニシキギさん、ニシキギさん、どうかお貸しになって?
道行きを照らしてくれる、ささやかな手灯しを。
妖精さんたちみんな森の川辺や原っぱからいなくなったから、
あたりを探し回ってまた見つけ出してみたくって。
手灯しをいただけたら、その灯りを手に
夜闇に隠れた小径を見つけてやるんだから。トネリコさん、トネリコさん、こちらに投げてくださる?
金褐色の鍵が鈴なりに実る、すらりとしたその枝を。
妖精の国への門が何だか早々閉じてしまって、
あなたの魔法の鍵がないと通れないみたいで。
腰のガードルに結んでおけば、歩くだけで
ちりんちりんと音色に心も軽くなったりするから。モチノキさん、モチノキさん、手助けしてちょうだい。
ポケットいっぱいの木の実のご支援を所望よ。
ポケットいっぱいの木の実をきらきら輪に結べば
(手ぶらでおうかがいする気なんかさらさらないの)
ほら深紅の鎖の出来上り、はなやかきらびやか、
きっと妖精の国みんなで楽しくおどれるんだから。
「ドゥーニーのフィドル弾き」ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865-1939)
ドゥーニーでおいらがフィドルを構えて弾けば
みんなは海の波のように踊ってくれる。
いとこはキルヴァーネットで僧侶をやってて
きょうだいはモハラブーイに住んでいる。いとこときょうだいの様子をのぞいてみたら
ふたりは自前の祈祷書を読んでいる。
こちらもスライゴの市であがなった
お気に入りの歌の本を読んでやる。みんな寿命の最期が来たら
鎮座するペテロに会うわけだけど、
きっとこの老いた三人の霊に微笑んで
まずはおいらに門を通れと呼ぶはずだ。そりゃ善人は気のいいやつらだから、
不運な目にさえ遭わなければね。
陽気なやつらはフィドルが大好き、
陽気なやつらは踊るのも好き。天国のやつらがおいらを見つけりゃ
みんなしてこっちに集まってきて
「ドゥーニーのフィドル弾きがいるぞ!」
あとは海の波のように踊るわけさ。
「死者」ルパート・ブルック(1887-1915)
吹き鳴らせ、喇叭隊よ、あの立派な死者一同へ。
かねてより切なくもひもじくもないところだが
死のきわには、金より価値ある餞別となる。
この世を去らせ、若さという甘美な赤ワインを
そそがせ、日々を勤めと喜びに捧げさせたのは、
それこそ思いも寄らぬ穏やかなるもの、
いわゆる生涯なるもの。ゆくゆくは同じゅうする
倅たちに、不滅のものを継がせた死者らよ。吹け喇叭よ、吹け! おかげでわれらの喪失にも
長らく欠いた聖浄と、愛と痛みとが届いた。
誉れの化身が王として地に帰り来たって、
臣下たちに直々褒美を下賜なさった。
かくしてわれらの道行きは再び気高く、
おのれ自ら後世の遺産となった次第。
「万象に神は宿り、万物はわが半身」レティス・ドイリー・ウォルターズ(1880-1940)
これほど愛をくださるおかたは他にない、
万象に神は宿り 万物はわが半身。
わたしはなだらかな丘を転がるもの、
大平原から下へ下へ。
わたしの生まれは一千の嵐、
豪雨のせいで濁ってしまう。
わたしがともに立つのは万年岩、
かぐわしい草花も咲き誇る。
わが戦友は風雨に痛むモミの林、
実が熟してくるとしだれがち。
わが遠見のつきあいはおごそかな雲、
荒野の沼地とまどろんでいる。
わが競争相手は水の急流、
その激流の冷めるあたりで寝転がる。
翼の丈夫な鳥のごとく舞いながら、
わたしも獲物を見つけると飛びかかる。
わが目覚めの友だちは薄暗く寒い夜明け、
消えゆく日のなかにも燃え上がる。
なぜなら万象に神は宿り 万物はわが半身、
これほど愛をくださるおかたは他にない。
訳者コメント
