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【凡例】
修正:▲草稿→修正▼
削除:▲削除→▼
加筆:▲→加筆▼
▲→11 だあれがタルトをぬすんだの▼
着くと、キングとクイーンが高いところにすわっていて、そのまわりにはおおぜいがお集まり▲→――ありとある鳥さんけものさん、それにもちろんひとそろいのトランプも▼。ジャックが▲引っ立てられて→その前に立たされて▼、▲→くさりにつながれたままで、左右を強者にかためられていてね。▼それにキングの▲すわる前→わき▼にはあの白ウサギ、片手にトランペット、もう片手に羊の皮のまき紙。▲→おさばきの場のどまんなかにあるテーブル、その上にタルトをのせた大皿が1まい。見ばえがすごくよかったのでアリスは見るなりはらぺこになっちゃってね――「おさばきなんてとうに終わって、」とか思う、「おやつでも配ってくれたらいいのに!」ところがそんな段取りはどうにもないみたいで、そこでとりあえずまわりをしらみつぶしにながめてひまつぶし。
アリスもおさばきの場自体、ものの本では読んだことがあるだけで、来たのは初めてだったけど、そこにいただいたいのやつらが顔見知りとわかってたいへんほっとしてね。「あれがさばきを下すひと、」とひとりごと、「だって大きなカツラだし。」
ところでそのさばきを下すひとこそキングそのひと。カツラの上に王さまのかんむりをちょこん(どんな具合かたしかめたいひとははじめにある大きな絵を見てね)、どう見てもすわりが悪く、明らかに似合《にあ》ってなくて。
「それとあれが、話し合うひとの座席《ざせき》ね。」と思うアリス、「それに、生き物が12ひき。」(やむをえず「生き物」と口にしたんだけど、ほら、何せけものもいれば鳥もいるからね、)「つまり裁判員《さいばんいん》。」この言葉を2度3度自分に言い聞かせては、ちょっぴりほこらしげ。だって、無理もないのだけれど、ふつう同い年の女の子たちにはそんなことわかる子なんていないと思ってたからね。どんなおさばきを下すか話し合う人たちのことなんだけど。
12ひきの裁判員はみんなせわしなく手持ち黒板に何か書き付けていて。「何をしてるの?」とアリスがグリフォンにひそひそ。「何も書きとめることなんてないはずなのに、おさばきが始まるまで。」
「自分の名前を書き付けてんだ、」と返事するグリフォンもひそひそ、「お開きになるより先にわすれちまうとこまるからな。」
「バッカみたい!」アリスの声にもいらいらがこもりだしたんだけど、あわててこらえてね、だって白ウサギが声をはりあげて「お静《しず》かに!」って、それからキングもメガネをかけて、そわそわながめまわして、声の主をつきとめようとしたものだから。
アリスの目からは、そいつらのかたごしに見える感じなんだけど、裁判員はみんな「バカみたい!」と手持ち黒板に書きとめていてね、そのうちひとりが「バカみたい」をどういう字で書くのかわかっていないのもこっちに見て取れて、どうもとなりに教えてとたのみこむ羽目になったみたいで。「お開きうんぬんの前にあの黒板がめためたになりそう!」と思うアリス。
裁判員のひとりが、チョークをきぃきぃ言わせていたんだ。これにはもちろんアリスはたえきれ[#「きれ」に傍点]なくって、おさばきの場をぐるっと回り、そいつの背後に立って、すきをねらってさっと取り上げてしまってね。あまりのすばやい手ぎわに、かわいそうに裁判員(トカゲのビル)さんには何が何だかさっぱりわからず、そこであたりを探し回ったあげく、しかたなく最後まで指1本で書くことにしたまったく役に立たずで黒板には何のあともつかない。▼
「しきり役! おかされた罪を読み上げよ!」とキング。
これを受けて、白ウサギはトランペットを3ふき、それからまき紙を広げて、こう読み上げる▲。→――▼
ハートのクインがタルトを作る
夏のさなか1日かけて
ハートのジャックがタルトをぬすむ
かくれてこっそりひとりじめ!
