ルイス・キャロル『アリスの地底めぐり』第1章(草稿)
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カテゴリー: | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2012年8月7日 |

 

アリスの地底めぐり

ルイス・キャロル

大久保ゆう訳

 

ありふれた

クリスマスのおくりもの

かわいい子へ

ある夏の日の思い出に

 

 

ひとつめ

アリスはあっきあきしてきた、池のほとり、お姉さまのそばですわってるのも、何もしないでいるのも――ちらちらお姉さまの読んでる本をのぞいてみても、さし絵もかけ合いもないから、本のねうちはどこ、とアリスは思う、さし絵もかけ合いもないなんて、って。だから物思いにふけるばっかり(といってもそれなり、だって日ざしぽかぽかだとぼんやりねむくなってくるし)、デイジーの花輪づくりはわざわざ立ち上がって花をつむだけ楽しいものなのか――そこへふと赤い目の白ウサギが一羽そばをかけぬける。

あまり目を引くようなところもないから、アリスにしてもさほどとんでもないとも感じないでいると、ウサギのひとりごとが聞こえてきて。「おおお、ちこくでおじゃる!」(あとになって思い返すと、ここでふしぎがってしかるべきという気もするけど、そのときはみんな自然きわまると思えてね)そのつぎにウサギがチョッキのぽっけから時計を取り出しまじまじしてからかけ足したから、アリスも足を進めたんだ、だってむねがはっとした、これまでそんなウサギ見たことない、チョッキにぽっけがあったり、時計を取り出したり、そこで気になる気になる、野原をかけて後をおっていくと、ちょうど目の前でそいつはかき根の下、大きなウサギ穴にぴょんと入って。たちまち飛びこみアリスは後をおう、またもどってこられるかなんて、ちっとも考えもせずに。

そのウサギ穴はまっすぐつづいて、まるでどこかトンネルみたい、そのあといきなり下り坂、いきなりすぎてふみとどまろうと思うまもなく、気づいたら深いふきぬけみたいなところに落っこちていて。穴がすごく深いのか、落ちるのがすごくゆるやかなのか、どうにもひまがありすぎて、落ちるあいだにあたりは見られる、つぎに何が起こるのかなって思いもできる。まず下を見てみると、ゆく先はわかるけれども、暗すぎて何がなんだか。そのあと穴のぐるりを見ると、目にとまるのはぎっしりならんだ戸だなに本だな。あちらこちらに画びょうでとまった地図に絵。通りがかりにたなのひとつからびんを取ってみると、〈オレンジ・マーマレード〉とはられてあるのに、とてもがっかり、中身はから。とはいえ、びんを放るのはしのびない、だって下のだれかが死ぬといけないから、うまく戸だなのひとつへ通りすがりにおいておいた。

「ふふ!」とアリスは考えごと。「こうやって落ちておけば、もう階段《かいだん》転げ落ちるのなんてわけなくてよ! おうちに帰ったら、あたくしみんなの英雄《えいゆう》ね! ええ、お屋敷《やしき》の屋根から落ちたって、何も声をあげたりしないわ!」(そりゃあまあそうだよね。)

ひゅうん、うん、うん。いつになったら落ちきるのかな。「これまでのところで、どれくらい落ちたのかしら。」と声に出してみる。「地球のまんなかあたりには来てるはずね。だってほら、6400キロの深さだっていうし――」(だってほらアリスはお勉強《べんきょう》の時間にこういったことはそれなりにかじっていたからね、今ここでひけらかしたところで、聞く人もいないからどうしようもないけど、そらんじるけいこにはなったかな。)「うん、それで深さは合ってるけど、あと今いるケイドとイドは何ぞ?」(アリスは経度《けいど》も緯度《いど》もさっぱりだけど、今言うと格好《かっこう》がつくかなと思っただけ。)

やがてまた始めて。「まさかこのまま地球をまっすぐつきぬけて? 面白いわ、行きつく先の方々は頭を下にして歩いてるってわけね! でもちゃんとお国のお名前何ですかっておうかがいしないと、ねえ。どうも、おくさま、ここはニュージーランド、それともオーストラリア?」――と言いながら左足を引いてひざをまげようとしたんだけど(空中でこんなふうにスカートつまむところ思い描ける? できると思う?)「そうしたら物をたずねたあたくしが、なんて物知らずの小娘って思われてよ! だめ、聞けない。でももしかしたらどこかに書いてあるのが見つかるかも。」

