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こんばんは。米田です。
最初の投稿からハヤ一月近く経とうとしています。あの調子を引き継いで、次の記事を書きかけたのですが、諸事情によりとどこーっています。その前に例の富田氏と、ツイッター上で「こういうことについて、書いてみませんか」みたいなやりとりがあって、なんていうか、青空文庫と関係あるようなないような微妙な文章をダラダラ書くのより、せっかくそんな「書いて下さい」ってゆって下さってる用件があるなら、そっち優先だろ常識的に考えて、というわけで、その二つについて、前のからちょっと飛ばして書こうと思います。
まず「チェーホフの手帖」について。
僕はプロフィールにもある通り、青空文庫工作員の活動は「チェーホフと荷風を中心に」やっています。
今見たら「え、こんなにやってたっけ?」ってくらい上がっていたのに自分でも驚いていますが(詳しくはここを見てって下さい)、外国人作家であるチェーホフの著作をこれほど集中的に出来たのは、神西清という訳者がいた(そして早逝されたために、2008年に著作権が切れた)からです。
加えて僕ら(青空文庫工作員)的に言えば、中央公論社より1960年、80年頃にバァーって出た「チェーホフ全集」、あの赤と黒を基調にした装幀の、表紙にただチェーホフの肉筆のサインのみあるあの全集シリーズの普及率も、作業のしやすさ(というか作業可能な人の多さ)に一役買ったと思います。
この『中公版「全集」』の中心となった訳者が神西清で、もともと個人訳の全集にすることをもくろんでいたらしいのですが、急逝してしまったので、残りのものを池田健太郎、原卓也両氏が訳し、この全集が世に出たというわけです。
最初僕はなぜかこの「全集」を作業するに当たって見渡した時に、なぜか「それぞれの短篇を訳した人は不明である」という思い込みにかられて、「じゃあどれを誰が訳したか、どうやって調べようか?」って変な困り方をしていたのを思い出します。
よく底本の目次を見てみたら、
マリ・デル - 神西清訳
その他 - 原卓也訳
みたいのが端っこの方にあって(これはうろ覚えなので、たしか最初の方の巻だったと思いますが正確な訳者かどうかわからないです)、とんだ赤恥をかきました。なんせその時はひよっ子工作員で、本の見方もよくわかっていなかったものですんで。
ちなみにチェーホフの神西清の訳を上げるに当たってこの全集を底本に選んだというこの流れの先鞭を切ったのは私じゃなく同じく工作員の阿部哲也氏で、もともと僕は神西清の著作権が切れてるとか知らないでいたところに、校正待ちでチェーホフ「決闘」と「接吻」という作品があるのを目にして、そこで初めてこの底本この訳者について知りました。
僕はその頃彼女との仲が良くなかったので、「接吻」に出てくるリャボーヴィチの甘ずっぱい感じ方を「苦《にげ》え……苦えよ……」と思いながら校正したのを思い出します。
以後チェーホフに関しては、彼の入力したものは全て僕が校正して、残りまだあったこの全集中の神西清訳の短篇を僕が入力したら、嬉しいことに阿部氏がそれの校正を継続してやって下さった、というのがことの流れです。
全て終えるのに、一年二年はかかりましたろうか。無事この全集に入っているもの、また後述(する予定)の岩波文庫「カシタンカ・ねむい」に入っているものの全て、そして新潮文庫から出ている四大戯曲のうち三大戯曲までを、青空文庫で公開させることができました。
この場をかりて、阿部さん、noriko saitoさん、ありがとうございました。
(もう眠いので、つづきはまた今度)