TPPによる著作権保護期間延長の危機に際しての思い
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カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:AOZORA TPP問題 | 投稿日:2014年5月26日 |
執筆者:sogo

2014年5月22日付そらもようを見て、意見表明をしたいと思い書かせていただきました。

読売新聞報道以来、著作権保護期間が70年に延長されるのではないかとおびえながら、江戸川乱歩作品を入力してきました。あと1年半、2016年1月1日には公開できる!と頑張ってきたのに、ここで70年に延長されたら、それまでの分も含めてお蔵入りにせざるをえません。

江戸川乱歩氏がパブリックドメインに入れば、彼が産みだした明智小五郎や怪人二十面相、小林少年を団長とする少年探偵団の世界がフリーカルチャーにはいり、 少年探偵団関連をまとめた全集が新たに出版されたり、魅力的な絵師の手でさまざまな怪人二十面相が描かれたり、あの世界を下敷きにした二次創作や新たな芸術作品が産みだされるはずです。それに、私が学校の図書室で読みあさったあの世界にふたたび出会えるのを楽しみにしているのです。電子書籍としても紙本で も新たな読者にあの世界をみせられる、それはとてもワクワクすることで、だからこそポチポチ入力していく地味で目がいたくなる作業に日々従事してきたのです。

ですが、ここで70年に延長されたら、フリーカルチャーのなかにあの世界が入るのは2036年まで先送りされます。あと20年待つのは耐えられません。

なので、青空文庫が、かつて検討されていた著作権保護期間延長の流れをくいとめたようなムーブメントをふたたび起こしてくれるのを期待しています。

ただ期待しているだけではなんの意味もないので、こんな「三本の矢」が放てないかなあと思ったものを書かせていただきます。

安部総理は一連の経済政策、通称アベノミクスによって、不景気にうちひしがれていた空気を反転させ、景気回復に持っていきました。それにならい、時期をずらした3つのアクションを起こし、大きな期待をもたらすことで、著作権保護期間延長をくいとめる力をつくれないでしょうか?

1.著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名を再び集め、国会に提出する。

2007年から2008年にかけて青空文庫において著作権保護期間の延長をおこなわないようもとめる請願署名を集めていましたですよね。あれを再び集めるのです。まずはここから。意見表明するだけでもインターネット上では拡散してくれる人は多数いることでしょう。

2.青空文庫の一式をおさめたDVD-ROM付き冊子「青空文庫 全」を再び作成する。

青空文庫 全」の作成は、一月や二月でできることではないですが、青空文庫の一式をおさめたDVD-ROMを作って希望者へ実費を負担してもらった上で配送してしまうところまでを実行しておけば、形あるものが手元にくるのでやはりうれしいです。
DVD-ROMのパッケージで1.の署名用紙を一緒におくれば一粒で二度おいしいはず。

3.2015年1月に、書店で「みんなのものになった文化フェア」を書店で実行する。

じつはこれが本命だったりしますが、実際にものを見せた方がインパクトが強いと思うのです。「著作権保護期間満了=パブリックドメインに入る」ということは、単に「青空文庫で公開できるようになる」ことだけを意味するのではなくて、その作品を新たに出版したり新たな絵師の表紙やさし絵で付加価値をつけたりすることで、お金儲けの種もふえるんだよーもちろん個人の生活も豊かになるよーということを、青空文庫を知らない人にも見せてやりたいのです。
パブリックドメインに入っている作品の紙本を集めて書店でフェアをすれば、本屋に行くような人へのアピールになるのではないでしょうか。というか、個人の善意の集積でどれだけ文化が豊かになったのか、私が見たいです。
吉川英治氏「三国志」「宮本武蔵」(新潮文庫)とか、インプレス社発行の青空文庫PODNDL所蔵文庫PODとか、真珠書院のパール文庫とか、ヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル」豊島与志雄訳とか「チベット旅行記」河口慧海著とか片岡義男氏の青空文庫公開済みの本とか…。
そのなかに2.の「青空文庫 全」を市販するか寄贈したものをならべるかしておくことで、青空文庫としての主張もきっちりつたえられることが期待できます。

時期的には1.署名集めが夏で、2.「青空文庫 全」の作成が秋、その間に出版社と書店と交渉して2015年1月に「みんなのものになった文化フェア」を実施。これでとぎれなく世論を喚起できると思うのです。

かつて山形浩生氏はローレンス・レッシグ著「FREE CULTURE」 の翻訳あとがきにおいて「理論的にどうこう言う話をいくらしてもしょうがない。現実に著作権をやたらに引き延ばすと害があるんだ、ということを見せなきゃいけない」(FREE CULTURE 初版第1刷362ページ)と書きました。それにならって今こそ「理論的にどうこう言う話をいくらしてもしょうがない。現実に著作権が切れることで利益があるんだ、ということを見せなきゃいけない」のだと思ったのです。