ぴゅうん、うん、うん。ほかにやることもなくて、またすぐにアリスはしゃべりだす。「ダイナ、あたくしがいなくて、今晩はきっとさみしがっていてよ!」(ダイナはネコのこと。)「みんなお茶の時間にミルク出すのわすれてないといいけれど! ああ、ダイナちゃんここにつれてこればよかった! 空中にネズミはいなさそうだけど、コウモリならとれるかも、だってほら似ててよ、ネズミと。でもネコってコウモリ食べるのかしら。」ここでアリスはちょっとねむたくなってきて、うつらうつらしながらひとりごとをつづける。「ネーコってコーモリ食べる? ネーコ、コーモリ、食べる?」そのうちどっちがどっち食べるのかわからなくなって。まあどちらにしても答えはわからないから、どっちになっても大して変わりないけど。うとうと気分になると、ちょうど始まる夢《ゆめ》のなかではダイナと手をつないでおさんぽの場面、そこでにらんで言うんだ、「いいこと、ダイナちゃん、はっきりお言い。あなたコウモリ食べたことあって?」そのときいきなり、どすん! どっすん! とつっこんだのが枝に木切れの山で、落っこちるのおしまい。

アリスにけがはちっともなくて、ぴょんとそのまままっすぐ立てる。見上げてみても、頭の上はまっくらやみ。前にはまた長い道があって、白ウサギがまだ見えるところにいて、かけ足で進んでいく。ぐずぐずしてるひまなんてない。走り出すアリスは風のよう、ちょうど向こうが角をまがるところでこんな声が。「ぴょんぬるかな、もう大ちこくでおじゃる!」つづいてこっちも角を回ると、気づけば天井ひくめの大広間、その天井からずらりとぶらさがったランプでてらされてて。

まわりにぐるりとドアがならんでいたのに、どれもみんな鍵《かぎ》がかかってて、だからアリスはぐるりと回って、みんなためしたあと、とぼとぼとまんなかに歩いていってね、どうやったらまたお外に出られるんだろうって。するとふとそこへ出てきた三本足の小さなテーブル、ぜんぶかたいガラスでできていて、なんとその上にはただひとつ、ちっちゃな金の鍵、そこでアリスがまずひらめいたのが、この広間のドアのどれかに合うんじゃないかってこと、なのに何たること! 穴が大きすぎるか鍵が小さすぎるか、とにかく開くものはひとつもない。ところがもう一度回ってみると、ちんまりカーテンのかかっているところがあって、そのうらには高さ46センチくらいのドアが。で、ちっちゃな鍵をその鍵穴《かぎあな》にためしてみると、ぴったり! ドアを開けてアリスが、ネズミ穴と同じくらいの小さな通り口をしゃがんでのぞいてみると、向こうには見たこともないきれいなお庭が。もうその暗い広間から飛び出して、明るいお花畑とひんやり泉のあたりを歩き回りたくてしかたがないのに、そのドアは頭も通らなくって。「頭だけが向こうに出ても、」とかわいそうにアリスは考えごと。「肩《かた》がぬけなきゃどうしようもなくてよ。はあ、望遠鏡《ぼうえんきょう》みたく身体をたためればどんなにいいか! 始め方さえわかれば、たぶんできるのに。」というのも、ほら、ここずっととんでもないことばかり起こってたから、アリスはほんとにできないことなんて、実はほとんどないじゃないかって気になってきてたんだ。

ほかにやることもなかったから、テーブルのところに引き返して、もうひとつ鍵でも、いやせめて身体のたたみ方の本でも見つからないかなと思ってたんだけど、今度テーブルに出てきたのは小びんでね――「さっきまでぜったいなかったのに」ってアリスは言って――びんの首にくるっとむすんであったのが紙切れで、そこに〈ノンデ〉って文字がカタカナできれいに印刷《いんさつ》してあって。

「ノンデ」っていうのはたいへんけっこう、「でもまずたしかめること。」って言うアリスちゃんはおりこうさん。「びんに『どく』のしるしがあるかないか見てみないと。」だってアリスはそういう小話をそれなりに読んだことがあった、そこでは子どもがやけどしたり、けだものに食べられたり、そのほかひどい目に合うのだけど、どれもお友だちの教えてくれた簡単な決まりをわすれたせいでそうなったわけ。たとえば、火に近づけばやけどするよ、ナイフで指を深く切ったら血が出るよ、とか。で、ちゃんとおぼえていたのが、〈どく〉のしるしのあるびんを飲むと、おそかれ早かれほぼまちがいなくどくに当たるよ、というもの。

