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この作品は、テクストにおける〈青空的な何か〉をそれとなく児童文学っぽいお話にしたものです。何年か前に書いたもの。全4話。ところどころにネット上にあるフリーテクストへのリンクが貼られてあって、その紹介を兼ねています。合わせてどうぞ。(ただいま挿絵がございません。なんだかさみしいですね。なお、当作品のご利用につきましては、お絵かきでも朗読でも、ブログ下部にもありますが、クリエイティブコモンズの範囲内でご自由にどうぞ。) ▼次話▼
1
わたしの朝は、本からはじまる。
パジャマを着がえるよりもさきに、今日一日なんの本を読むのかを決めるのだ。
勉強づくえのうえにずらっとならべて、表紙をながめながら、どれにしようかなって。
ラブストーリー? ぼうけんもの? それともミステリ?
う~ん、ホラーでもいいんだけれど、まよってまよってなかなかえらべなくて、そんなふうにしてると、そのうちママが「メクル、早くしなさい、朝ごはんよ」なんて言っちゃったりして。
だからだいたいは、そこでえいって決めた本を持ってくことになる。
それなのに、その本はその日の気持ちや天気なんかとわりとぴったりで。なにかふしぎな力でもあるのかな? それとも、本がわたしのことをよんでたりするのかな?
でも、朝はこれだけじゃ終わらない。
ごはんのあと、わたしも服を着るんだけど、本にもおしゃれをさせてあげる。
どういうことかって言うと、つまり、ブックカバーをつけるの。それも、その本にあったかわいいのを!
わたしのつくえのなかには、たくさんのカバーが入っていて、もようも色もそざいもいいろいろ! おしゃれな絵がかいてあったり、キラキラしていたり、おひめさまがいたり、ほかにもまっ黒のとか、ピンクのだってあるし、ぬののカバーも、それから本物のかわでできたのだってあるんだから!
そのなかのいくつかはお店で買ってもらったのなんだけど、ほとんどはわたしの手づくり。ママがキルトやパッチワークをしてるから、そのあまったはしきれをもらって、ときどき自分でつくるんだ!
かた紙で大きさをはかって、ハサミでぬのをじょきじょき切って、はりでぬいあわせて、アイロンでぺったんぺったん。ぬのをつなぎあわせたり、表にししゅうしてみたり。ビーズをつかうこともあるし、ラメだってはっちゃう!
もちろん、おさいほうをするのはたいへん。
でも自分の本の着るものだから、やっぱり自分でつくりたいなって思って。
お気に入りの本には、にあってるものがいちばんだから!
それに、本ってだいじなものだから、よごしたくないし――って、ほんとはカバーもよごれてほしくないから、カバーにカバーがひつようかもしれない!
2
はじめてあいつが出てきた日のことは、よおくおぼえてる。
そう、三学期のちょうどまんなかくらい。
その日の朝はちょっとねぼうしちゃって、いつもより時間がなくて、本をえらぶのもカバーをきめるのも、あわててたからまよってるヒマなんてなくて。
ぱっと手にとったのが『名探偵《めいたんてい》ホームズ』と、つくってから一度も使ったことのないまっさらのブックカバー。まっさらって言っても、もとが古いぬのきれだったから、そんなにきれいってわけじゃないんだけど、あざやかな空色に白のもようがかかれてあって、かわいいっていうよりは、これはもしかすると、うつくしいっていうのかも。
どうしてそのふたつにしたのかわからないけど、ちょうど本の表紙の色と近かったからかもしれないし、なにか運命《うんめい》みたいなものがあって、そうなるしかなかったのかもしれないし。
とにかくわたしはあわてておうちを飛びだして。
持ちだした本をひらいて読みながら、早歩きで学校へと向かったの。
そう――いつだってそうなんだけど(今はやってないんだけど)、登下校のときはいっつも本を読む。学校までがまんなんてできないし、ついたらついたで、友だちとのおしゃべりがはじまるし。朝の本の時間だって短すぎるし!
