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前口上
先日、aozorablogの「伊東英子をさがせ その3」のコメント欄に、森本穫(おさむ)さんからの投稿がありました。なんでも、川端康成の初恋の人である伊藤初代が勤めていた本郷元町のカフェについて、調べてほしいことがあるとのこと。
- カフェ・エランの実在した証拠
- カフェ・エランの向かいにあった煙草屋の主婦の情報
さっそく、Wikipediaにある伊藤初代のページをみてみたのですが、川端康成の研究者がすでにいろいろと調査済みのご様子。いまさら、新しいものなんてみつかるのかしらん……
とりあえず、国立国会図書館のレファレンス協同データベースをみたところ、今回の調査にちょっと近い事例がありました。
大正10年(1921年)頃に浅草にあった『カフェ・アメリカ』に関する資料や写真を見たい。(東京都立中央図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000348075
さすが東京都立中央図書館、きちんと調べていらっしゃる。
こんな感じで調べればいいのかな、と、いうことで、「本郷」「元町」「カフェ」などのキーワードで、調査をスタート。
1. カフェ・エラン
まずは、カフェ・エランについて。
住所は、東京市本郷区元町2丁目61。最初の経営者である平出実が、本籍をこの住所に移したのは、大正3(1914)年12月。最初の店名は「シベリヤ・バー」で、「カフェ・エラン」は与謝野晶子の命名。ところが、平出実はお繁(平出繁野)と出奔し、経営者は山田マスに。この山田マスが結婚して台湾へ行ったのは、大正9(1920)年9月。その後、カフェ・エランがどうなったかは不明。
カフェ・エランの建物の見取り図が、長谷川泉の『川端康成論考 増補3訂版』に掲載されています。これをみると、建物の正面入口は「大横町通り」に面していて、建物の右側と左側には「細い出入口」。そのため、この建物の両側には、別の建物があったようです。
2. 地図
東京都の特別区協議会のサイトに、大正時代の本郷区の地図があります。
番地界入東京市拾五区区分図 本郷区図
https://www.tokyo-23city.or.jp/chosa/tokei/kochizu/
kubunchizu/banchikai/banchi_tokyo15_11_kmview-zoom.html
この地図は、逓信協会が大正11年に発行したもので、カフェ・エランがあったとされる本郷区元町2丁目の61をみると、通りに面した土地の形は横長の長方形。
カフェ・エランの見取り図から考えると、61番地には建物が何軒か並んでいて、カフェ・エランはその中の1軒になるようです。また、通りをはさんだ向かいは弓町2丁目の1で、斜め向かいは弓町2丁目の2。そして、この通りは壱岐殿坂(=壱岐坂)に続く道で、見取り図にあるように、大横町(丁)通りと呼ばれていたようです。
なお、元町2丁目の60には鳥居のマークがありますが、この三河稲荷神社(三河神社、三河社)(Wikipedia)は、現代でも同じ位置にあるので、地図をみるときの目印になるかもしれません。
お次は、文京区立図書館の「文の京デジタル文庫」にある、昭和16年の本郷区の地図。
この「文の京デジタル文庫」には、文京区のいろいろな資料が掲載されているので、参考になります。(本郷区と小石川区は、昭和22年に合併して文京区に)
本郷区詳細図 1:8000(昭和16年)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_102.html
これをみると、関東大震災後の復興計画により、新たに作られた太い道(新壱岐坂)が加わっています。また、本郷区元町2丁目の61と62は、元町1丁目18に地番が変更されています(復興計画の一環で、区画整理が行われたため)。弓町2丁目は、地番の変更なし。
2-1. 地籍図
土地の所有者(地主)を調べるには、地籍図(台帳)が有効。
(以下、特記がないものは、すべて国立国会図書館デジタルコレクション。このうち、公開範囲が「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の資料をみるには、ログインが必要。)
『東京市及接続郡部地籍地図 上卷』(東京市区調査会, 大正1)
本郷7 元町二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/966079/1/594
本郷11 弓町二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/966079/1/599
元町2丁目の61は2つにわかれていて、通りに面した61-1は官有地。
弓町2丁目の1はいくつかのブロックにわかれていて、通りに面したところはなにも書かれていないけど、奥のほうのブロックには「倉持商会」「三越呉服店小供寄宿舎」とあります。