とはいえ、このびんにはどくのしるしはなかったので、アリスが味見してみると、とってもおいしくて(なんと風味はサクランボのタルトにカスタード、パイナップルからローストチキンとキャラメル、あつあつのバタートーストまでがいっしょになったみたいで)あっというまに飲みきっちゃった。

   *  *  *  *  *  *

「とってもへんてこな気持ち!」とアリス。「望遠鏡みたく身体がたたまれてるのね。」

その通り。今や背たけはたった25センチ、そして顔がぱっとあかるくなったのは、ふと思いついたから。あの小さいドアからすてきなお庭に出るのに、今の大きさならちょうどいいって。とはいえ、まずはしばらくじっとしてたしかめる、もうちぢまないところまでね。ちょっぴりどきどきしていたんだ。「だってほら、おしまいに、」とアリスはひとりごと。「ロウソクみたく、ぜんぶなくなっちゃうのかも、そうしたらあたくしどうなっちゃうのかしら。」そこでロウソクの火がふっと消えたあとどうなるのか思いうかべてみようとしたんだけど、そりゃあ見たことのないものは思い出せない。まあ、もう何も起こらなかったから、すぐにでもお庭へ出ることにしたんだけど、あああかわいそうにアリス! ドアのところで、ちっちゃな金の鍵をわすれたことに気がついて、鍵をとテーブルに引き返してみると、今度は上にぜんぜんとどかない。ガラスの向こうにはっきりと見えるのに、せいいっぱいテーブルの足からのぼろうとしても、すべるすべる、しまいにはくたびれて、かわいそうにかわい子ちゃんはへたりこんで大泣き。

「しっかり! 泣いたってどうしようもなくてよ!」とアリスは自分に言い聞かせる。「あなた、今すぐにおやめなさい!」(いつもご自分へのおいさめはとてもご立派、時にはご自分へのおしかりがきびしくてなみだをためることもあるけど、あるときなんか自分対自分のクローケーの試合でずるしたってことでわすれずご自分の耳をおはたきになるくらい。このへんてこな子は1人2役するのが大好きだったんだ。)「でも今、」とかわいそうなアリスの考えでは「1人2役してもしかたなくてよ! もう、あたくし、ちゃんとひとり分にも足りてないんだもの!」

ふと目を落とすと、テーブルの下に置かれた黒《こく》たんの小箱。開けると中に小ぶりの焼菓子が見つかって、そこについていた紙切れには、〈タベテ〉って文字がカタカナできれいに印刷してあって。「いただくわ。」とアリス。「大きくなれば鍵にもとどくし、小さくなってもドア下をくぐりぬけられる、いずれにしても庭には出られるから、どっちになってもかまわなくてよ!」

ちょびっとかじって、そわそわとひとりごと。「どちらの方? どちらなの?」と手を頭のてっぺんに当てて、どっちになるかと思ったらびっくりびっくり、気づくと同じ背たけのまま。たしかに焼菓子を食べただけじゃ、こうなるのがふつうなんだけど、アリスはとんでもないことが起こるってそれだけを考えるようになってたから、まともに進むことがすごくつまらなくばかげたことに思えてね。

だからむきになって、たちまちぺろりと焼菓子をたいらげたんだ。

   *  *  *  *  *

「てんへこりん、てんへこりん!」と声をあげるアリス。(びっくりのあまり、ちゃんとした言葉をどわすれしてね、)「今度は身体が広げられてる、世界最大の望遠鏡をのばしてるみたい! ごきげんよう、あんよちゃん!」(だって足元を見下ろすと、どんどん遠ざかって、ほとんど見えなくなりそうで。)「ああ、おいたわしや、あんよちゃん、こうなったらどなたにくつやくつ下をはかせてもらおうかしら、ねえ? ぜったいあたくしには無理! あんまりにも遠く離れすぎて、こっちからお世話できなくてよ。できるだけご自分で何とかなさることね――でも気づかいはしてあげないと。」とアリスは思って、「でないと行きたい方に歩いてくれないかも! そうね、クリスマスごとに新しいブーツを差し上げてよ。」

頭のなかであれこれ、どうしようかとめぐらせつづけ、「人に運んでもらわないと。」と考えて、「って、もうふきだしそう、自分のあんよにプレゼントだなんて! あて名だっておかしなものになってよ! カーペットにお住まいの
アリスの右足さまへ
アリスから愛《あい》をこめて
まったく! あたくしの話もがらくたのからっぽね!」