だから毎日歩きながらページをめくるんだけど、ふだんは――それなりに――あぶなくないよう、気をつけながらやってるんだよ? でも……その……あわててたし、早く歩かなきゃいけなかったし、本も読んでて……
そうそう、ホームズの本がちょうどいいところで、ものすごくのめりこんでたっていうのもあって! ……反省《はんせい》はしてるんだけど、あんまりまわりが見えてなかったんだと思う。
あの声がするまで、ぜんぜん気がつかなかった。
「あぶないぞっ、きみ!」
男のひとの声だった。
「まわりを見たまえ!」
そのとき、わたしは本の世界からふっとよびもどされて、立ちどまったんだけど。言われたとおりに顔をあげて、ぐるっと見まわしてみると――
カァン、カァン、カァン、カァン……
わたし、ふみ切りのまんなかにいたの!
しゃだんきの細長いぼうが前も後ろもおりてて、とじこめられてて!
それに、電車の走ってくる音も遠くから聞こえてくるし!
いきなりだったから、もうびっくりして、どうしていいかわからなくて、ぜんぜん動けなくて……
「走るんだっ!」
また同じひとの声だった。
「前へ走りたまえ!」
わたしはなにも考えずに、声の言う通りにして、両足を思いっきり前のほうへともっていった。
「くぐれっ!」
しゃだんきの下にからだをおしこんで、すべりこむみたいにして、地面にたおれこむ。
すると、後ろのほうから電車の通りすぎる音がして……
――あぶなかった!
もう少し気づくのがおそかったから、きっとわたしは……って、ううう……考えるのもおそろしい。
そのあと、近くにいた女のひとがかけよってきてくれたんだけど、あとから思いだしてみると、そのとき、その場所には、わたしとそのひとのほかには、だあれもいなかったんだ。
3
「う~ん。」
その日のわたしは、ぼーっと首をかしげることが多くて。放課後《ほうかご》の図書室でも、ホームズの本を持ちながら、そんなかんじ。
朝に起こったふしぎなことが、まだ気になっていたのだ。
あの声はなんだったんだろう、だれだったんだろう?
そんなふうに考えていると、わたしの横にひとがやってきて。
「どうしたの? 本持ちながらあさっての方向むいて。」
「あ、オクヅケ先生。」
このひとは図書室の先生なんだけど――朝のことはしゃべってもいいのかな? いやいや、本読んでたせいで電車にひかれそうになったなんて言ったら、きっとおこられる。
「いいえ、なんでもないです。」
「そう? だったらいいけど。でも、メクルさんが本から気をそらしてるなんて、めずらしいよね。」
「へへへ……。」
本に気をとられて死にそうになりましたから、そりゃあもうめずらしくもなりますよ、という言葉を飲みこむ。
「すいませーん、先生、本返したいんですけどお。」
だれかの声がして、「はあい」と先生がカウンタへもどっていく。
わたしはまた考えだしたんだけど、あのとき近くに男のひとなんていなかったはずだし、そもそもあれを見てたひとだってほとんどいなかったわけで。
「ええと、返きゃくはO・ヘンリーの『賢者《けんじゃ》の贈《おく》り物《もの》』と『カフカ短編集《たんぺんしゅう》』ね……はい、しっかり受けとりました。」
う~ん、なんど思いだしてもさっぱりわからない。
って、あれ?
「先生、今日の当番のヨミちゃんは?」
「ん? ふふふ、ま・た・あ・そ・こっ。」
って言いながらオクヅケ先生が指さしたのは、図書室のおくにあるとびら。
書庫《しょこ》だ!
図書室のたなに出てない本が、そこにはたくさんある。うちの小学校は古いので、買っているうちにどんどん本がたまっていって、ならべられない本はみんなそこにおいてある。
なかに入れるのは図書委員だけで、しかも先生にカギをあけてもらわないといけない。言ってみれば、わたしたちだけのヒミツの場所?
そうこうしているうちに、そのとびらがガチャリと開いて。
「あ、メクルちゃん!」
ヨミちゃんがにっこりと手をふってくれたので、わたしも同じように返して。ヨミちゃんのうでには、本が五さつもかかえられていたから、ほんとに手首だけしか動かなかったけど。
「またたくさん持ってきたのね。」
先生もうれしそうに言いながら、立ちあがってとびらのところへ行って、書庫のカギをしめる。
「だって、こっちにある本はぜんぶ読んじゃったんだもん! ね、メクルちゃん。」
「そんなこと言うのは、学校のなかじゃあなたたちふたりくらいよ。」
って笑って、オクヅケ先生はカギをカウンタの引きだしにしまいこんで。
「あなたはあなたで、おうちの本をここで読んでるしね。とってもかわいらしいカバーをかけて。」
その通り。
わたしは一日一さつ読むんだって決めてるんだから!