弓町2丁目の2もいくつかのブロックにわかれていて、通りに面したところには「川崎質店」とあります。
『東京市及接続郡部地籍台帳 2』(東京市区調査会, 明治45)
本郷区p17(元町2丁目を掲載) https://dl.ndl.go.jp/pid/800934/1/89
本郷区p18(弓町2丁目を掲載) https://dl.ndl.go.jp/pid/800934/1/90
地図に対応した台帳をみると、元町2丁目の61-1は、所有者が西谷藤次郎とあり、所有者の住所も「元町二ノ六一」。先にみた地図では、61-1は官有地とあったので、西谷藤次郎がこの官有地を買ったのかな。あるいは、地図の記載ミスで、61-2が官有地なのかも(隣接する元町2丁目50は元町尋常小学校なので)。
弓町2丁目の1は、所有者が前田利鬯(Wikipedia)。この人は子爵。
弓町2丁目の2は、所有者が辻新次(Wikipedia)。この人は男爵。
次に、昭和の地籍図。
内山模型製図社編『東京市本郷区地籍図 地籍図』(内山模型製図社, 昭和7)
第50図 元町一、二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/8311643/1/155
第36図 弓町一、二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/8311643/1/113
「元町一、二丁目」の地図をみると、以前は元町2丁目61-1だった場所が、2丁目47に、そして元町2丁目61-2は、2丁目48、49、50に地番が変更されています。
「弓町一、二丁目」の地図をみると、弓町2丁目の通りに面したほうが1-1で、奥に1-2があります。弓町2丁目2は、特に分割されていません。
内山模型製図社編『東京市本郷区地籍図 地籍台帳』(内山模型製図社, 昭和7)
「三三、元町」p7 https://dl.ndl.go.jp/pid/1246243/1/445
「二一、弓町」p4 https://dl.ndl.go.jp/pid/1246243/1/296
台帳をみると、元町2丁目の47の所有者は西谷藤次郎で、48は宮本知遠、49は内山徳太郎、50は戸塚文雄。このうち、47の西谷藤次郎は、所有者の住所も「元町二丁目四七」。
弓町2丁目の1は2つに分割されていて、1-1は所有者が前田利満(Wikipedia)。この人は子爵で、前田利鬯の孫。1-2は、所有者が青山徹蔵(Wikipedia)。この人は男爵。
弓町2丁目の2は、所有者が辻太郎(Wikipedia)。この人も男爵で、辻新次の長男。
地籍図をみてわかったこと。
カフェ・エランがあったと思われる本郷区元町2丁目61-1は、西谷藤次郎が地主で、同じ場所に住んでいました。この人は酒屋で、屋号は吉野屋、明治10年もしくは13年の開業です。
東京酒醤油新聞社編『大日本酒醤油業名家大鑑 再版』(東京酒醤油新聞社, 大正9)
「大日本全国業界著名商店一覧」p31 https://dl.ndl.go.jp/pid/945952/1/469
「東京酒類仲買小売商同業組合員 吉野屋号 西谷藤次郎 本郷区元町二ノ六一」
帝国興信所編『帝国信用録 15版(大正11年)』(帝国興信所, 大正11)
東京府下p68 https://dl.ndl.go.jp/pid/956863/1/49
「西谷藤次郎 酒醤油 郷、元、二ノ六一 13(=明治13年開業)」
帝国興信所編『帝国信用録 31版(昭和13年)』(帝国興信所, 昭和13)
東京府p55 https://dl.ndl.go.jp/pid/1686695/1/41
「西谷藤次郎 酒 郷、元、一ノ一八 明10(=明治10年開業)」
一方、煙草屋があったらしい弓町2丁目1-1の地主は子爵で、弓町2丁目2の地主は男爵。土地の管理は、使用人や不動産業者にまかせていただろうから、ここから煙草屋のことを調べるのはむずかしそうです。
なお、大正12年の関東大震災で、本郷区の元町2丁目は焼けたけれど、本郷大横丁通りで食い止めたようで、弓町2丁目は焼けませんでした。
東京市庶務課編『東京大正震災誌』(東京市, 大正14)
火災系統図 https://dl.ndl.go.jp/pid/1746620/1/6
鈴志野勤著『細工師 : 足立屋五代物語 4代篇』(建具工芸社, 1966)
p169-178「二十四、大正大震災」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1650388/1/95
そのため、弓町2丁目の煙草屋は、地震の被害は受けても、焼失はしなかったようです。
2-2. 商工地図
次は、いろいろな店の名前が入っている商工地図。まずは大正3年のもの。
居石常藏編『東京市本郷區實業家便覽地圖』(博秀館, 大正3)