▲→「さあ、おさばきを話し合え。」と裁判員へつげるキング。
「まだ、まだで!」と、あわてて止める白ウサギ。「その前にやることがたっくさんおじゃりまする!」
「ひとりめにわけを聞くぞえ。」とキング。すると白ウサギはトランペットを3ふき、声をはりあげる。「ひとりめ!」
はじめにわけを話すのは、ぼうし屋。入ってくると手にはティーカップ、もう片手にはバターのぬられたパン。「失礼をば、キングさま。」と切り出してね、「このようなものを持ちこみ。ですが、よばれたさいは、お茶会のまっ最中でしたもので。」
「すませておくべきであるぞ。」とキング。「いつ始めた?」
ぼうし屋がヤヨイウサギに目をやると、あとから入ってきたそいつはヤマネとうでを組んでいてね。「3月14日です、おそらく[#「おそらく」に傍点]は。」とぼうし屋。
「15日。」とヤヨイウサギ。
「16日。」とヤマネ。
「書きとめよ。」と裁判員へつげるキング。すると裁判員は熱心《ねっしん》にその3つの日付を手持ち黒板に書きとめ、そのあと足し算して、その和をお金の単位《たんい》に直したんだ。
「それを取れ、その方《ほう》の帽子じゃ!」とキングはぼうし屋へ言いつけてね。
「わがものではなく。」とぼうし屋。
「ぬすみおったか[#「ぬすみおったか」に傍点]!」とさけぶキング、裁判員の方を向くと、すぐさま一同はこのことをひかえる。
「これは売り物で。」と言いわけをあとからするぼうし屋。「わがものではなく、ぼうし屋でありますゆえ。」
ここでクイーンはメガネをかけ、ぼうし屋をじぃとにらみつけるたので、ぼうし屋も心おだやかでなく、顔もまっ青《さお》。
「はよう次第をのべよ、」とキング、「びくびくするでない、さもなくばただちに処すぞ。」
これで相手に先をうながせるわけもなくてね。足の重心を左右行ったり来たりさせつつ、そわそわとクイーンを見やるんだけど、取りみだすあまり本当ならパンをかじるところを、ティーカップをがりっといっちゃって。
ちょうどこのときなんだけど、アリスはひどくぞくぞくして、へんてこな気分になってね、自分でもしばらくなぜだかちっともわからなかったんだけど、どういうことなのかとうとうわかった。また身体が大きくなりだしていてね、ひとまず立ち上がって席《せき》を外そうかと思ったんだけど考え直して、ぎりぎりすわれるまではそこにいすわることにしたんだ。
「そんなにつめないでくださいな。」と、となりにすわっていたヤマネが言ってね。「息苦しい。」
「どうしようもないの。」と、とてもすなおなアリス。「育ちざかりなんだもん。」
「だからって、ここで[#「ここで」に傍点]勝手に大きくなるなです。」とヤマネ。
「すっからかんな言い分。」と今度はアリスもふてぶてしい。「ほら、あなただって育つんだから。」
「そうですけど大きくなるかげんはわきまえてますよ。」とヤマネ。「そんなふざけた育ち方なんてしません。」そうしてひどくむっとして席を立つと、さばきの場の向かいがわへまたいでいってしまって。
このあいだずっとクイーンはたえずぼうし屋をにらみつけていてね、ちょうどヤマネがおさばきの場をまたいだときに、その場にひかえていたやつへこう申しつける、「先の音楽会の歌い手の名ぼを持って参れ!」するととたんに、あわれにもぼうし屋はぶるぶるふるえだして、両足ともくつがぬげてしまう始末。
「次第をのべよ。」とくり返すキングはかんかん、「さもなくばびくびくのいかんを問わず処すぞ。」
「わがはいはつまらぬものです、キングさま。」と話し出したぼうし屋はふるえ声、「それにお茶を始めてより――まだ1週間もございません――パンは次第にかっぴかぴとなり――てぇかてかのお茶……」
「てぇかの何[#「何」に傍点]とな。」とキング。
「お茶のこと[#「こと」に傍点]にございますか。」と答えるぼうし屋。
「ふむ、そりゃお茶は『てぇ』とも[#「とも」に傍点]言うわい!」とキングの声はとげとげしい。「わしをバカにしておるのか? 続けよ!」