そのために、しずかな図書室をめいっぱい使わせてもらいます!
4
で、図書室で読みきれないと、そのままうちに帰って、自分の部屋でつづきに取り組むんだけど……その日はまさにそういうかんじで、ずっと『名探偵ホームズ』を読んでいて。
ホームズは、やってきたひとの相談《そうだん》ごとをちゃんと考えて、しっかりとしたアドバイスをする。ほんとに頭がいいと思う。(でもちょっとへんなやつ。)
それにひきかえ、わたしは……。
本を読んでると、みんなから「頭よさそう」に見えるみたいだけど、わたしはそうじゃないし、テストの点数だってあんまりよくないし。ぜんぜんダメで、はっきり言ってバカなのだ。
なんにもわからない。今朝のことだってそう。
頭をはたらかそうとしても、すぐにこんがらがって、そのままはじけとんじゃう。
……もし、もしホームズみたいに考えられたら、ちょっとでもわかったりするのかな?
「ふむ、そうかもしれんな。」
だとしたら、いいのにな。もうちょっといろんなことができたら、いいのにな。
「やってみればいいではないか。」
そんなっ、でもでも、できるわけないし。どうやったらいいのか、まずそこからもう、わからないし。
「アドバイスなら、ぼくにできるぞ。」
えっ、そんな、とか言っても――って、あれ?
これって、なんの声?
今朝のと同じだけど――
わたしは本から顔を上げて、自分の部屋をきょろきょろする。
「こっちだ、右ななめ上を見たまえ。」
言われた通りにすると……
「えっ?」
なんとそこには、ちいさなひとみたいな、ようせいみたいなものが、ふわふわとういていて。空色のぼうしに、空色のスーツで。
まるで……ホームズ?
でも、わたしの顔くらいの大きさしかないし、なんだかちょっとまるっこいし……でも、今わたしが読んでいる本の、ホームズみたいなかっこうをしている。
「なにこれ。……どういうこと?」
「ふむ、ものごとをふしぎがるというのは、いいことだ。」
ほんとにほんとに、わからない。いったいなにがおこったっていうの?
ううう……でも、声が同じってことは、今朝のもこのちいさなやつのおかげ? とすると、おれい言わなくちゃ。それからとにかく、きいてみよう。
「えっと、その、朝は、ありがとう。うーんと、で、あなた、どなた?」
すると、そのふわふわしてるのは、考えこんで。
「ふむ、どなた、か。なにものだろうな、ぼくは。」
――えっ、わからないの? どういうこと?
「おなまえは?」
「……ふむ、そうだな、きみが考えてくれたまえ。」
はい? なに言ってるの?
もう、なんだろう、このやりとり、とってもせなかがムズムズする! ええいっ――!
「じゃあ、あなたはホームズににてるから、ムズムズ!」
「ムズムズか……よかろう。」
というのが、わたしとあいつがはじめてしゃべったときのこと。今思いだしても、なんて言ったらいいのかな。ほんっとに、へんなの!
5
というか、名前が決まっても、なんにもわからないのは、そのままじゃない!
「だから、あなたはなにものなの?」
「なにものだろうな、考えてみたまえ。」
ううう、ちょっとむかつくんだけど、こいつ。ほんっとにムズムズするんだから。
「考えるって、こんなへんなこと、どうやって?」
「そうだな……まずは、これはへんなこと、なのか?」
「そうに決まってるよ。こんなこと、今まで起こったことないし。」
ゆめなんじゃないかとうたがいたくなるけど、ほおをつねってみても目はさめないし、ほんとのことだってのは、まちがいないみたい。
「今までとちがうことが起こった……しかしそれは、今までと同じことをしていては、起こらないのではないか?」
「どういうこと?」
「つまりだ、きみがいつもとちがうことをしたから、ちがうことが起こったのではないか、と。」
「なによ、ちがうことって。」
「それは、きみが考えたまえ。」
むっ。
……おさえて、わたし、しっかり。
ちがうこと……なにかしたかなあ……えっと今朝のことだから、たぶんそれよりも前に……起きてから、本をえらんで……カバーをきめて、って……あっ!