元町二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/912278/1/9
弓町二丁目 https://dl.ndl.go.jp/pid/912278/1/7
町名の表示がわかりにくいけど、元町2丁目61には「足袋商 豊田屋」、「洋服 芳野屋」、「油荒物 萬屋万吉」とあって、カフェ・エランの名はなし。
弓町2丁目1には、「益永写真館」、「溜屋 砂原酒店」、「牛豚肉 川辺商店」、「松栄堂薬局」、「夜具布団商 前田商店」とあります。
このうち、「夜具布団商 前田商店」は、土地所有者の前田利鬯と姓が同じなので、前田家と関係のある人の店かもしれません。
弓町2丁目2には、「印判木版 松岡月松堂」、「足袋 大和堂」とあります。
煙草屋の名はないけれど、別の商売と兼業の場合は、メインの商売しか書かれていないという可能性もあります。
次は、「文の京デジタル文庫」にある、昭和3年の商工地図。
大日本職業別明細図 本郷区(昭和3年)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_824.html
この地図の「索引(職業別イロハ順)」の6段目、「リヲカ」の列をみると、「カフヱーローズ 元二」とあります。また、索引の中に煙草屋は見当たりません。
地図のほうは白黒で、店名は記入されていません。
国立国会図書館デジタルコレクションには、同じ『大日本職業別明細図』の昭和12年版があります。
東京交通社編『大日本職業別明細図』(東京交通社, 昭和12)
本郷区 https://dl.ndl.go.jp/pid/8311839/1/43
本郷区索引(職業別イロハ順) https://dl.ndl.go.jp/pid/8311839/1/47
地図をみると、元町2丁目の61には、赤字で「カフヱーローズ」、「原城理髪店」、「吉井写真店」とあります。
弓町2丁目1には、「橋本医院」、「三越寄宿舎」とあります。
弓町2丁目2には、店名の記入がありません。
索引の6段目に「カフヱーローズ 元二」とあって、煙草屋が見当たらないのは、昭和3年版の索引と同じ。
2-3. 火災保険図
そして、火災保険図。これは、火災保険の保険料率を計算するために作られた地図で、かなりこまかいところまでわかるので、住宅地図の代用としてよく使われます。
東京都立図書館の「東京都公立図書館住宅地図総合目録」のうち、「文京区」の項をみると、「文京区 火災保険特殊地図(戦前)」と「文京区 火災保険特殊地図(戦後)」に、本郷区の火災保険図があります。
以下は、東京都立図書館が所蔵する、本郷区の火災保険図(複製版)の目録。
『本郷区 [1934-1939]』(都市整図社, [1987])(火災保険特殊地図旧35区 ; No.30)
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1100579796
『文京区 [5] 千駄木方面 1954年 元町方面 1951年』(都市整図社, [2001])(火災保険特殊地図(戦後分) ; [5])
https://catalog.library.metro.tokyo.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?lang=ja&bibid=1105444075
文京区の真砂中央図書館にも同じ地図があり、こちらは複製ではなく原本のようです。
沼尻長治製作『本郷区地図 上 昭和10年版』(都市製図社, 1935)
https://opac.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/opw/OPW/OPWSRCHTYPE.CSP?ReloginFlag=1&BID=B12298904&DB=LIB&FROMFLG=1
沼尻長治製作『本郷区地図 下 昭和10年版』(都市製図社, 1935)
https://opac.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/opw/OPW/OPWSRCHTYPE.CSP?ReloginFlag=1&BID=B12298905&DB=LIB&FROMFLG=1
沼尻長治製作『小石川区地図 本郷区地図 続 昭和10年~昭和26年』(都市製図社, 1935)
https://opac.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/opw/OPW/OPWSRCHTYPE.CSP?ReloginFlag=1&BID=B14108232&DB=LIB&FROMFLG=1
[沼尻長治製作]『文京区町別区分地図 昭和24~29年』(都市製図社(日本火保図株式会社), 1954)
https://opac.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/opw/OPW/OPWSRCHTYPE.CSP?ReloginFlag=1&BID=B12300659&DB=LIB&FROMFLG=1