「わがはいはつまらぬものですが、」と続けるぼうし屋、「そのあとあちこちがてかてかと――ただヤヨイウサギが申すには……」
「言わねえ!」と大あわてで口をはさむヤヨイウサギ。
「言った!」とぼうし屋。
「まちがいだ!」とヤヨイウサギ。
「まちがいか。」とキング。「ではその部分を消すがよい。」
「ではとにかくヤマネが申すには……」と続けたぼうし屋が気づかわしげにあたりを見て、まちがいと申し立てられないかとたしかめるも、ヤマネは何も申し立てずぐっすりすやすや。
「そのあと、」とそのまま話し出すぼうし屋、「わがはいはバターのぬられたパンをもう少しとちぎりまして……」
「あの、ヤマネは何と言ったんで?」と裁判員のひとりがたずねる。
「それが思い出せず。」とぼうし屋。
「思い出さねば[#「ねば」に傍点]、」と言い出すキング、「処すぞ!」
あわれにもぼうし屋はティーカップとパンを落として、片ひざをついてね。「わがはいはつまらぬものでございます、キングさま。」と言い出すんだけど。
「たしかに[#「たしかに」に傍点]その方《ほう》の話[#「話」に傍点]はつまらん!」とキング。
ここでモルモットが1ぴき手をぱちぱちとたたいたんだけど、ひかえていたやつらにたちまち取りおさえられてね。(っていうのはちょっとややこしい言い方かな、どうなったのかちゃんと話すね。大きくしっかりした布のふくろ、口のところをひもでしばるやつをもってきて、そのなかにモルモットを頭から取り入れて、その上からすわっておさえたんだ。)
「うれしい、こんなの見られるなんて。」と思うアリス。「新聞では読んだことあったけど、おさばきの終わりに『拍手《はくしゅ》でざわつくもたちまちひかえていた役人によって取り押さえられた』って、今ようやくなるほどとなってよ。」
「それだけしか知らんのなら、もう下がるがよい。」と先を続けるキング。
「これより下へは行けません。」とぼうし屋。「ゆかをつきぬけろとおっしゃる?」
「ならば、しり[#「しり」に傍点]をゆかにつけい。」と答えるキング。
ここでもう1ぴきのモルモットが手をたたいたが、また取りおさえられる。
「ふうん、これでモルモットはみんな片づいたってわけ!」と思うアリス。「ようやくおさばきもはかどってよ。」
「よろしければお茶の方をすませても。」と言うぼうし屋は、気づかわしげにクイーンを見やったけれど、歌い手の名ぼを読みふっていて。
「かまわん行け。」とキングが言うので、ぼうし屋はかけ足でおさばきの場をあとにしたんだけど、くつをはき直すのをどわすれしちゃった。
「……そして外でやつの首をはねよ!」と追ってクイーンはひかえている者に言いつけたんだけど、ひかえの者がドアにたどりつくより先にもう、ぼうし屋のすがたはどこへやら。
「次のもの入れ!」とキング。
その次にわけを聞くのは御前さまのコック。手にコショウびんを持っていてね、アリスはそのひとが入ってくる前からだれだか当てがついたんだけど、それというのもドア付近のひとたちがみんないっせいにくしゃみをしたから。
「そこなもの、わけを話せ。」とキング。
「まっぴらだね!」とコック。
キングの気づかわしげな目にさらされて、白ウサギが小声で、「やむをえませぬ、反対にご自身からこの者に[#「この者に」に傍点]次第をたずねてみては。」
「ふむ、やむをえぬならやむをえぬ。」とだるそうなキングはうで組みをして、コックにまゆをしかめるんだけど、そのせいで目はほとんど皮にうもれてしまってね、重々しい声で言うんだ、「タルトは何でできておる?」
「だいたいコショウさ。」とコック。
「シロップです。」とその後ろからねむたげな声。
「そのヤマネを首ねっこじゃ!」と声をしぼり上げるクイーン。「そのヤマネは打ち首じゃ! そのヤマネをつまみ出せ! 取りおさえよ! しょっぴけ! ヒゲをちょん切れええ!」
