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’15/10月のアクセス増率ランキングに入ったXHTML版とテキスト版の15作品のうち、共にランクインしているのは林芙美子「新版 放浪記」だけ。森光子の代表作であった「放浪記」が仲間由紀恵の主演で復活したからであった。XHTML版では7位だが、テキスト版では3位。同「放浪記《初出》」はテキスト版では4位だが、XHTML版で28位。
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’15/10月のアクセス増率ランキングに入ったXHTML版とテキスト版の15作品のうち、共にランクインしているのは林芙美子「新版 放浪記」だけ。森光子の代表作であった「放浪記」が仲間由紀恵の主演で復活したからであった。XHTML版では7位だが、テキスト版では3位。同「放浪記《初出》」はテキスト版では4位だが、XHTML版で28位。
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’15/09月のアクセス増率ランキングに入ったXHTML版とテキスト版の15作品のうち、共にランクインしているのは4作品。太宰治『斜陽』、夏目漱石『門』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、ラヴクラフト『ニャルラトホテプ』。
9月の新規公開作品では、XHTML版では15作品、テキスト版では36作品。
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’15/07月のアクセス増率ランキングの結果を見て、まず驚いたのはXHTML版1位の太宰治「川端康成へ」が19,035アクセスを稼いで、アクセス増率28.33だったこと。どういう作品なのかと思って、いたら、芥川賞がらみの作品だった。今年7月の芥川賞は、お笑い芸人の又吉直樹の「火花」が153回芥川賞を受賞して、話題を集めたことでアクセスが集中したのである。なお、テキスト版のアクセスではアクセス増率の21位に入っているものの372アクセスでそれほどダウンロードはされていない。
ちなみに昨年、一昨年の7月のアクセス増率ランキングを調べてみても太宰治「川端康成へ」のアクセス増はほんのわずかであったから、今回の又吉氏の受賞がどれほど広く話題になったかを示している。
’15/07月のアクセス増率ランキングに入ったXHTML版とテキスト版の15作品のうち、共にランクインしているのは太宰治「きりぎりす」と芥川竜之介「トロッコ」。
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’15/06月のアクセス増率ランキングに入ったXHTML版とテキスト版の15作品のうち、共にランクインしているのは芥川竜之介「枯野抄」、「桃太郎」。
1月の新規公開作品では、XHTML版でのランクインが6作品と少なく、その6作品がそのままテキスト版との共通ランクイン作品である。
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4月9日に公開される久保田万太郎の随筆「角力」を公開前の最終点検時に読みながらネットを見て回った記録です。
「角力」は、NHKの東京放送局で仕事をしていた久保田がある日、国技館に相撲の観戦に行くという話です。初出がいつか分かりませんが、親本は1947年に好學社という会社から出たと書かれています。今も好学社という出版社(絵本の会社のようです)があるみたいですが、会社概要には昭和23年、つまり1948年設立と書いてあります。違う会社なのかなあ。でも、トップページの <title> タグには「1946年創業」と書いてありますね。よく分かりません。問い合わせフォームで質問してみたのですが、返事はもらえませんでした。
文中に「「開橋記念」で両国の近所はわけもなくにぎやかだつた。」とあるので、話は1932年のことでしょうか?(両国橋 – Wikipedia) NHKの放送博物館のサイトに「久保田万太郎と愛宕山」という過去の展示のページがあり、それによると久保田は1925年から38年ごろまで NHK (東京に勤めていたとありますから、それとも齟齬はありません。
話が横に逸れますが、NHK のページには、久保田が後に、職を辞した理由として「日支事変以来、(中略)放送局の在りかたが、ぼくのような自由主義者を許容する寛大さをうしなってきたので」と語ったと綴られています。ここらへん、今の私たちの社会の危うさに通じるところがあるように思います。「日支事変」とは、もちろん、1937年7月7日に端を発する戦争のことです。
久保田は、30年ほど前、十代のころ、相撲を観に行ったことがあると書いています—「小錦の横綱時分です。」 これまたウィキペディアによると、初代の小錦関は1896年に横綱に昇進し、1901年に引退したとあります。文中にはその当時の力士の名前が他にもいくつか挙げられています。
観客数のことが話題にされています。これは今も、減っただの増えただの、ときどき聞きますから、同じような感じかもしれません。日本相撲協会公式サイトのどこかに観客数の統計があるのだと思いますけれど、探し当てられませんでした。
仕切りの時間のことも話題になっています。現代における仕切り時間の話は相撲の制限時間 | 大相撲ドットコムをどうぞ。
文中に登場する水上瀧太郎とその「貝殻追放」も青空文庫で読むことができます。
観客の中に、久保田は俳優の片岡仁左衛門を発見します。十一代目でしょうか。「老優」として紹介されています。亡くなる2年前だったようです。また、往年の力士として鬼竜山という相撲取りも紹介されます。時代からすると、二代目の人のようです。久保田は「ある場所でかれは全勝した」と書いていますが、取り組みの成績のデータベースには、そのような記録はありません。逆に、全敗した場所があったことになっています… 鬼竜山が現役だったころの新聞記事を復刻なさっているかたがいらっしゃいました。こちらです。
この日、久保田を国技館に連れて行ったのは、同僚の石谷さんという同僚で、文中に23回登場します。ネットではあまり出てこないのですが、1930年代のようすについていろいろと書いていらっしゃる藤田さんというかたのブログの記事「東京落語会 」でこれが石谷勝という人物であることを知りました。回向院というところにある相撲関係者の顕彰碑にも、この人の名前が刻まれているそうです。
久保田が NHK を去った理由として語ったものを上に引用しました。「角力」が書かれたのは、彼が辞職する数年前のことであっただろうと思われますが、街のようすが変わったね、相撲の取り口が変わったね、観に来ている人たちも変わったね、みたいなことは書かれていますけれど、右傾化する社会の閉塞感、愚かな戦争に向かっていく不安などは、ここには綴られていません。この随筆を書いた時にはまだそれを感じていなかったのでしょうね。そのあとの変化は、とても急速だったのでしょう。