戦前の火災保険図は、創元社から復刻版が刊行中。
戦前期東京火災保険特殊地図集成 全27巻(創元社)
https://www.sogensha.co.jp/feature/kasaihokentokushuchizushusei.html
このうち、「第10巻 小石川区②/本郷区①」は、2025年1月刊行予定。また、「第11巻 本郷区②/下谷区①」は、2025年2月刊行予定。刊行済の本は、「クリック立ち読み」で、内容の一部をみることができます。
本郷区の火災保険図はネット上にはないようなので、図書館等でご確認ください。
2-4. 住宅地図
戦後の地図になりますが、昭和32年と昭和36年の住宅地図が、「文の京デジタル文庫」にあります。
東京都全住宅案内図帳 文京区(東部・西部2冊合冊)(昭和32年)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_817.html
昭和32年の住宅地図では、文京区東部の「1 元町一・二 本郷一」の地図に、元町2丁目が、そして「3 本郷二・三 弓町一・二」の地図に、弓町2丁目があります。
「1 元町一・二 本郷一」の地図の、元町2丁目61だった場所は、元町1丁目18になっています。いくつかの名前はわかりますが、拡大すると文字がぼやけてしまい、よくわかりません。真ん中あたりにある「小林」の上は「?吉野屋」かな。
「3 本郷二・三 弓町一・二」の地図の弓町2丁目1は、「ロンドンテーラー」や「木村屋パン」など、店名がいくつかわかります。中には、「前田ふとん店」や「川辺肉店」のように、大正時代と同じと思われる店も。しかし、煙草屋は見当たりません。
弓町2丁目2では、角地にある「渡辺菓子店」なら、煙草を売っていてもおかしくないかも。
東京都全住宅案内図帳 文京区(昭和36年)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/dl/index_829.html
昭和36年の住宅地図では、「1709 豊島‥391」の地図に、元町1丁目と弓町2丁目があります。
これをみると、元町1丁目18の真ん中あたりに「吉野屋商店」とあるようですが、それ以外は判別できませんでした。
この「吉田屋商店」と思われる店が、『日本酒の本 第1集』の「東京都(二三区)小売業者名簿」のp137にあり、そこには「(有)吉田屋持田酒店 持田ふじ」とありました。
梁取三義編『日本酒の本 第1集』(彩光社, 1979)
「東京都(二三区)小売業者名簿」p137 https://dl.ndl.go.jp/pid/12047382/1/72
3. 役所への届出
森本さんは、カフェ・エランについて、「この店は、今日でいう風俗営業店、あるいは酒類取り扱い店ですから、公への届出をしているだろうと想像されますので、そういった届出などから、実在の痕跡がないか?」と書かれています。
大正時代はどんな届出書類が必要だったのか、まず、こうした店を開くためのハウツー本を調べてみました。
石井研堂著『独立自営営業開始案内 第3編』(博文館, 大正2)
p84-112「ビヤ及ミルクホール業」 https://dl.ndl.go.jp/pid/946261/1/56
倉本長治編『小資本開業案内』(商店界社, 昭和2)
p158-165「カフエ・バーを開くには」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1174787/1/88
p348-359「喫茶店を開くには」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1174787/1/183
p231-235「煙草店を開くには」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1174787/1/124
『独立自営営業開始案内 第3編』は、「営業開始案内」と銘打つだけあって、ビヤホールやミルクホールを開業するまで手順がくわしく書かれていますが、役所への届出のことは書かれていません。
また、『小資本開業案内』をみると、「煙草店を開くには」の章には、「煙草小売人指定申請書」を専売局に出すと書かれていますが、「カフエ・バーを開くには」や「喫茶店を開くには」の章をみても、届出書類のことは書かれていません。
そこで、法律について書かれた『現行願届文例 : 法令参照』をみたところ、p6-7に「飲食店営業願」の書式がありました。注をみると「料理店貸席待合遊船宿芝居茶屋芸妓屋喫茶店氷水店ノ出願モ此書式ニ同ジ」とあるので、カフェを始めるには、こうした営業願を警察に提出することが必要なようです。
井上爾楼著『現行願届文例 : 法令参照』(東京法政会, 大正3)
