だれもが知っている「カチカチ山」のお話では、狸は人をだます悪者である。心やさしいおばあさんを殺して婆汁を作り、自分は殺したおばあさんに化けて、おじいさんには婆汁を狸汁だといつわって食べさせる。いっぽう兎はその悪者狸の背中に火をつけ、焼かれた背中にはよく効く薬だといって芥子を塗り、さらには泥の舟に乗せて漁に誘い出して溺死させる、人間の味方の知恵ある者だ。
太宰治の「お伽草子」(一九四五)は戦争中の防空壕のなかで五歳の娘に昔話の絵本を読んでやりながら、それらのお話からまったく別個の物語を描き出すという趣向だ。そこでは「カチカチ山」の兎は少女であり「さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男」となる。しかも「狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天」なのだ。狸はいつも空腹らしく、蜘蛛や小虫を拾って食べている。兎にとっては臭いおじさんだろう。狸のお弁当箱は石油缶の大きさであり、兎が「あっ」と言って顔を覆うようなものが入っているらしい。泥の舟で鮒を釣りに行くときにも石油缶大のお弁当箱をまず積み込む。そして舟が溶けて沈みそうになったときにはこう叫ぶのだ。「やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。このお弁当箱には鼬の糞でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ!」
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食べようと手に持っただけで、すでにすっぱい。すぼまった口の中には唾液が充満してくる。梅干ではありません、夏みかんです。
十代に達するまでにまだ二、三年はあったあのころ、夏みかんが好物だった。いまなら「超」とつけたいほどの強い酸味に少しの苦さ。小皿に盛った塩をたっぷりとなすりつけて一個まるまるをひとりで食べ終わるころには、塩と酸の作用によって唇は真っ白にふくれあがり歯はギシギシになる。でも少女の想像上の麻薬の効果のように全身は爽快となる。
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ある初夏に友人が作る彼の母親直伝のかつおのたたきをごちそうになったことがある。かつおの刺身を大きな皿の真ん中に並べて、その上から、きうり、ねぎ、しょうが、にんにく、みょうが、しそ、などを細切りにした青い薬味を山ほどかけて、最後にしゃもじでその山を叩いて形を整えたら、摘みたての木の芽をのせる。それが彼の家の「たたき」の流儀だという。青くきれいな薬味の山の上からポン酢をかけて、食べる。青い味がかつおとなじんでさっぱりとおいしかった。
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小学校に入ったばかりの私を父が撮影した写真が何枚かある。そのなかの一枚に固定された私は茶の間のこたつに入り、自分専用の湯呑みでお茶を飲んでいる。祖母から母へと伝わったお茶好きをすんなりと受け継いでいるのだ。子供たちにも年に何度か、ふだんのものとは根本的に違うおいしさのお茶をいれてもらえることがあった。新茶だったのか、玉露だったのか、玉露の新茶だったこともありうる。
普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭《ぜっとう》へぽたりと載《の》せて、清いものが四方へ散れば咽喉《のど》へ下《くだ》るべき液はほとんどない。ただ馥郁《ふくいく》たる匂《におい》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。歯を用いるは卑《いや》しい。水はあまりに軽い。玉露《ぎょくろ》に至っては濃《こまや》かなる事、淡水《たんすい》の境《きょう》を脱して、顎《あご》を疲らすほどの硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
(「草枕」夏目漱石)
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好きなものは、と訊かれたら、些の躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。
種田山頭火「雑記」
あまりにもそのものずばりな、好きなもの。どう考えても反論はできません。
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野菜をゆでて食べるなら、まず歯ごたえよく、さらに色よく仕上げたいと思う。だから、頃合いをみはからって短時間でお湯から引き上げる。というのが常だった。しかしイタリアには野菜をほとんど歯ごたえのなくなるまでゆでたり蒸したりする食べかたがあるらしいことを本で知り、「ゆでカリフラワー」なるものを半信半疑でやってみた。
