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【凡例】
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加筆:▲→加筆▼
▲→9 ウミガメフーミのものがたり▼
▲→「うれしいこといかばかりか、また顔を合わせられるとは、なつかしいことよの。」と御前さまはなれなれしくアリスのわきにうでを通してきてね、ふたりは連れだって歩き出すことに。
アリスも御前さまのごきげんがよろしいとわかって、とてもほっとしてね、台所で会ったときあんなにつっけんどんだったのも、よもやコショウのせいかなとも思えてきたり。
「あたくし[#「あたくし」に傍点]が御前さまなら、」とひとりごと(とはいえ現実《げんじつ》にはなれそうにもないけど)「コショウなんて台所に置かせないんだから、ひとつも[#「ひとつも」に傍点]。なくてもスープはうまくできてよ。たぶんコショウのせいでいつもみんなかっかしてるのね。」と、これは大発見とばかりにしたり顔、そのあと、「それから、おすのせいでみんなしかめっ面――カモミールのせいでしぶい顔――黒アメとかあああいうのがあれば子どももほころび顔。そこのところ[#「そこのところ」]みんなわかってくれたらいいのに。そうしたらみんなアメを出しおしみしないようになって、ほら――」
ここまで来ると御前さまのことなんかすっかりどわすれ、そこへその声が耳元で聞こえたもんだから、ちょっとびくっとしちゃってね。「何か考えごとかえ、おまえさん、それでおしゃべりはおそろかと。そんなそちにぴったりの教えは、今はうまく出てこんが、まあそのうち思い出そうて。」
「たぶんそんなのなくてよ。」とアリスは思いきって口答え。
「ちっ、ちっ、子どもよの!」と御前さま。「何にでも教えは見いだせるものじゃ、気づきさえあればな。」とお話のあいだアリスに体をべたべたくっつけてね。
相手が近すぎるのがアリスはあんまりうれしくなくってね、だってなにより御前さまのお顔はほんとに[#「ほんとに」に傍点]ぶさいくだし、それからアリスのかたの高さが、あごをのせるのにちょうどいいみたいで、しかもそのあごは気持ち悪いことにとがってると来た。とはいえ無礼なことはしたくなかったので、できるだけがまん。
「ゲームは今そこそこうまく行ってるみたいね。」と、もうちょっと会話を続けてみる。
「うむ。」と御前さま。「そしてそこから学べる教えとは――『おお、それこそ愛、愛こそが世をうまくめぐらせる!』」
「どなたかによれば、」とつぶやくアリス、「それって、みんながひとにちょっかい出さなければの話じゃなくて?」
「おお、さよう! つまりはまさしくそういうこと。」と言いつつ御前さまはアリスのかたに、とがったあごをぐりぐりぐり、たたみかけるように「そしてそこから[#「そこから」に傍点]学べる教えとは――『意味が決まれば自ずから言の葉も決まる。』」
「何からでも教えに気づきたがるおひとってわけね。」とひとり思うアリス。
「みなまで言うな、そちはこう思うのじゃろ、わらわがどうしてこしに手を回さんかと。」とほざく御前さま、ちょっと間をあけて、「そのわけは、そちのフラミンゴがやにわにあばれんかとあやぶんでおるからじゃ。ためしてもよいかの?」
「たぶんかみついてよ。」と身がまえるアリス、そんなのたまったもんじゃないからね。
「それもそうじゃの。」と御前さま。「フラミンゴもからしも、やられればひりひりする。そこから学べる教えとは――『類《るい》は友をよぶ。』」
「でも、からしは生き物じゃなくてよ。」とつっかかるアリス。
「うむ、ふつうはな。」と御前さま。「なんとはっきりものを言うやつじゃ!」
「なら石とか岩ね、たぶん[#「たぶん」に傍点]。」とアリス。
「むろんそうとも。」とほざく御前さまは、アリスの言うことなら何でもうなずいていくご様子。「ここほど近くの山にも、からしがたくさんうまっておる。そしてそこから学べる教えとは――『うまればうまるほどうまくなる。』」
「あ、わかった!」とさけぶアリス、相手の決めぜりふなんて聞いちゃいない。「野菜《やさい》ね、それっぽくはないけど、きっとそう。」
