怪談いろいろ
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カテゴリー:未分類 | 投稿者:Horash Qudita | 投稿日:2012年4月30日 |

怪談の名作は古典に多い。つまり、青空文庫収録のものが多いことになる。暑くなるにはもう少し間があるけれど、怪談というもののレビューとともに“怪談”そのものを少し考えてみる。

怪談で有名な作家といえば、泉鏡花、岡本綺堂だろうか。泉鏡花なら、有名どころで「湯女の魂」「陽炎座」「星あかり」(ドッペルゲンガーの話)、変化球で戯曲の「天守物語」「紅玉」、くらいか。(「文豪怪談傑作選 泉鏡花集」なんて底本もあって、入力は済んでいるがまだ未校正。「霰ふる」「菊あわせ」「甲乙」「黒壁」など)岡本綺堂なら、「青蛙堂鬼談」、「世界怪談名作集」、「中国怪奇小説集」、「停車場の少女」が収録された「近代異妖編」あたりか。どちらにも、共通していることは、怪“談”、すなわち「語り」が重要であり、またその「語り」が優秀な故に、有名な怪談モノとなっていることである。有名な「怪談」といえば、「怪談牡丹灯籠」がある。同様に、「語り」の魅力が怪談の魅力を増しているのだ。(余談乍ら、「怪談牡丹灯籠」は、怪談のところが有名だけれど、二つのストーリーが美味く絡み合い、最後にはきちんと終る構成は怪談としてではなく、物語として優れている。話の拡げ方とまとめ方のうまさは、「霧陰伊香保湯煙」などにも見られる)「怪談」と「語り」は切り離しにくい。百物語なんてのも、「語り」抜きには考えられない。泉鏡花には、まさにその百物語を扱った怪談、「吉原新話」がある。さきほどの言及した「文豪怪談傑作選」には、百物語スペシャルの巻があって、泉鏡花「浮舟」「露萩」、平山蘆江「怪談」が収録されている(校正待ち)。平山蘆江には「蘆江怪談集」もある(これも校正待ち)。

「語り」すなわち主観である。お化けも幽霊も、誰かの目を通してでないと現れて来ない、これが「怪談」というものであろう。ホラーとは微妙に違っている。

青空文庫で怪談といえば、田中貢太郎がいる。でも、あまり高い評価を得ていないようである。何故か、理由は簡単で、あまり怖くないのだ。「語り」という観点からすると、「怪談」としての出来はあまりよくないと思う。ただ、「聊斎志異」(作者:蒲松齢を参照)を翻訳して紹介したり、その貢献は大きい。と、これだけだと、田中貢太郎を読んでみようという人も出て来ないだろう。ということで、「怪談」として、ではなく「ホラー」として見て、その評価をしてみたい。

田中貢太郎は、もとが新聞記者だったからか、そのスタイルは、主観的な「語り」ではなく、実話の記述のようなもの(「日本天変地異記」など)が多い(「日本怪談実話」底本の作品が多く校正中である)。それゆえ、「語り」の芸に馴れていると、今ひとつ物足りない気分になる。しかし、「語り」が通じるのは、主観的な物語、「誰かの目を通してでないと現れて来ない」幽霊やお化けだけである。記述的な客観的なスタイルは、「ホラー」へと変わる可能性を秘めている。田中貢太郎にも、モダンホラーと呼べる作品群が存在する。大正12年に出版された「黒雨集」に収録されて作品だ(「あかんぼの首」「水郷異聞」「蛾」「雨夜詞」「青い紐」「提灯」「蟇の血」「海異志」「黒い蝶」「雑木林の中」「牡蠣船」「白いシヤツの群」)。「語り」には、条理が存在するし、救いの無い結末は、「語る」者を失うので、物語が成立しない。しかし、モダンホラーは、不条理で、救いの無い結末があり得る。田中貢太郎の「黒雨集」に収録された作品は、まさに、その意味で「モダンホラー」であると言える。「語り」には向かない田中貢太郎のスタイルがここでは、大変に生きて来る。こんな作品を沢山残していれば、田中貢太郎の評価も変わっていたことと思う。青空文庫でも、この12篇は、公開中の200篇近い作品に埋もれてしまっている。


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