伊東英子をさがせ その2
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カテゴリー:WEB, | 投稿者:おかもと | 投稿日:2012年8月13日 |

2.Googleで検索

一口に「Googleで検索」といっても、実際にはイロイロあったりする。今回使ったのは、次の2つ。

  1. インターネット上に公開されているものを検索→Google検索
  2. Googleがスキャンした書籍を検索→Googleブックス

普通は1.のGoogle検索を使うが、昔のことの調査には、2.のGoogleブックスが威力を発揮する。

先の「伊東英子をさがせ その1」でいうと、「「赤い鳥」の作家たち総索引 1.作家」は1.のGoogle検索の結果で、「時事新報目録」や「泡鳴全集」は2.のGoogleブックス、といえば、多少はイメージがつかめるかな。

Googleブックスは、いわば力まかせの全文検索で、OCRスキャンの精度はイマイチなのだが、それでも丹念に見ていくと思いがけない発見があったりする。たとえば、Googleブックスで「伊東英子」を検索すると70件ほどヒットするのだが、そのうち、次の文献に注目。

Bungei nenkan, 第 3 巻(Googleブックス)

70 ページ
… 晨六郎氏夫伊東英子别名濱野ゆ- “^。舊一二竹內方。 50 現住、東京市外巢鴨町~ノ
1 もリ。 18 曲集『生血の壷』の著があ『新興文學』の&餐並に編輯せし事千葉 III 五井町-
に生る。技 19 たリ又,蓬&明治二十九年十””聚京市外高田町大頃一五 11 六 0 小 08 …

これじゃなんのことかわからないけど、表紙画像をみると「文藝年鑑 1925」のようだ。書名がローマ字なのは、海外の図書館の本をスキャンしたためらしい。「CiNii Books」で調べたところ、それらしきものがみつかった。

文藝年鑑 / 文藝年鑑編纂部編. — 1923 ; 1924 ; 1925 ; 大正15年版. — 東京 : 二松堂 , 1923.1-.

図書館で、1925年版(大14.3発行)のページめくってみたが、70ページには該当する記述がない。これはハズレだったかと思ってページをめくったところ、後ろのほうに「文士録」のページがあり、286ページに「伊東英子」があった。※1

伊東 英子 別名濱野ゆき。舊姓伊澤。松竹キネマ社員六郎氏夫人。明治二十三年一月十五日仙台市に生る。數篇の小説の作あり。舊『處女地』同人。現在、東京市赤坂區田町七丁目三番地。

こりゃすごい。ドンピシャ。

念のため、前後の年の文藝年鑑もチェックしたところ、1924年版(大13.3発行)の191ページ※2にはこう書かれていた。

伊東 英子 舊姓伊澤。松竹キネマ社員六郎氏夫人。明治二十三年一月生れ。多くの短篇小説あり。現在、東京市赤坂區臺町六五佐々木弦雄方。

文藝年鑑に「伊東英子」の項目があることは、言われてみればナルホドもしれないが、少なくともこれまでの研究者は気がつかなかったわけで、それに気付かせてくれたGoogleブックスはたいしたものだと思う。

さて、これで手がかりが増えた。

  1. ペンネームは「濱野ゆき」
  2. 旧姓は「伊澤英子」
  3. 夫は「伊東六郎」

1. の「濱野ゆき」は、かの有名な雑誌「青鞜」に執筆していた「濱野ゆき」、「濱野雪」、「濱野雪子」と同一人物のようである。「青鞜」のような有名な雑誌だと、Googleブックスでもいいけど、国立国会図書館サーチを使うと、作品の掲載巻号やページ数までわかるので便利かも。

また、国文学研究資料館の国文学論文目録データベースを使ってみたら、「濱野ゆき」は雑誌「演藝画報」に執筆していることがわかった。そして、この雑誌の索引である「演藝画報総索引」 をチェックしたら、これがまた大当たり。「演藝画報」には、「濱野ゆき」、「濱野雪」、「伊東英子」の名で、大正3年から大正11年にかけて16件もの記事を書いていることがわかった。

さらに、皓星社の雑誌記事索引集成データベース※3 の検索結果によると、濱野ゆき(濱野雪、濱野雪子を含む)の作品は、雑誌「青鞜」4巻4号(大3.4)に掲載された「蝙蝠」が最初で、雑誌「若草」4巻11号(昭3.11)に掲載された「小品三つ―雨・その午後」が最後。それ以降は作品を発表していないようである。

その他、いろいろあわせると、濱野ゆき(濱野雪、濱野雪子を含む)名義の著作は25件もみつかった。大漁大漁。

 

次に、2. 旧姓「伊澤英子」。Googleブックスでは「新訂明治女流作家論」などがヒットする。これもGoogleブックスのスキャン結果はイマイチなので、元の本を探して確認したところ、短歌雑誌「心の花」明41.8掲載の「祖父様」と、同じ 「心の花」明42.12掲載の「冬」。他の検索結果とあわせると、伊澤英子名義の著作は5件のようだ。

なお、雑誌「女子文壇」5巻7号(明42.5臨時増刊「新作家」)には、伊澤英子の「笑」という作品が「ひつじくさ」という名前で掲載されている。※4 同じ号のp.180には「日課表」として、伊澤英子の近況が掲載されているので、ちょっと引用。

伊澤英子 雅號ひつじくさ 十九歳
岐阜市
叔母、從妹、自分、女中、
朝叔母の看病のひまひまに「文章世界」「窓」を讀む
午後漸く脱稿せし「小説」と「美文」を新作家に投ず 東京の母へ叔母の病症を報ず 夜は從妹の學課を復習しやる 雨しとしとと訪づれて都こひしく母こひしく涙落つ

 

ここまでをまとめると、伊東英子のペンネームや旧姓がわかったことで、彼女の著作がたくさん判明した。マル。

え、没年はどうなったかって? まあ、もうちょっとまってね。

(つづく)

 ※1 Googleブックスに収録された日本語の本のうち、海外の図書館でスキャンされたものは、書名がアルファベットで、ページ付けは洋書と同じ左からの場合がある。つまり、この「文藝年鑑」は右開きの本なので、伊東英子の記事があった286ページは、後ろから70ページだったわけ。

※2 Googleブックスの 「Bungei nenkan [1923]-26」 だと、191ページではなく198ページとなっている。このデータを処理した人は、漢数字のページ付「一九一」が読めなくて、機械的にスキャンしたページの数で処理したのかも。

※3 雑誌記事索引集成データベースは、契約している大学や公共図書館でないと使えないが、戦前の記事の検索には非常に便利。紙の総目次や総索引をめ くっても、最終的には同じ結果が得られるかもしれないけど、スピードが断然違うし、ラクチン。ま、このデータベースも目次をスキャンして作られているの で、スキャンの精度がよければ、なおいいんだけどね。

※4 「ひつじくさ」名義の著作がほかにあるかどうかは未調査。「心の花」のような短歌雜誌に、短歌が1首だけ入選とかだったら、調べるのは大変そう。


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