ちょうどそのとき、頭が広間の天井にごつん。なんとただいま背たけは2メートル75をややこえたあたり、たちまちちっちゃな金の鍵を取り上げて、お庭のドアへあわてて向かう。

ふびんなアリス! がんばってもできるのは、横向きに寝そべって片目でお庭をのぞくだけ、向こうへ行くのぞみなんて、これまで以上にありえない。へたりこんでまた大泣き。

「あなた恥《はじ》をお知りなさい。」とアリス。「あなたみたいな気高い娘が、」(たしかにお高い)「こんな大泣き! ただちにおやめ、いいこと!」けれどもやっぱり泣いたまま、流すなみだはたっぷり大量《たいりょう》、しまいに大きな池になって、深さおよそ10センチ、まわりにぐるり広がって、広間を半分ひたしてしまう。しばらくして聞こえてくる遠くのぱしゃぱしゃという足音、なみだをぬぐって近づくものに目をやると、そう、あの白ウサギがまたもどってきたんだ、おめかしして、白ヤギの手ぶくろを片手に、香る花束をもう片手にもっていてね。まさにアリスはだれか助けてと言いたいところだったから、すがる思いで、通りがかりのウサギにおずおずと弱々しげに声をかける。「あの、よろしくて――」びくっとしたウサギは、声がしたとおぼしき広間の天井をあおぐなり、はたと花束と白手ぶくろを落として、全速力でぴゅーっと暗がりに消え去っちゃった。

花束と手ぶくろを拾い上げたアリス、その花束がかぐわしいので、ずーっとにおいをかぎながらひとりごとのつづき――「もう、もう! 今日はけったいなことばかり! でも昨日はみんないつも通りだったのに。もしや夜のうちにあたくしの身に何か。今朝起きたときのあたくしはちゃんとあたくし? ちょっと違っていた気がしないでもなくてよ。でも今あたくしがあたくしでないのなら、いったいどなた? んもう、まったくややこしい!」そこで同い年の知り合いの子のことをみんな思いうかべていって、自分がそのうちのだれかになっていないかたしかめたんだ。

「あたくしがガートルードでないことはたしかね。」とつぶやく。「だってあの子の髪はあんなに長い巻き毛、あたくしはちっとも巻きがなくてよ――それときっとフローレンスでもないはず、だってあたくしは物知りっていうのに、あの子、ふん! 知らないにもほどがあってよ! それにあの子はあの子、あたくしはあたくし、だから――ああ、もう! なんてややこしいの! どうかしら、ちゃんとおぼえてたことおぼえてる? ええと4×5=12、4×6=13、4×7=14――ああ、もう! こんな調子じゃいつまでも20にならなくてよ! でも九九なんて大したことないわ――地理をためすの。ロンドンはフランスの都《みやこ》、ローマはヨークシアの都、それからパリは――ああ、もう! もう! どれもまちがいに決まってる! フローレンスになっちゃったにちがいなくてよ! だったら『がんばるミツバチ』のお歌はどう?」ひざ前に手をかさねて始めたんだけど、声ががらがらでとっぴで、それに歌詞《かし》もいつも通りじゃなくって。

びっくりだ わあにさん
しっぽがね ぴかーん!
ナイルがわ ざあぶざぶ
うろこにね びしゃーん!

キバだして にいんやり
ツメひろげ じゃきーん!
おいでませ さかなちゃん
にこにこ……がぶりっ!

「ぜんぜん歌詞がちがってよ。」とかわいそうにアリスは目になみだをいっぱいにためながら、こう思った。「やっぱりあたくしフローレンスにちがいないわ、だったらあたくしあのせせこましい小屋にうつり住まなきゃいけないことになって、しかも遊ぶおもちゃもないの、うわあん! お勉強も山もりよ! いやあ! あたくし心に決めたわ、あたくしがフローレンスなら、ここでじっとしててやるんだから! どなたかがのぞいて『上がりなさい!』なんて言ってもむだなんだから! あたくし上目でもうしあげてよ、『ところであたくし何者? まずそれにお答えになって。それから、それがあたくしのなりたい方なら上がりますけど、ちがうようでしたらほかのどなたかになるまで、ここでじっとしております。』――でも、ああもう!」とアリスはいきなりわっと泣き出して、「そののぞいてくれるどなたかが、いてくださったらどんなにいいか! もううんざりよ、こんなところでひとりぼっちだなんて!」