■ご存じ幻想画家ハリー・クラーク(Harry Clarke, 1889-1931)が挿絵を寄せた代表作たるアンソロジー詩集The Year’s at the Spring: An Anthology of Recent Poetry (1920)から、画つきの詩篇で気に入ったもの(そして著作権の保護期間が満了しているもの)を選んで、抄訳しました。
■元々は旧Twitterで2022年の8月ごろに即興で訳して投稿していたのですが、もういくつか足して小詩集らしくしました。そのうち青空文庫にも入れようかと思います。
■カラー挿絵本全盛期の画家たちをどうにかして青空文庫に1人1作ずつくらいは入れたい、という気持ちがあって、ビアトリクス・ポターに取り組んだあと、これまでケイト・グリーナウェイ、アーサー・ラッカム、エドマンド・デュラック、ランドルフ・コールデコット、ウォルター・クレインと、いろいろやってきたわけですね。
■アリス・メネル(Alice Meynell, 1847-1922)は、サフラジェットのひとりで、桂冠詩人の候補者でもあった詩人。一見ヴィクトリア朝のカトリック信仰らしい表現の向こうに、白と緑と花とを備えて意思決然と進む姿が見えます。
■ウィリアム・ワトソン(William Watson, 1858-1935)は、当時の人気詩人。底本詩集の表題『時は春』の出典であるブラウニング「春の朝」にオマージュを捧げる巻頭詩に選ばれたわけですが、ヴィクトリア朝趣味の強い作で、かの名詩と比べるのはやや酷でしょうか。
■サロージニー・ナーイドゥ(Sarojini Naidu, 1879-1949)は、弁論と詩に秀でた人物で、女性権利運動とインド独立運動に活躍しました。〈インドのイェイツ〉〈インドのナイチンゲール〉とも言われています。ちゃんと文学を学んだ人の詩らしい作品。今回の追加訳。
■クイーニ・スコット=ホッパー(Queenie Scott-Hopper, 1881-1924)は、海辺の保養地として名高いホイットリーベイで暮らした作家。見えそうで見えない、子どもの言い訳なのかそうでないのか、ふしぎのあわいを巧みに切り取った詩です。
■ハロルド・モンロー(Harold Monro, 1879-1932)は、詩人で編集出版者。詩誌や各種詩集の出版で詩を盛り立てました。原著では序文を書いてくれた有名人という位置づけです。
■パトリック・R・チャーマーズ(Patrick R. Chalmers, 1872-1942)は、銀行勤めをしながら執筆活動を続けた、スポーツものを得意とする作家。デビュー作となる詩集には、幻想風の児童詩も多数含まれていました。
■ローズ・ファイルマン(Rose Fyleman, 1877-1957)は、妖精譚で人気を博した童話童謡作家。雑誌『赤い鳥』にもその再話がいくつか採録されています。
■追加訳。W・B・イェイツ(William Butler Yeats, 1865-1939)は言わずと知れた名詩人で、ノーベル文学賞受賞者。天国の鍵を持つペテロは割とありふれた画題。原書には「湖島イニスフリー」も採録されていて、クラークの口絵も付いています。
■当世流行の夭折のイケメン詩人ルパート・ブルック(Rupert Brooke, 1887-1915)によるかっこいい葬送のソネット詩のはずが、ハリー・クラークの手にかかるとなぜか「誉れ」の擬人化がラスボスじみた異形の姿となる。なぜ?
■原著の編者であるレティス・ドイリー・ウォルターズ(Lettice D’Oyly Walters, 1880-1940)自身の詩は、自然と信仰心と日常生活のつながりが素朴に表現されたもの(追加訳)。なのでこれもクラークの画にはちょっと困惑(そうはならんやろ)。ともあれ、この詩集は寄稿者にアイルランド出身者と女性の割合が多く、編者の一定の意図が垣間見えます。
■今年はとても忙しかったです。隔月くらいのペースで「本が出ますよ!」と告知していた気がします。