『するりと鏡を――ぬけてみて、アリスに見えたもの』巻頭詩
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カテゴリー: | 投稿者:OKUBO Yu | 投稿日:2016年2月1日 |

『するりと鏡を――ぬけてみて、アリスに見えたもの』

Through the Looking-Glass, and What Alice Found There

 くもりなき おでこの 子の
  ふしぎを ゆめ見る ひとみ!
 時は はかなく ぼくと きみが
  ふたり 身を ひきさかれても
 きっと きみは えがおで 心づくしの
 おとぎ話を もらってくれるかな

 もう きみの にこにこも 見えない
  からからした わらい声も 聞こえない
 ぼくを おもうことも もはや ない
  大きくなる きみは この先――
 だから今 ぼくの おとぎ話に
 耳かたむけてくれるなら それでいい

 お話が はじまったのは ついこの前
  きらきら 晴れた 夏の日のこと――
 そぼくな 音色を たてながら
  じゅんぐり みんなで こいでいた――
 そのひびきは まだ ありありと 心に
 年月やるせなく「わすれろ」というけど

 さあ お聞き おぞましい声が
  つらい たよりを しのばせつつ
 気のりしない ねどこへと
  ものうい おとめを よばう前に!
 ぼくらは ただ 老けただけの 子ども
 おやすみの時が 近づき むずかるのさ

 おもては しも下りる まばゆい雪
  あらし ふきあれ 暗く すさむ――
 うちは あたたか あかあか てらされ
  幸せ あふれる 子どもの ねぐら
 じゅもんが きみを さっと とらえて
 ふきすさぶ 風も いったいどこへやら

 ものがたるなか ためいき かすかに
  こぼれることが あるとすれば
 すぎさりし「幸せな夏の日々」のため
  もうない 夏の きらめきのせい――
 ただ なやましげな といきにも
 話は ありあり すこしも かわらず

訳者コメント

■月1くらいのペースで続けたいと思います。

■Throught the Looking-Glass――これはどうしようもなくため息であることを運命づけられた作品なのです。

■訳題についてはかなり悩んだものの『するりと鏡を』に落ち着きました。もちろん〈スルー〉と〈するり〉の音を同じにしたいということでもあるし、ThとRの音のほか、続けてLと詰まる音、それからKとGも合わせたいということなので、何よりも音とリズムがほしかったということと、タイトルに〈鏡の国〉なんてものはどこにもないのだということをはっきりさせたかったのです。

■副題は”and What Alice Found There”なのだけれど、個人的には”and”の間が気になります。鏡を抜けたあとにの何かしらの一拍。第一義で読めば”found”は〈出会った〉で、”there”とは鏡の向こうの世界のはずなのですが、”and”の一拍はすでにその鏡の世界すら通り過ぎてしまったような、過去を振り返るような余韻すらあるわけで。ため息をつくキャロルにとって、”there”とは”here”ではないもはや遠い場所で、アリスが自分の手の届かないところに行ってしまったかのよう。

■してみると、鏡を抜けるというのはある意味で大人になるということかもしれず、〈そこで気づく〉こともあるはず。たとえばキャロルという人物は、子どものころにはよい遊び相手であっても、大人になってしまうとお別れせざるをえないのだと。そして、キャロルの分身である白の騎士は、作品中でもクイーンになるアリスに〈送ってゆけるのはここまで〉と別れを告げなければならないのです。

■作品のなかで、キャロルはため息をついてしまいます。それも随所で。言ってみれば巻頭詩のなかに、わざわざアリスの名前(原典ではミドルネーム)を混ぜ込んだことさえ、ため息のひとつでしょう。ゆえにあの詩は詩のなかで完成しているとも言えるわけで。題名だってそんな彼の吐息かもしれません。

■そんなことを思ってみると、『鏡の国のアリス』という訳題には、キャロルのため息がこれっぽちもないことに気づかされます。キャロルのどうしてもこぼれてしまう吐息を訳さないとは、いったいどういうことなのか。ことここに至って、ため息以外に訳すべきものなどあるのでしょうか。

■キャロルの呼吸を、キャロルの声を、キャロルのため息を。ただそれだけを写したいのです。


1件のコメント »

  1. なるほど、原題の行間を読むとそういうものが見えてくるんですね。
    「鏡の国のアリス」という邦題には「不思議の国」に対する続きものという意味は見えはするんですけどね。
    まあ、その辺は邦題に込めた出版側の意図のなす技かもしれません。
    出版社とはときどき販売サイドの都合でそうした歪みをきょうようしてきょようする傾向がありますから。
    実は以前、関わった翻訳書でも似たような経験があります。そこは翻訳側は出版してもらうわけで、よわい、よわい立場なのではいはいと言うことを聞くのですが。

    Comment by おおの — 2016年2月4日 @ 12:29 PM

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