「そちの言うとおり。」と言い出す御前さま。「そしてそこから学べる教えとは――『そう見えるのならそうなのだ。』――すなわちさらにわかりよう言えば――『おのれのことを、ひとの目にうつるものとはちがうなどとは思わんこと、かつてそうであった、そうであったかもしれない、事実そうであったおのれとはちがうなどとは、それもまたひとの目にはちがってうつるのだから。』」
「たぶん、書き起こしたものがあれば、」とまじめに取り合うアリス、「もっとよくわかると思うんだけど。おっしゃってること、ちょっとついていけなくてよ。」
「こんなもの、ものは言いよう、大したことない。」と返す御前さまはごまんえつ。
「ならもうわざわざしていただかなくてけっこう!」とアリス。
「そんなわざわざだなんて!」と御前さま。「これまでの言葉をみな、そちに進ぜよう。」
「やっすいおくりものね!」と思うアリス。「みんながたんじょう日プレゼントにこんなのくれなくてよかった!」でも思い切って声に出すことはできずじまい。
「また考えごとかえ?」とたずねてくる御前さまのとんがったあごがまたつきささる。
「あたくしだって考えごとしてしかるべきよ。」とつんつん言い出すアリス、だってちょっとわずらわしく思えてきたものだから。
「しかるべきじゃとも、」と御前さま、「ブタが空を飛ぶくらいには。そしてそこからま……」
ところがここで、アリスもほんとにびっくり、御前さまの声がとぎれてね、大好きな「学べる教え」という言葉を言いかけたところだったのに、組んでたうでもぶるぶるしだして。アリスが顔を上げると、なんとクイーンが自分たちの前に立ちはだかってうで組み、おまけに雷雨のごとくけわしいお顔。
「お日がらもよく、クイーンさま。」と切り出す御前さまの声はか細く小さい。
「よいか、よおく聞くがいい。」と大声のクイーン、話しているあいだもどんどん足ぶみ。「この場からそなたがのうなるか首がのうなるか、いずれがよい? たった今よりすぐさまだ! さあ決めろ!」
決めた御前さまは、ただちにいなくなった。
「さてゲームの続きよの。」とアリスに言うクイーン。アリスもこわくてこわくて何も言い出せなくて、とりあえずそうろっとうしろからついていってクローケー場に。
残ってやってたひとたちもみんな、クイーンがいないのをいいことに、かげで一休みをしていてね。ところがすがたが見えたもんだから、とたんにあわててゲームにもどる、クイーンはただ、少しでもおくれたら、きさまらの命はないぞと言うばかり。
みんながやってるあいだも、ずっとクイーンはやってるひとたちみんなとの口げんかをやめなくて、わめくばっかり、「あの男の首をちょん切れ!」とか「あの女の首をちょん切れ!」って。▼
言いわたされたやつはみんな、強者にしょっぴかれていくから、そうなるともちろん玉くぐらせの役ができなくなるわけで、そんなこんなで30分かそこらもたつと、残ったのはキングとクイーンとアリスだけで、あとはみんな打ち首を言いわたされてしょっぴかれてしまった。
そこでクイーンも手をとめて、ぜえはあ言いながら、アリスに一言▲。→、▼「そちは▲→もう▼ウミガメフーミに会うたか?」
「いいえ。」とアリス▲、→。▼「そもそもウミガメフーミが何だかぞんじませんし。」
▲→「ウミガメフーミスープのもとになるものよの。」とクイーン。
(改行)
「そんなの見たことも聞いたこともなくてよ。」とアリス。
(改行)
▼「ならばこちへ。」とクイーン、「さすれば本人がいわれを教えてくれよう。」
いっしょになってそこをはなれるとき、アリスの耳へ、キングがその場のみんなにかける声がかすかに、「このたびはみな大目に見る▲。→▼」▲(改行)→って。▼「はあ、ほっ▲→[#「ほっ」に傍点]▼としてよ!」と▲思うアリス→ひとりごと▼、▲→だって▼クイーンが打ち首をたくさん言いつけてかなり▲心をいため→気を落とし▼ていたからね。