「なにか気がついたかね?」
「このカバー、今日はじめてつかった。」
と、わたしは手にもっていた本から、空色のブックカバーを外す。これ、つくってから一度もつかってなかったんだっけ。
「ねえ、そうだよね?」
って、あれ?
ムズムズがいない? さっきまでうるさかったのに。どこに行っちゃったの? 部屋をぐるっと見まわしても、どこにもいないんだけど。
「う~ん。」
とか言って、わたしはブックカバーを本にもう一度かぶせる。
「ふむ、そうか。」
「うわっ!」
またいきなりムズムズがあらわれた!
「えっ、えっ?」
「つまりは、どういうことかね?」
……今日カバーをはじめてつかって、つけたらムズムズが出て、外したら消えたんだから……
「このカバーをつけたら、あなたが出るわけ?」
「なるほどな、しかし本当にそうかね?」
? えっと、でも……
と、わたしはもう一度、本とカバーを見る。
そっか、この本が『名探偵ホームズ』だから、こいつが出てくるのかも。とすると、ほかの本だと……
わたしは本だなのところへ行って、 新美南吉《にいみなんきち》の『ごんぎつね』を取り出す。それから、ホームズにつけたカバーを取って、ごんぎつねのほうにつけると――
「こーん!」
ほんとにキツネが出てきたっ!
「あっ!」
そのキツネはとびあがって、つくえの上を走りまわって、ものをあちこちにちらかしていって。わたしはつかまえようとしたんだけど、どうにもうまくいかない。
……もう! と思ったところで、気がついてあわてて本のカバーを外すと、キツネはきえて。
そこでもう一度ムズムズを出すと……
「ふむ、なるほど。」
とか、ぐっちゃぐちゃな部屋のありさまを見て言うの。
「ものはためし。やってみるのも、だいじだな。」
6
タイミングのわるいことって、ある。ひとりひとりの、ひとつひとつが、うまくつながらなくて、かさならなくて。しかもそういうことって、ちょっといけないことをしちゃったときに、きまって起こったりして。
あんなことがあったつぎの日、わたしは図書委員の当番で、放課後になると図書室のカウンタにすわっていた。
当番って、放課後になってすぐはわりといそがしいんだけど、日がだんだんとくれてくると、とってもヒマになる。だあれもいなくなって、部屋のなかもしいんとして。そのぶん、本はしずかにゆっくり読めるんだけど。
その日のわたしは、ちょっといらいらというか、そわそわというか、おちつかなかった。きのうのこともあったし、ランドセルのなかにはあのブックカバーは入ったままだし。
今日読む本のカバーはつけかえたんだけど、どうしても気になって、そのまま持ってきちゃった。もちろんあれから、ふわふわしたのは出してないんだけど。
だれかにきいていいのか、それともないしょにしたほうがいいのか。オクヅケ先生ならだいじょうぶかな。でもおかしいよね、本からなんかへんなのが出てきたなんて。言ったら、おかしな子って思われちゃうよ……みんなに? 先生に?
……だれにも言えない、でも……
そんなふうに考えていると、本にも身が入らなくて、そのまま時間もすぎていったんだけど、おちつかなかったせいか、そのうちなんだかトイレに行きたくなって。
それでもっとそわそわしちゃって。
あともうちょっとで当番も終わるからガマンしよう、と思っていると……
「メクルさん?」
「――えっ、はいっ!?」
オクヅケ先生が、それもあわてた声で話しかけてきて。
「あのね、先生ちょっと電話してくるから、ちょっとだけひとりでいてくれる?」
「はい!」
って、先生がバッグをかかえて図書室から走り出ていく。
なにかあったのかな、でもひとりでここにいないとな……と思うんだけど、しいんとして、がらんとした部屋にひとりでいると、なかなか時間はすすまなくて。
カチカチカチ、っていう時計の音が聞こえてくる。あれ、一秒たつのってこんなにおそかったっけ、なんて。
それに。
まだ先生帰ってこないのかな、早く来てくれないかな、とか考えていると、トイレに行きたい気持ちもだんだんと強くなってきちゃったりして。
でも。
図書室にはわたしひとりしかいないんだし、やっぱり今行っちゃダメだよね、ガマンしなくちゃ。
って、そんなの頭ではわかっていても、どうしようもなくて。
……。
――もうムリ!