p6-7「飲食店営業願」 https://dl.ndl.go.jp/pid/905438/1/12
公的機関に提出された書類が残っているとすれば、東京の場合、東京都公文書館にあるはずなので、「東京都公文書館情報検索システム」や「東京都公文書館デジタルアーカイブ」を検索すれば、なにかわかるかもしれません。
また、煙草小売人の申請書は大蔵省の専売局に提出で、東京府は浅草専売支局の管轄なので、ここに提出されたはずです。ただし、専売局は1949年に日本専売公社、そして1985年には日本たばこ産業株式会社になってしまったので、昔の書類はどこにあるのかな。たばこと塩の博物館なら、なにか資料を持っているかもしれません。
4. 組合
役所への届出はともかく、カフェの営業に関連して、その地域の飲食店組合に加入していたら、組合員の名簿に名前が載っているかも、と思いつきました。それでみつけたのがこの本。
飲食料通信社編『大東京の現况 : 飲食料品業界専門 附・神奈川県』(飲食料通信社, 大正15)
p349-351「本郷区西洋料理業組合会員名簿」 https://dl.ndl.go.jp/pid/918558/1/190
「本郷区西洋料理業組合会員名簿」 のうち、p350に「同区同町(=本郷区元町)二丁目六一 カフエーローズ 小才度矢一」とあります。昭和3年や昭和12年の『大日本職業別明細図』では「カフヱーローズ」でしたが、この店は大正15年にもあったようです。住所が同じなので、この店がカフェ・エランの後継なのでしょう。
ついでに、カフェ・ローズの経営者「小才度矢一」についても、ちょっと調べてみました。「小才度(こさいど)」という姓は石川県に多いそうなので、石川県出身と推測できますが、それ以上のことはわかりませんでした。
また、風俗業の組合については、こんな本がありました。
『料理待合芸妓屋三業名鑑 : 附・貸座敷、公周旋 大正12年度』(日本実業社, 大正11)
p70-81「本郷下谷」 https://dl.ndl.go.jp/pid/913684/1/56
この本には、本郷下谷の料理・待合・芸妓屋の名簿がありますが、本郷の元町は、いわゆる花街ではなかったようで、カフェ・エランやカフェ・ローズは掲載されていませんでした。
あと、カフェ・エランの向かいにあった煙草屋に関連して、煙草小売人の組合を調べたところ、「東京都公文書館情報検索システム」で、「江戸川煙草小売人組合人名簿 昭和十四年二月現在」という資料がヒットしました。本郷区にも、これに類したものがあったと思われますが、当方はみつけることができませんでした。
5. 町会
組合とは別に、本郷元町や弓町の町会(=町内会)の名簿なら、カフェ・エランや煙草屋が載っているかもしれません。
『本郷区勢要覧』(東京市本郷区, 昭和6)
p107-112 「第九章 社会事業 一 町会」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1878222/1/146
本郷区の町会の一覧があったので、それをみると、p108に元町や弓町の町会が載っていました。
元町2丁目の町会は「元親会」、「元二元和会」、「元二元治会」と3つもありますが、弓町2丁目の町会は「弓町二丁目町会」の1つだけ。
これらの町会の名前で検索してみましたが、めぼしいものはみつからず。先にみた東京都公文書館や、文京区立図書館、文京ふるさと歴史館、あるいは江戸東京博物館といったところなら、それらしい資料があるかもしれません。
現在、文京区のこの地域には、昭和28年に結成された「本郷二丁目元一会」と、昭和31年に結成された「本郷二丁目弓二会」という町会があります。
本郷二丁目元一会(文京区)
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b011/p001312.html
本郷二丁目弓二会(文京区)
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b011/p001313.html
また、本郷大横丁通りには、「本郷大横丁通り実業会」という商店会があります。
本郷大横丁通り実業会(facebook)
https://www.facebook.com/ooyokochou/?locale=ja_JP
6. 写真
本郷区の写真は、湯島の聖堂、本郷座、東京帝国大学など、有名なところはともかく、本郷元町や弓町、あるいは大横丁通りといったところの写真は、なかなかみつかりません。それが大正時代となると、絶望的。
文京区の文京ふるさと歴史館なら、なにか資料があるかも。このサイトをみると、「文京ふるさと歴史館友の会」という会があるので、こうした会に参加している人なら、写真にかぎらず、なにか情報をもっているかもしれません。
あるいは、「東京都文京区 その昔」のように、本郷に住んでいる人のサイトを調べるのもいいかもしれません。
長くなったので、続きは「カフェ・エランのこと その2」へ。