こう言いつつ自分の手に目を落としてみるとびっくり、気づけばしゃべっているあいだにウサギさんの手ぶくろをはめていたんだ。「どうしてこんなことができてるの?」と思ってね、「また小さくなってるにちがいないわ。」起きあがってテーブルまで行ってそれで背たけをはかってみると、だいたいしかわからないながらも、今はおよそ60センチで、大いそぎでちぢみつつあってね。わけはすぐにわかった、手に持っていた花束のせいなんだ。あわてて手放すと、まさにそのときからちぢみはすっかりとまって、気がつくとただいまの背たけはたったの7センチ。

「今こそお庭よ!」と女の子は思うしかない。「だってこんなちっちゃくなったの初めてなのよ、初めて! 正直ひどすぎてよ、ひどすぎ!」このしゅんかん、足がすべって、ぼちゃん! しょっぱい水に首までつかって。はじめのうちは海に落ちたと思ったんだけど、あとからここが地底だってことを思い出して、そのあとすぐにはっとした、自分が3メートル近いときに泣いて作ったなみだまりなんだって。「あんなに泣くんじゃなかったわ!」と言いながらアリスは水をかいて前に進もうとしてね、「罰《ばち》が当たろうとしてるのよきっと、自分のなみだでおぼれろってね! 待って! そんなのけったいだわ、ぜったい! それにしても今日はけったいなことばっかり。」とつぜん目の前すぐそばで何かがばしゃんと池に。とりあえずセイウチかカバかと思ったものの、自分がとっても小さいことを思い出して、たちはちはっとした、ただのハツカネズミが自分と同じようにすべり落ちただけだって。

「このネズミに声をかけて、」とアリスは考えごと。「何かになって? でもあのウサギはどうもきわめてとんでもないことになっていたし、ここへ落ちてきてからというもの、あたくしだってそうなんだから、あのネズミだって話せないわけなくってよ。とりあえずやってみるつもりで。」

で、やってみた。「ねえそこのネズミ、ごぞんじ? この池からの出方。このあたりを泳ぎまわってへとへのなの、ねえ、そこのネズミ!」そのネズミはどこか問いたげにその子を見つめて、小さなひとみで目くばせしてくれたみたいなんだけど、一言もなくって。

「こっちの言葉がわからないのかも。」とアリスは考えごと。「たぶん外国ネズミなのね、ウィリアムせいふく王についてわたってきた!」(その子の知ってるかぎりでは、何年前に何が起こったのかはうろおぼえだから、こんなことに。)で、またやってみる。「吾猫兮何在《わがねこいずくにかある》?」これは外国語のドリルにあるはじめの文。ネズミは池のなかでいきなりとび上がり、びくびくとふるえだしてね。「あら、ごめんあそばせ!」あわてて声を上げるアリス、このあわれな動物の気をそこねたかと気がかりで。「ネコお好きでないことうっかりしててよ!」

「お好きでねえよ!」とネズミのかん高く気持ちのこもった声。「こっちの身になりゃわかんだろ!」

「ええ、おっしゃる通りね。」とアリスの声は相手をなだめるよう。「そうお怒りにならないで。でもうちのネコのダイナに引き合わせられたらなあ、あの子をひと目見たならきっとネコさんのこともお気にめしてよ。かわいくておとなしいんだから。」とアリスはひとりごと半分で、池をゆったりとお泳ぎに。「だんろのそばにすわって、すてきにのどを鳴らして、お手々をぺろぺろ顔をごしごし、だっこするとほんとふわふわなんだから、それにつかまえるのも上手いのよ、ネズミを――あらごめんあそばせ!」と、やっちゃったアリスはまた大声、だってそのときにはネズミも毛を全身逆立てていたから、ぜったいに怒らせちゃったと思ってね、「お気を悪くされた?」

「されたともよ!」と声をはるネズミは、どう見ても怒りにふるえていてね、「うちは代々ずうっとネコが大嫌えなんだ! いじわるで下品な乱暴もの! 二度とその話はすんな!」