って、とうとうわたしはカウンタを立って、図書室を出て、トイレへと向かったんだけど。
どうせこんな時間にはだれも来ないし、わたしひとりだったから、ちょっとくらいいなくなってもだいじょうぶだって、そう思ってたんだ。
それが、まさかあんなことになるなんて、思ってなかった。
7
だあれもいない図書室。
わたしも、先生もどこかへ行っちゃってて。来るひとなんていない、はずだったのに。……そうじゃなかった。
入口のところにひょっこり顔を出したのは、ヨミちゃんだった。
「……メクルちゃーん、……せんせーい。」
ヨミちゃんがきょろきょろしても、声はかえってこない。
「あれ?」
とヨミちゃんは首をかしげるんだけど。
「……う~ん。……じゃあ、別に、いいよね。」
って、カウンタの引き出しに手をのばして、カギを取りだして、勝手にとびらを開けて。
書庫にしのびこんだんだ!
わたしはそんなことも知らずに、そのあと少しして図書室に帰ってくる。
もどってきて、図書室を見まわして、やっぱりだあれもいないことにほっとして。すっきりした気持ちで、当番がすわるイスにもどって。
するとカウンタの上にカギが出たままになってて。
……えっ?
って、思ったんだけど、今日のどこかで出してかたづけるのをわすれたのかなって。ずっとそわそわしておちつかなかったから、当番のこともあんまりおぼえてないし、そういうこともあったのかなって。
するとそのとき、オクヅケ先生が図書室に飛びこんできて。
「メクルさん!」
「――はいっ。」
先生はぜえはあといきが切れてて、早口で。
「うちの子が急に熱を出しちゃったから、すぐに保育園《ほいくえん》へ行かなくちゃいけなくて、ちょっと早いけど、先生帰るね!」
「えっ、あっ。」
「ごめんだけど、五時になったら図書室のカギしめて、職員室《しょくいんしつ》に持ってってくれる? ほかの先生には言っておいたから!」
「あ、はい。」
って、すぐに先生が出ていこうとしたとき。
「ん? 書庫のとびら、開いてる?」
見てみると、たしかにちょっとだけとびらが開いてる。
「しめとかなきゃ。」
そう言って、オクヅケ先生がカウンタに出ていたカギにも気づいて、あわててつかんで、さっととびらをしめて、カギをかけて、そのまま――
「じゃあ、おねがいね!」
って、帰っちゃったんだ。
そのとき、わたしはなにも言えなかった。ううん、言わなかったんだと、思う。
もしかするとだれかがいるかもしれない、ってことはどこかわかってたのかも。でもわたしは、だれもいないって、わたしのいないうちにはだれもこなかったって、そう思いたかったんじゃないかなって、そんな気がする。
……ずるい。
だから、しばらくしてあの音が聞こえてきたとき、自分がおこられているように、せめられているように、そんなふうにかんじたんだ。
ガチャガチャガチャ、ガチャ……ドンドンドン、ドンドンドンッ!
書庫のとびらを開けようとする音、たたく音。それからつづいて聞こえたのが、ヨミちゃんの声。
「あれ、えっ……なんで? ねえ! 開かないっ!」
わたしは、カウンタから立ち上がる。
「だれか、いないの? ――開けてッ!」
8
「もしかして、なかにいるのって、ヨミちゃん!?」
「えっ、メクルちゃん! あのね、カギがね!」
わたしとヨミちゃんは、書庫のとびらをはさんでしゃべる。カギって聞いて、カウンタの引き出しに急いだんだけど、開けてみるとカギはなくて。
……あれ?
って、もしかして、さっき先生がしめたあと……そうだ、ここにもどしてない! まさか、あのまま持って帰っちゃった!?
――どうしよう!
わたしはとびらのところまで走って。
「ヨミちゃん、なかからは開かないのっ?」
「開かないよ! だって、なんにもないんだもん!」
……そんな! どうしたらいいの?