末筆ながら、青空文庫が今後も新しい共有作品を生み出していけるようお祈り申し上げます。


電子の本が燃やされるとき
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カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2014年5月22日 |

本が青空の棚から消えてなくなる、という事態は、単に図書が閉架になることでも、禁帯出になることでもない。

著作権法上、データベース上にアップロードしてアクセスだけ禁じる、という形で残すこともできない。また青空であることは館内がないということだから、まさに本を棚から消すことしかできないわけだ。

それは青空の棚の実務に携わる者からすれば、その図書を禁書とすること、あるいはその本を公の場で火にくべることと、ほとんど変わりがない。紙の本ではなく、電子であるがゆえに、もしその日がやってくれば、私は青空の書架から本を消去しなければならないのだ。

そして次の日、その本を読もうと思ってやってきた人に、
「昨日まであった(あるいは、今日からPDになるはずの)本を読みたいのですが、見つかりません。どうすればいいでしょうか。」と、私は聞かれるだろう。
そうすれば、もちろん「もうここにはありません。買って読んでください。」と私は言うだろう。

それにどういう言葉が返ってくるだろうか。
「よかった、お金は持っていますから、買えます」と、相手は言ってくれるだろうか。
それとも、「買うお金がありません。」「そもそも市場に売っていません。」と言われるだろうか。

そこで私はさらに言うかもしれない、「お金がなければ、調達してください。たとえば、働くとか。」と。
そこで「わかりました、がんばって働きます。」と返ってくればよいが、「入手する費用は、とても働いてどうにかなる額ではありません。」と言われるかもしれない。
「ごめんなさい、ぼくは働けないのです。」もしくは「お小遣いが足りないのです。」と言われることもあるだろう。

あるいはこう私は言うだろうか。
「お金がなければ、図書館に行ってください。」
そうすれば「わかりました、行ってみます」となるのか、それとも「近くに図書館がありません。」
「図書館はあるけど、日本語の本がありません。」
「そもそも図書館は、いえ書店も、蔵書もみんな流されてしまいました。」となるだろうか。

それとも、私はこう問いつめられてしまうだろうか。
「そもそもお金が問題ではないのです。その本が、誰でもどこでも自由に読んだり、描いたり、朗読したり、配ったり、変換したり、創作したりできることが重要だったのです。そうでなければ、ぼくには意味がないのです。」

想像してみるべきなのは、将来・現在のパブリック・ドメインを減らすことで、私たちがいったい「誰」から本を奪ってしまうことになるのか、ということだ。

あるいは、本から「誰」を奪ってしまうのか、と言い換えてもいい。青空文庫で作業した人は、本に感情移入することがある。埋もれている今ではほとんど誰も読まない本を、少なくとも私は好きで、それを誰でもいいから誰か読んでほしい、と、まるで自分が本そのものであるかのような気持ちになって、入力・校正することがある。

そういった本も、受け入れることができなくなってしまうのだろうか。
「ぼくが先日お渡しした、あの面白い本、今、棚にはないんですけど、どうなったのですか。」
「あの本、いろんな人に読まれてますか。」
そう尋ねられても、返事ができそうにない。

本が「ここで誰かに会えるかな」と、青空の下で読者を待っている光景を、私は想像する。その本たちを、ある日を境に棚から消さなくてはならなくなる、陽の当たらないところへと返さなければいけなくなる、そんな現場を心に思い描いてみたとき、とても穏やかな気持ちではいられない。

もちろん明日にすぐそうなるという危機ではないのかもしれない。杞憂に過ぎなければ、それで構わない。しかし、何も言わず静かに本を消すことだけは、避けたいと思っている。

そのときまでに、私は青空文庫にあるパブリック・ドメインを、できる限りたくさんコピーしたい。ローカルなPCに、スマホに、タブレットに。あるいは声に、記憶に、舞台上の身体に、マンガに。DVDに、ウェブサービスに、図書館に。
そしてたくさんのパブリック・ドメインに、できるだけ多くの人が出会えるようにしたい。棚にあるデータがなくなったとしても、どこか電脳空間の片隅に残っていてほしい。

海外のアーカイヴにも、もっと青空文庫のコレクションがコピーされないだろうか。著作権保護期間が依然として死後50年の国で、避難民を受け入れるかのように、アーカイヴされたりしないだろうか。

私はときどき、生物としての人類の絶えてしまった地球上で、生き延びたロボットたちが散逸した本をひたすらにアーカイヴしている光景を夢想することがある。ロボットたちは、瓦礫のなかから遺物を発掘し、文字情報を復元する。そのときに記されているのは、紙だろうか電子だろうか、それとも石だろうか皮だろうか。