「いたしませんとも!」とアリスはあわてて話を変えようとする。「あなた――あなた――あれはお好き――犬は?」ネズミのへんじがないので、アリスはこれはいいとつづけてね、「お屋敷のそばのかわいい子犬、この子をお引き合わせしたくてよ! すんだ目のちっちゃなテリアで、ほら、あるのよ! もう長々とした茶色の巻き毛! それに物を投げるとひろってくるの、あとちんちんしてごはんをおねだりしたり、もう色々――半分も思い出せなくてよ――そう、かい主は地主さんで、お話ではみんなやっつけるって、畑のネズミを――ああっ!」アリスはやっちゃったというふうに、「またお気を悪くされたかしら。」だってもう全力で泳いで離れていくネズミ、進むほどに池はばしゃばしゃと波打つ。

それで後ろからやさしく声をかけたんだ、「ネズミさん! おもどりになって、もう犬ネコのお話はしないから、お好きでないなら!」するとそれを聞いたネズミは、くるっと回ってゆるゆる泳ぎもどってくる。顔は真っ青(怒ってるんだなとアリス)、それからか細く声をふるわせながら、「岸辺へ出んぞ、それからおれの昔話でもしてやっから、あんたもこっちがどうして犬ネコが嫌いかわかるってもんだ。」

そろそろいい頃合《ころあ》い、だって池はもう落っこちてきた鳥なりケモノなりでいっぱいこになりかけてたからね。そこにはアヒルもドードーも、インコも子ワシも、そのほか色々かわった生き物がいてね、アリスがいちばん前に出て、みんないっしょに岸辺まで泳いでいったんだ。

アリス

【ふたつめへ】

【底本メモ】

これは、Lewis Carroll, Alice’s Adventures Under Ground (1864) の翻訳です。

1862年7月4日に初めて語られ、そのあと1863年2月までに草稿、そして1864年11月26日に少女アリス・リデルにプレゼントされました。一般的に Alice’s Adventures Under Ground と呼ばれるものは、この1864年にアリスに贈られた自筆挿絵つきの手稿本のことを指します。

この手稿本が初めて出版されたのは1886年ですが、今回の翻訳には以下の底本を参照しています。

  • 【BL】Alice’s Adventures Under Ground: A Facsimile, London: The British Library, 2008.
  • 【PC】”Alice’s Adventures Under Ground”, Alice’s Adventures in Wonderland and Through the Looking-Glass (Penguin Classics), London: Penguin Books, 1998.
  • 【OW】Alice’s Adventures Under Ground: Being A Facsimile of the Original MS. Book Afterwards Developed into “Alice’s Adventures in Wonderland”, Richmond: Oneworld Classics, 2009.
  • 【PV】Alice’s Adventures Under Ground, London: Pavilion Books, 1985.
  • 【DO】Alice’s Adventures Under Ground: A Facsimile of the 1864 Manuscript, New York: Dover Publications, 1965.
  • 【ET】Alice’s Adventures Under Ground: Being the Book Afterwards Developed into Alice’s Adventures in Wonderland, Westport: Evertype, 2009.

現在の所蔵元大英図書館からの刊本BLを最新の手稿本フルカラーファクシミリとして最終的に依拠する底本とし、PC収録の活字翻刻を現時点で最も信頼できる本文として利用しました。またOWは1886年に出た白黒製版の複製本のリプリントとして適宜参照、手稿本モノトーンファクシミリのDOを最終ページの確認に使用、なおかつ活字翻刻のETをPCの疑問点(ネズミの尾詩等)を解決するための補助としました。

読者としての観点も述べておくと、BLはいかんせん経年劣化が否めず、読み物というよりは研究やコレクションのためのものになっています。PCは活字化されていますが自筆挿絵が全部は収録されておらず、単にキャロルの手稿本を読んで楽しむというのであれば、やはり1886年一般読者向けに出版されたもののリプリントであるOWが最適でしょう。OWがきれいな白黒製版であるのに対して、DOのファクシミリは元の紙質を反映して全頁が灰色で、1886年の序文・巻末詩が付録されているとはいえ、読むのに向いているとはお世辞にも言えません。PVは日本で『不思議の国のアリス:オリジナル』として出版されているものの原本ですが、BLが出た今は資料的価値があるのみです。なおETは、文字コード界隈でのさる有名人がひたすらアリス関係の原著・パロディを出版し続ける奇特な個人出版社のものですが、本文の元データは Project Gutenberg のものを用い、独自に読みやすいよう編集を加えています。ただ挿絵は全収録なので、活字本として読むならこのETもひとつの選択肢でしょう。

aozorablog版の挿絵については、とりあえずネット上のものを流用して、のち青空文庫用を用意する段に、自前で用意できればと思っております。

 

 


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