えっと、オクヅケ先生にきてもらえば――って、ムリだよ! 子どもが熱出したんだから、もういないだろうし、すぐにはもどってこられないだろうし。
ほかの先生をよぶ? でも、カギがないんじゃどうにもなんないし! それに、ぜったいに大さわぎになるし!
ああ、もう、どうしたら……
そのとき、わたしは思い出したんだ。ランドセルに入ってるブックカバーのことを。
カウンタの横へと急いで、わたしは空色のブックカバーを取りだす。
今日読んでる本は、昨日のつづき、『名探偵ホームズ』のべつの話。つけてたカバーを外して、それからあのふしぎなブックカバーをつける。
「ムズムズ!」
って、わたしがよぶと。
「ふむ。」
あいつが、空色のちっこくてふわふわしたホームズまがいのあいつが、すましたかんじであわられる。こっちはあわててるっていうのに!
「どうしよう!」
「どうしようって、なにをだね?」
またこれだよ! もう!
「おねがい、あのとびらがしまってるの! 開けて!」
「ざんねんだが、それはムリだ。」
「どうして!」
「ぼくはアドバイスしかできない。カギを開ける力はないんだ。」
「そんなあっ! じゃあ、どうすれば!」
わたしは思わず、その場にしゃがみこむ。わけがわからなくなって、どうすることもできなくて。
自分のせいだ、自分がわるいんだ。わたしがちゃんとしてれば、こんなことにはならなかったのに!
「メクルちゃん、おねがい、出してえっ!」
ヨミちゃんの、とびらをたたく音が聞こえてくる。
……ごめんなさい、ごめんなさい! わたしが、わたしが……もう、もう泣きたいっ!
そんなとき、あいつがそばにやってきて、こう言ったんだ。
「きみが、考えるんだ。」
「えっ?」
本のなかのヒーローみたいな、かっこいい声で。
「考えたまえ、そうすればかならず道がひらけるはずだ。」
……考える。
わたしが、かんがえる。
ホームズみたいに?
「さあ、ぼくがアドバイスしよう。きみは今、なにを持ってる?」
9
「力でもいい、モノでもいい、できることっていうのは、そのひとが持っているもの、つかえるもののことなんだ。考えるんだ! ……きみは今、なにを持ってる? きみにはなにがある?」
……持ってるもの。わたしに今あるもの。
ランドセルのなかには、ペンケースと教科書と……って、ちっともたいしたものがないんだから!
「なんにもないよお!」
「本当にそうかな? もう一度言おう。きみが今、持っているものは? 今!」
今? わたしの手にあるもの?
……本。『名探偵ホームズ』の本。じゃあこれを、とびらに投げつけるの?
ううん、ちがう。そうじゃない。
本じゃなくて……そうだ、ブックカバーだ。
このムズムズが出てくる、へんな力のあるカバー。これをつけかえると、……つけかえると!
「このカバーで、なにかほかのだれかを出せばいいのね!」
「そうだ、いいぞ! さあ、だれを出せばいい! この場を切りぬけるには!」
「カギを開けられるやつ!」
「うむ! その通り!」
できる! これならきっとできる!
「さあ、ここは図書室だ。本ならうんとある。このなかのどこかに、そのものがいるはずだ! どの本だ! 考えろ!」
ある! ぜったいにあるはず!
これだけたくさんの本があるんだから!
どれ? どの本?
社会の本? 理科の本? 国語の本? 数学の本?
――ううん、ちがう。そうじゃなくて、ものがたりの本だ。カギを開けられるような、そんなひとの出てくる本。
だったら……とうぞくとか? それともどろぼうとか?
でも、そんなひとを出して、わたしの言うことを聞いてくれるの? とびらを開けてくれるの?
もっとやさしいひと。こまっているひとを見たら、いてもたってもいられなくなるひと。
――だれ? どんな本?
考えろ、思いだせ、わたし! 今までいっぱい本を読んできたんでしょ! ぜったいどこかにいるはずなの!
……
「そうだ!」
たしか昨日、あの本が返ってきた――わたしは、その本があるたなへと急ぐ――たしかここに――あった!