しばらくのあいだ、おさばきの場はしっちゃかめっちゃか、ヤマネは外へつまみ出され、みんながもとの場所にもどったころには、コックもすがたを消していて。
「かまうな!」とキングは大きくほっと息をついてね。「次のものをよべい。」それから、そのあとクイーンに向かって、おさえた声音で、「やむをえん、実はの、次はおまえ[#「おまえ」に傍点]がたずねる役をやってくれんか。ひどくしかめっ痛《つう》がするのでな!」
アリスが様子をうかがっていると、白ウサギが名ぼをいじいじしていたので、次によばれるのがどんなひとなのかとってもわくわくしてきてね、「――だって事と次第があんまりはっきりしてないもん、まだ[#「まだ」に傍点]。」とひとりごと。どんなにその子がびっくりしたことか、そのとき白ウサギが読み上げた、ふりしぼって声高にさけんだ名前はなんと、「アリス!」▼
第11回訳者コメント
■裁判シーンも、大部分の加筆。裁判もまた文化差の大きなものですが、イギリスにおける法曹は、歴史的に「階級の成り上がり」や「教養」、あるいはそれにまつわる「偽善」等々ともかなり密接な結びつきがあるものなので、時に20世紀の「予言的」だとされる部分も、本人もかなりわかって書いてるんだろうなあという印象。(20世紀のたとえば「ヒトラーの首つり裁判」などは、こないだ出た拙訳『ヒトラーと哲学者』(白水社)などを参照してくださいませ。)ただ、そういう「予言」が追記なんだ、ってところは、少女たちと個人的に関わっていた「地底」のキャロルではなく、社会の一員としての(あるいは学寮改革に勤しんだ)「不思議」のキャロルが現れている点なんではないでしょうか。
■繰り返し書いていることではあるのですが、出版が意図されることによって、キャロルと読み手の関係性が変化しています。本を出すということは、その公刊される社会を意識するということでもあるので、キャロルも個人から社会人へと変わるわけですね。だから英国文化も、英国社会も、階級もジョークも、より強く(批判的に)現れ出ると。描かれるものは一種のカリカチュアでもあるのですが、このあたりは17世紀王政復古後~18世紀の諷刺文芸を思わせるものと、挿絵画家テニエルらのやっていた諷刺画の要素が、「地底」から「不思議」になる過程で意図的に加筆されているということで。
■そうしてみると、「アリス」作品ではキャラのモデル探しが盛んですが、地底キャラのモデルは内輪のもので、不思議キャラの場合は批判対象としてのモデルなのでは、という一応の区別は立てられそうですね。
■ただ諷刺には極端に戯画するための装置や舞台も必要で、たとえばガリヴァー旅行記が、現実と地続きに見せかけた架空の旅行記という構成を用いて誇張された世界を描くように、アリスの場合はそれが「地下」と「夢」。本当はどっちか片方でもいいんだけど、(あと「地底」からある設定なので結果としてそうなっただけなのかもしれないんですが)2つ使っているというのは結構、印象的。「夢」の持つ幻視性っていうのは、ロマン派あたりにも顕著なんですが、現実にある物事を二重視するというか、今風に言えば何かあるものの「隠し属性」とか「裏設定」みたいなものを露わにする機能があったりするんですよね。現世とつながっている「地下」は、ただ過剰な別世界のようでいて、「夢」だから実は現実の裏設定でした!みたいな構造なわけで。そのへん、英文学の伝統に則りつつうまく昇華できているところかも。
■「地底」→「不思議=夢」では、privateからsocialなものへの変化が、本文や構造レベルでかなり反映されていそう。
■豊かな想像力で、つまらないものを面白く見ることができる、というのは大事なことでありながら、同時にお話のなかでは面白いだけじゃなくて「怖いところ」も見えているわけですよね。ナンセンスの笑いと恐怖は紙一重。このぎりぎりの均衡が作品として成立するバランスでもあるので、映像化とかでこれがどっちか片方に偏っちゃうのは、理解はできるけど納得はできないとこがあるかも。