いや、きっとどれかひとつでも残れば、何でもいいのだろう。焚書の憂き目にあったというティンダル聖書は3冊しか完本が残らなかったというが、それだけあれば、今私の手元にあるような複製版が作れるというわけだ。コピーして、コピーして、コピーして、生き残らせよう。

電子の本が燃やされるかもしれないときのために――曇り空、いや、雷が轟き炎の渦巻く空から、パブリック・ドメインを守るために。


ビフォア・ミッドナイト
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カテゴリー:映画 | 投稿者:uematsu | 投稿日:2014年5月9日 |

リチャード・リンクレイター監督の『ビフォアシリーズ』が18年の歳月を経て完結した。1995年の『ビフォア・サンライズ』からスタートしたシリーズは、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが主演する恋愛映画だ。映画の沈黙は美徳だと思うけれど、この映画はずっと主人公二人が話し続ける。第一作はウィーンに向かう二人が出会い、夜明けに別れるまでずっと話している。第二作目は9年ぶりに再会した二人が、イーサン・ホークが飛行機に乗る夕方までの時間をずっと話している。そして、完結編と言われている第三作目では、一緒に暮らしている半ば倦怠期を迎えた二人が夜中まで、これまたずっと話している。

この映画は第一作が作られてから、ほぼ9年おきに、劇中でも同じだけの時間が経過したという設定で作られていて、見る側は「9年前の、ほら、あの二人はどうなったんだろう」というまるで知り合いのカップルのその後に立ち会っているかのような、そんな気分になれて、なんだか楽しい。久しぶりに会うあの二人はいまどうしているんだろう、と見守っているのに、すぐにケンカを始めてしまう様子を見ながら「9年前と変わらないじゃないか」とクスクス笑ってしまう。

第二作目の『ビフォア・サンセット』を見た時に、この続きを見たいと思ったのだが、本当に9年後に公開されるとは思っていなかった。飯田橋のギンレイホールで公開されたので、いそいそと見に行く。アクションシーンなんてまったくない。大きな事件が起こるわけでもない。ただただ、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが話して、ケンカして、笑って、また話している。ただそれだけの映画。ただそれだけの映画が本当に面白い。

この映画を見ると、否応なしに時間の流れを思い知らされる。嫌らしいまでに脂ぎっていたイーサン・ホークが枯れてしょぼくれた中年のオッサンになっている。『どうせアメリカ人はパリジェンヌと寝るのがステイタスだとか思ってるんじゃないの』なんて言っていたジュリー・デルピーも、下っ腹がちょっと出て、見事に中年体型になっていて切なくなる。でも、そこがこの映画の面白いところ。その辺りをちゃんと理解していて、ジュリー・デルピーは服を脱いで、垂れはじめたおっぱいを見せるだけじゃなくて、おっぱいを揺らしながら口喧嘩を続行するという潔さのいい演技をしてくれる。

時間が経ったんだ。引き返すことなんて出来ないんだ、ということを場面毎に迫られている。そんな気持ちにもなってくる。

ギンレイホールの前のほうの隅っこの席に身を沈めて第三作目の『ビフォア・ミッドナイト』を見ながら、ふいにそんなことを思ってしまったのだった。約20年という年月をかけて作られてきたシリーズ映画から、継続する時間の重みと、それが断ち切られたらどうなるのか、という哀しみのようなものを同時に受け取っていたような、そんな気がする。

http://beforemidnight-jp.com/main.html


青空文庫’14/03月-’14/04月の月間アクセス増率分析
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カテゴリー:未分類 | 投稿者:POKEPEEK2011 | 投稿日:2014年5月6日 |

新規公開作品の中では、野村胡堂、吉川英治の新規公開作品は軒並みランクインしていることは、いつもの通りだが、今月ラヴクラフト「ニャルラトホテプ」がXHTML版で1位(200超アクセス235.56)、テキスト版で2位(200超アクセス54.74)であることが注目される。やはり、注目されている作品は、大きなアクセス数を得ることができるのdさ。

既存作品のアクセス増率ランキングは、XHTML版とテキスト版とでまるで様子が異なる。XHTML版にランクインしている作品は、なにが要因でアクセス数が増加しているのか、私には分からない。芥川竜之介「軍艦金剛航海記」は、艦コレが要因らしい。
テキスト版では1位がグリム「白雪姫」で、ほかにグリム作品が6作品もランクインしている。ディズニー映画「アナと雪の女王」の大ヒットの影響で、アンデルセン童話だけでなく、グリム童話のアクセス数が増えているのであろう。

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