O・ヘンリーの『賢者の贈り物』、そのなかに入っている「とりもどされた改心」って話。その主人公なら――
わたしは、ホームズからカバーを取り外して、その本につける。
「おねがい、ジミー!」
おしゃれでどんなカギでもたちまち開けてしまうひと。自分がつかまってしまうとわかっていながら、それでも女の子を助けたやさしいひと。
「たすけて、ジミー・バレンタイン!」
目をつむって、出てきてって、それしか考えられなかった。すると、この本を読んだときの思い出や、イメージしたこと、そういったものがみんな自分のなかからあふれてくるみたいで。
しばらくすると、やさしい声が聞こえてくる。
「どうしたの?」
……目をあけると、そのひとは、わたしににっこりとほほえんでいた。ちゅうにふわふわうかんだ、ちっちゃなジミー・バレンタイン。バラの花を一りん、指にはさんでいる。
「……あ。」
ほんとに出てきて、わたしはちょっとびっくり。けれど、すぐに気を取りなおして。
「このとびらのカギを、開けてください! わたしの友だちがとじこめられちゃったんです!」
「おやすいごようさ。」
そして、あっとういうまにとびらが開く。
もちろんヨミちゃんも、なかから出てきて。わたしに飛びついて。泣きながら……
「――メクルちゃあん! うわあああん!」
ごめん、ごめんね。
10
そのあとすぐほかの先生が、わたしが五時になってもカギを返しにこないのに気がついて、図書室にやってきた。そこでけっきょく、ヨミちゃんがないしょで入ってとじこめられたこともバレて、わたしたちふたりはおこられて……。
でもオクヅケ先生があわててたってこともあったから、ぜんぶがぜんぶわるいってことにはならなかったんだけど。
わたしはその日おうちに帰ると、あのカバーを本につけて、ムズムズをよびだした。
「ふむ。」
すましたかんじで、いつものように言う。
「さきほどのことは、ぶじうまく行ったようだな。」
「……うん。」
「ならば、よし。」
「……うん。」
わたしは、言おうとするんだけど、なかなか言葉が出てこなくて。
「うむ、どうしたのかね? なにかほかに、まずいことでもあったのか?」
「ううん。」
「では……」
とムズムズが言いかけたところで。
「あのね!」
「うむ?」
わたしがいきなり大きな声を出したから、あいつは目を丸くする。
「……その、ありがとう。」
「ふむ?」
ムズムズはふわふわとうかびながら、そのままくるりと一回転して。どうやら考えこんでいるみたいで。
「どうして、おれいを言う?」
「だって、ムズムズがいなかったら、とびらが開けられなかったし。あんなこと、思いつきもしなかった。」
「ふむ、しかし。」
とか言って、ムズムズは言葉をつづける。
「ぼくはアドバイスをしただけだ。考えたのはきみだ。うまくやったのもきみだ。ちがうかね?」
「そうだけど……。」
「ぼくは本だ。本はきみを助けてくれる。しかし、それをどうつかうかは、きみしだいだ。」
ううう。わかるけど、たしかにそうなんだけど。
「……やっぱり、ムズムズする。」
「なにか言ったかね?」
「――ムズムズするっ!」
むきになって、わたしは少しこわい顔をして、大声を出す。
「……ふむう。」
ムズムズの、こまった顔。
「ぷっ。」
あいつのそんなのって、このときにはじめて見たから、思わずふきだしてしまう。するとますますへんな顔をして、それがとってもおもしろくって。おなかをかかえて、声を出して笑っちゃう。
ムズムズはさらに落ちこんだみたいにうつむいて。
わたしは近くによって、今度は小声で言う。
「ごめんごめん。」
「うむ。」
そして、おれいの言葉をうまく言いかえて。
「……これからも、なにかあったらアドバイスしてね。」
「うむ!」
するとあいつは、なんだかほこらしげにするんだ。なんだ、思ってたよりも、ちょっとかわいいところもあるじゃない!
だから心のなかで、わたしはムズムズに「よろしく」って、言ってやった。
このあと、ムズムズとわたしはいろんなできごとに出会うし、まきこまれもするんだけど、それはまた、いつかどこかでお話しできるといいな!
[…] そらいろのブックカバー 第二話「きれいはきらい?」 […]