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森光子主演の「放浪記」を見たことがある。記録的な再演を重ねただけあって、芝居としてはある種の完成をみせていておもしろかったけれど、林芙美子その人は森光子演じる芙美子とはまったく相容れない別人のような気がした。「放浪記」という芙美子の青春時代から死ぬまでのお話には、パリに住んだり、戦時中に報道班の一員として中国、ジャワ、ボルネオなどに行ったというあたりはきっと意識的にカットされたのだろう。
これからはトマトも出(で)さかる。トマトはビクトリアと云う桃色なのをパンにはさむと美味(うま)い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地。(「朝御飯」林芙美子)
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春は菜の花の仲間の青菜を毎日のように食べる。かき菜からはじまって菜の花はもちろん、アスパラ菜など、そのほろ苦さを五月くらいまで楽しめる。茹でるか油で炒めるか。
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お昼にはよく納豆そばを作って食べる。ふつうに売っている乾麺を使うので季節は問わないアバウトなもの。ちょっと早めに茹で上げた冷たいそばの上にきゅうりの千切り、その上に納豆、その上にねぎ、と重ねて入れ、そばつゆをかけまわすだけのもの。卵を入れるひともいるがわたしは入れないほうが好き。
そんな納豆そばのことを山形育ちの友人に話したら、彼の地では納豆はうどんとともに食べるもので、蕎麦はちがう、と言われた。
春の山菜のころ、宮城県と山形県を分つ奥羽山脈の山のなか、山形よりにある小さな村をたずねたことがある。おばあさんにくっついて山菜をとり、保存法もおしえてもらった。ともかく採集したらその日のうちに保存のための処理をしてしまわなければならない。その鉄則のため夕暮れどきはいそがしいのだが、食べなくては処理のための労働にさしつかえる。そこで明るいうちに庭にあるかんたんなかまどに羽釜をかけてお湯をわかし、乾麺をゆでるだけの「ひっぱりうどん」がはじまるのだった。
たれはふたつ。ひとつは納豆+ねぎ+醤油、ひとつは味噌+マヨネーズ+ねぎ。ねぎを切るだけの手間で、熱いうどんをからめて食べるとふしぎにおいしい。味噌とマヨネーズはおばあさんのオリジナルでおどろきのおいしさだ。
家でも冬にはよく釜揚げうどんを食べる。ゆであがったうどんを鍋ごと食卓に出して、おのおの麺つゆにつけて食べる。鍋の中はうどんだけなので、べつにおかずを用意していたのだが、あるとき思いついて、うどんといっしょに野菜などもゆでてみた。そしたらいけるんですね。
色や香りのたちすぎるものは避けて、たとえば薄く切った大根、しいたけ、白菜、豆腐、ねぎ、しょうが、などをうどんの出来上がり時間から逆算して、ちょうどよく煮えるように入れていき、最後に水菜をぱっと投じたら火をとめる。うどんの塩味がほんのりきいているせいだろうか、うまく煮える。ねぎやしょうががすでに入っているので薬味は七味があればじゅうぶんだ。
ほかにおかずはいらないという観点からは引き算かもしれないが、鍋の中をのぞけば足し算にも思える。どちらにしても、かんたんでバランスがとれている。唯一の難点はおいしくてつい食べ過ぎてしまうこと。
「青空文庫」のなかで、うどんをよく食べているのは織田作之助など西の方の作家たち。なかでも林芙美子と種田山頭火の作品には多く登場する。あたたかいうどんはおなかを満たす放浪の友だったのかもしれません。
かたや納豆は東の人の好きなもの。
「私は、筋子(すじこ)に味の素の雪きらきら降らせ、納豆(なっとう)に、青のり、と、からし、添えて在れば、他には何も不足なかった。」(太宰治「HUMAN LOST」)
もちろん朝ごはんです。
「納豆の糸のような雨がしきりなしに、それと同じ色の不透明な海に降った。」(小林多喜二 蟹工船)というのに行き当たった。納豆もこうした風景になると、奇妙なおいしさに反比例するかのように、存分に厳しい。
もう何年も前のこと、はじめて訪ねた友人の家で、不思議なものをごちそうになった。ざるにこんもりと盛られたそれは細くて茶色いものの集合体だった。さあ、食べてみて、これが何だかあててごらんなさい、と言われて数本を手にとる。
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