酒の話
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カテゴリー:未分類 | 投稿者:ten | 投稿日:2012年10月25日 |

 八巻さんが山頭火の酒を取り上げていらっしゃる。確か山頭火は酔っ払って、市内電車を止めたという逸話の持ち主だったように記憶する。その明治15年、山口県に生を受けた山頭火より三年遅れ宮崎県で生を受けたのは、歌人の若山牧水。青空文庫収録作家の中で一番の酒豪に違いない。アルコール性の肝硬変で亡くなったというのだから筋金入りの酒飲みである。酒飲みの常で、しらふの牧水は切々と自己を省みる。

そこで無事に四十二歳まで生きて來た感謝としてわたしはこの昭和二年からもつと歌に對して熱心になりたいと思ふ。作ること、讀むこと、共に懸命にならうと思ふ。一身を捧じて進んで行けばまだわたしの世界は極く新鮮で、また、幽邃である樣に思はれる。それと共に酒をも本來の酒として飮むことに心がけようと思ふ。さうすればこの廿年來の親友は必ず本氣になつてわたしのこの懸命の爲事を助けてくれるに相違ない。

 「酒と歌」 

 時すでに遅し。このエッセイの翌年に牧水は亡くなる。

 さて、青空文庫にはたくさんの酒がある。梶井基次郎の「桜の樹の下には」 の屍体が埋まっている満開の桜の下の酒宴。花見は日本人の大好きな行事。見慣れた風景であるが、この話を読んでその風景にであうと全くちがったものになってみえる。むなしさといとおしさが混じった不思議な気持ちになる。
 武田麟太郎が描く安酒場の風景も味わいがあり捨てがたい。そして田中英光の「オリンポスの果実」のロサンゼルスオリンピックへ出発する朝、日本の合宿所でお揃いのブレザーを着て飲む冷酒は、私の好きなシーンだ。女々しさこそがこの話だとすれば、その女々しさの中の一杯の清涼水とでも言おうか。その田中が尊敬して止まなかった太宰治の「メリイクリスマス」の酒、私は青空文庫の中で一番心に沁みる酒のシーンだと思う。親交のあった女性の娘さんと二人で入ったうなぎ屋で、“私”は、うなぎを三人分、コップ酒は三つと注文する。そして取り残されたうなぎを二人で分けて食べる。なぜ三つ注文するのか。三つでなければならないのか。文中の諧謔を押しのけた、まっすぐな心が読み手の胸を打つ。

 最後に青空文庫から離れ、ワインの話。十年ほど前、友人のY子さんが、イタリアワインツアーへ行ってきた。イタリアの北から南までワイン農家を尋ね、ワインを見て回るという酒屋さんの企画だった。家にワインセラーをもっているY子さんらしく、一本ウン十万円という高級赤ワインを買ってきた。但し「開けるのは、今から20年後なの」だそうだ。それを聞いて私は、厚かましくも20年後のご相伴をお願いした。快く受けてくれたY子さんは、「二人でがんばって飲めるように。そのためにはお互い元気でいなければね」ということになり、私たちの合言葉は「20年後のワイン」
 それから二年ほどして、彼女は癌を病い、その五年後には五十代半ばで他界した。私は、通夜から帰ってきて、一人安い赤ワインを一口飲んでやめた。そしてグラスに残ったワインをシンクに落とした。どぼどぼとワインはシンクに当り、赤い楕円を描いて流れていった。残りは、料理に使った。ワインを買わなければよかったとあれほど後悔したことはない。
 あれから私にもいろいろなことがあったが、誰ともワインを語ることはない。もともと彼女のお兄さんのワイン好きが高じて、酒屋にあるようなワインセラーを設備したのだと聞いている。そのワインセラーに、彼女のワインは、あと10年と、静かに待っているはずだ。


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