まもなく行き当たったのが1ぴきのグリフォン、日なたですやすやねていてね(グリフォンがどんなのか知らないなら、さし絵をごらん▲→。▼)▲、→▼「起きよ、なまけもの!」とクイーン、「この姫君《ひめぎみ》をウミガメフーミのところへあないして、いわれを聞かせてやれい。わらわはもどって、言いつけ▲→ておい▼た打ち首を見とどけねばならん。」とはなれていって、▲→ひとり▼残されたアリスとグリフォン。アリスはこの生き物のつらがまえがそこまで気に入ったわけではないんだけど、考え合わせてみると、▲→そいつと▼ここにいても、あのぷんすかクイーンについていくのも、どっちでもあぶないのは▲→どうも▼変わりなさそうだから、じっとしてたんだ。
身体を起こしたグリフォンが目をこすって、そのあと見えなくなるまでクイーンをまじまじ。そのあとふくみ笑い。「けっさくでい!」とグリフォンは、ひとりごと半分でアリスに言う。
「けっさくって[#「って」に傍点]、何が?」とアリス。
「あの女さ[#「あの女さ」に傍点]。」とグリフォン。「みんなあいつの思いこみでい、だれひとり打ち首なんてねえってことよ▲、→。▼こっちだ!」
「ここの方々『こっちだ』ばっかり。」と思いつつもアリスは▲グリフォンのあとを→そいつに▼ゆっくり▲歩いて→ついて▼いく。「生まれてこのかた、そんなふうに言いつけられたこと▲→、▼なくてよ▲――→、▼なくってよ!」
歩いてほどなく遠くに見えてくるウミガメフーミ、いわおの小さなでっぱりに、ひとり悲しそうにこしかけていてね、近づくにつれ聞こえてくる▲→その▼ため息、まるでむねがはりさけたみたい。だから心からかわいそうになって、「何が悲しくって?」とグリフォンにたずねたんだけど、グリフォンの答えは、さっきのとほとんど同じような言葉でね、「みんなあいつの思いこみでい、悲しいことなんてべつにありゃしねえ▲、→。▼こっちだ!」
で、ウミガメフーミのところまでたどりつくと、大きな目をうるうるさせて見てくるわりに、ものも言わない。
「こちらの姫君《ひめぎみ》が、」とグリフォン、「おめえのいわれを知りてえんだとさ。」
「▲→そちらに▼申します。」とウミガメフーミは、消え入りそうな声で、「▲→おふたかたとも、▼おすわりくだせえ、しまいまでどうかお静かに。」
というわけで、こしを下ろして、しばしのあいだ▲みんな→一同▼だんまり。そこでアリスは考えごと、「始まらないなら、おしまいも何もない[#「ない」に傍点]んじゃなくて?」でもじっとこらえる。
「昔は、」とついに口を開くウミガメフーミ、ふかいため息ついて、「あっしもまっとうなウミガメでした。」
そう切り出したあと長い長い間があってね、ときどきグリフォンの「ひっくるぅー」というおたけびがはさまったり、ひっきりなしウミガメフーミのさめざめという泣き声が聞こえたりするくらいで。アリスは立ち上がって「面白いお話ご苦労さま。」と言い捨てそうになるところだったけど、きっと何かあるはず[#「はず」に傍点]とどうしても思えるのもあって、すわったままだまっていたんだ。
「まだ小せえころは、」とウミガメフーミはおもむろに続きを話し出してね、たびたびまだしゃくり上げたりしながら、「海の学びやに通うもんで。先生はウミガメのじいさんで――あっしらはよくスッポンと呼んどり▲――→……▼」
「どうしてそんなあだ名になって? ほんとはちがうのに。」と口をはさむアリス。
「まっさらな本は素本《すほん》と言うだろ。」とウミガメフーミはぷんすか、「あんたほんとににぶいむすめだ!」
「てめえそんな当たりめえのこと聞いてはずかしくねえのか?」とグリフォンが追いうち、そのあとはふたりとももの言わずすわったまま、かわいそうなやつと目を向けてくるので、アリスは穴があったら入りたい気持ちになってきて。やがてグリフォンがウミガメフーミに声をかけてね、「続けろい、こんにゃろ! 日がくれちまう!」するとウミガメフーミはこう言葉をついでいく▲。→――▼
▲→「で、あっしらは海の学舎《がくしゃ》に通うとりました、あんたは信じられんかもしれねえが……」
「できないなんて言って?」と口をはさむアリス。
「ああ。」とウミガメフーミ。
「じゃかあしい!」とかぶせるグリフォン。
「とにかく一等の学舎でした――そのはずで、あっしら週日、学校行ってたんですぜ……」
「あたくし[#「あたくし」に傍点]だって『週日学校』に通ってよ。」とアリス。「そんなのでじまんするつもり?」
「選択《せんたく》はどうだ?」とたずねるウミガメフーミはちょっぴりそわそわ。
「もちろん、」とアリス、「受けてよ、フランス語に音楽。」
