「チェーホフの手帖」について、他(2)
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カテゴリー:電子書籍 | 投稿者:米田 | 投稿日:2012年4月25日 |

話がどんどん逸れて申し訳が立たないのですが、前回、中公版「チェーホフ全集」が、基本的に神西清が中心となって、原卓也、池田健太郎の二者を共訳者として仕上げられたことは書いたと思います。

ちなみに、僕の知ってるもう一つの「チェーホフ全集」は、ちくま文庫版、松下裕訳「チェーホフ全集」です。
これは、ぶ厚い文庫本が十何巻にも及ぶ短篇や旅行記を、たった一人で訳しています。ものすごいことだと思います(でも「サハリン島」の巻以外版切れです)。これは1980年から1990年あたりに出ていたと思います。
ただ、中公版「全集」と比べて、収録作をよりしぼってあったと思います。そもそもチェーホフは、後期の名作群はともかくとして、初期はほんとに大量のユーモア小説を(それこそほんの数ページの、筒井康隆の悪フザけじみたようなものまで)発表していて、それを全部訳しておさめるのは労多くして何とやら、どうしても削らざるを得ないことには同意せざるをえません。
その感じは、って別に面白くないっていうわけじゃないですけど、新潮文庫からつい此間出ていた「チェーホフ ユモレスカ」を眺めていただければわかると思います。
本当につまらないっていうわけじゃないんですよ。「ユモレスカ」を見ても、ジュール・ヴェルヌのパロディーとかがあって、それなんかは本当に爆笑するほどなんですが、そのノリ? そもそもそれ自体が「ユモレスカ」に選り抜かれたわけで、それよりもくだらないのとか、もっと言えばロシアの地口みたいのを利用して僕らに面白さが通用しないのとか、いっぱいあって、それを全部入れないのは、僕は賢明な判断だと思います。
っていうか、そもそもチェーホフって初期は、「アントーシャ・チェホンテー」というフザけた名前(?)とか、はては「ふさぎ虫」「患者のない医者」とか、誰だかわからない筆名を使ってあらゆる雑誌やら新聞やらに短文を寄せていたので、集めきれずそもそもの「全集」を作ること自体が難しいという実情があります。だから、例えばロシア本国で完全な全集とかがあったとして、それを全訳したところで、「……ねえ?」的な感じになる気がします。
話がどんどん逸れて申し訳が立たないのですが、中公版「チェーホフ全集」が、基本的に神西清が中心となって、原卓也、池田健太郎の二者を共訳者として仕上げられたことは書いたと思います。
その上で、各短篇の訳者は目次に掲げられていて、どれを誰が訳したか、わかるようになっていることも、前の記事で述べた通りです。
そんな中で、たぶん唯一、いわゆる「共訳」の体裁になっていたのが、「手帳」と「日記」の部分です。
神西清と、どっちか忘れましたが、原卓也か池田健太郎のどっちかとの共訳、というか、名前が連ねてありました。
いかなる事情にしろ、神西清の単独の訳ではないので、これは青空文庫には入れられない。なんせ原卓也氏も池田健太郎氏もご存命でらっしゃるから。
しかし……!?
(つづく)


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