「洗い物はしねえのかい?」とウミガメフーミ。
「するわけないじゃない!」とアリスはぷんすか。
「おお! ならあんたんとこは、ええ学舎じゃねえんで。」とウミガメフーミの口ぶりはたいへんほっとしたようで。「あっしらんとこじゃ、勘定《かんじょう》の最後にフランス語と音楽と洗い物[#「洗い物」に傍点]は『せんたく』てえあったな。」
「べつに必要ないことなくて。」とアリス。「海の底でくらしてるんだもの。」
「まあ、あっしは習うゆとりがなかったもんで。」とウミガメフーミはため息。「普通の科目だけでやした。」
「何があるの?」とくいつくアリス。
「そりゃあ、より方にまき方から始めまして、」と答えるウミガメフーミ、「それから算数を一通りやりまして――わたし算にひっきり算、ばけ算にわらい算。」
「ばけ算だなんて初耳。」と思い切って口に出すアリス。「何それ。」
グリフォンはびっくり、前足をふたつとも高く上げて、「化け物ってな知らねえか!」とさけんでね。「美人ってのはわかるだろ、ああ?」
「ええ、」と言うアリスは自信なさげ、「それって――あの――きれいな――ひとの――ことでしょ。」
「それで、」と引き取るグリフォン、「化け物のことを知らねえたあ、てめえ[#「てめえ」に傍点]アホウよ。」
しょげてしまったアリス、そこからまた何かをたずねる気にもならなくてね、だからウミガメフーミの方を向いて言ったんだ。「ほかに何のお勉強したの?」
「へえ、からっきしを。」と答えるウミガメフーミはひれでひとつずつ科目を数えていってね――「からっきし、こりゃあ昔のも今のもで、それにとばっちり。あとはヨガ倒錯《とうさく》――ヨガの先生はアナゴのじいさん[#「じいさん」に傍点]で、週1でありやす。ヨガの体操でぐるぐるこんがらがって、わけわかんなくなりやす。」
「それってどう[#「どう」に傍点]やるわけ?」とアリス。
「いや、あっしにゃあとてもとても。」とウミガメフーミ。「身体がかたくて。それにグリフォンのだんなも知りやせんし。」
「ひまがねえもんでな。」とグリフォン。「まあ古文の先生にはついたさ。カニのじいさん[#「じいさん」に傍点]よ、そいつは。」
「あっしは行っとりませんが。」とウミガメフーミはため息。「何でも昔の笑ってん語と歯ぎしりや語を教えなさるとか。」
「そうよ、そうともよ。」と今度はグリフォンもため息。そして2ひきの生き物はその前足で顔をおおってね。
「で、1日に何時間くらいあるわけ?」とアリスはあわてて話を切りかえる。
「1日目は8時間、」とウミガメフーミ、「次の日は4時間と続いていくんで。」
「すっごくへんてこりん!」と思わず声に出すアリス。
「そこはそら時間割《じかんわり》て言うだろう?」と言い出すグリフォン、「日ごと半分に割られていくんよ。」
これはアリスには思いもよらないことだったので、ちょっと考えてみてから次にはこんなことを言い出してね。「じゃあ割り切れなくなった5日目はお休み?」
「その通りでごぜえやす。」
「でもそれじゃ6日目はどうするの?」とわくわくしながら続けるアリス。
「時間割の話あもういい。」とグリフォンがばっさり割りこんでね。「さあ、この子におゆうぎでも教えてやろうや。」▼
第9回訳者コメント
■第8章途中からの追記がこの章でいったん元の導線に戻りますが、追記に入るきっかけも、終わるきっかけも同じく「首をちょん切れ!」
■御前さまとのやりとりは、さすが自己啓発書なんかが流行りだした時代、という感じがしますね。これもまた文化的ジョークの追記と考えることができます。
■そしてウミガメフーミのところも追記。こちらも、「地底」→「不思議」の流れでよくされている言葉遊びの書き足し。ただしこのウミガメフーミとグリフォンの話が長すぎてちょっとうんざりする、という学生もいたりなんかしますし、映像化のときもこのシーンが短くなったりあっさりなものになったりすることもしばしば。
■やっぱり書き足すものには、一定の傾向があるみたいですね。アリス作品の特徴とも言われる言葉遊びや諷刺、妙なキャラクタは、かなりの部分が実はあとの追記から現れたものだというのは(つまり即興ではなくて考え抜かれたもの)、いろいろと興味深いお話です。