はじめに
伊東英子。「いとう ひでこ」と読むらしい。
この人のことを知ったのは、富田倫生さんによる掲示板「こもれび」への書き込みからだった。
▼伊東英子
「水野 仙子ホームページ」は、「…島崎藤村の刊行した雑誌「處女地」で執筆していた伊東英子という方の没年を教えてください!」と呼びかけています。
http://page.freett.com/Schuricht/senko.htm
ここで紹介されたリンク先のサイトには「伊東英子作品集」というページもあり、伊東英子が、島崎藤村の刊行した雑誌「處女地」(大正11-12年に刊行)に執筆していた人だとわかる。また、「伊東英子に関する既存の情報」として、以下のように書かれていた。
(more…)
先鞭をつけるというのは常に創造的なことで、ちょっとした小説じみた文章よりも、ダーウィンの「種の起源」の文章の方がよっぽど創造的で、それは科学であるとかないとか全く関係ない。
(more…)

神田にある「スタジオイワト」では、
藤井貞和さんの詩をみんなで朗読する、
というイベント「異なる声」が開催されました。
以前、どこかでも書いたけれど、
僕がまだ映画の学校に通っている頃、
つまり十代の終わりに自主映画を作っていて、
藤井貞和さんの詩集『ピューリファイ!』の一遍、
『途中の仕事』という詩をそのまんまタイトルにした映画を
撮ったことがあるほど大好きな詩人。
なので、書いた本人の前で、詩を読み上げるなんて考えただけで、
もう血圧が上がってしまうほど。
さらに、その朗読に高橋悠治さんがピアノ演奏を付ける、
と聞いてしまうと、さらにいけない。
だって、その映画のBGMは著作権なんてまるで無視して、
僕がかってにつけた高橋さんのサティが流れていたのだ。
さて、それからいままで告白していなかったけれど、
スタジオイワトにはもう一つ、僕を悩ませる存在が…。
実は、僕が20代の半ばで広告関係の仕事を始めた頃、
ずっと憧れていたのが、
スタジオイワトを運営されている平野さんのご主人、
平野甲賀さんなのであった。
これまでも、スタジオイワトに行くたびに、
平野甲賀さんをお見かけしていたのだけれど、
「ファンでした!」と言ってしまうと、
もう、どこを見ていいかわからなくなるので、
誰にも言わずに内緒にしてきたのだった。
しかし、今日、正面に藤井貞和さん、
その右手に高橋悠治さん、
そして、ズズッと右を見ると平野甲賀。
ついに、僕が十代から二十代にかけてファンになった神々が、
スタジオイワトにそろい踏みしたのだ。
三大スターに囲まれて、僕はもう自分勝手にふらふら。
一緒に参加した高校生の娘には、
「とうちゃん、ここに来ると、いっつも緊張してない?」
とすっかりバレバレ。
イベントそのものは本当にスリリングで面白いものだったが、
ここまで夢見心地だった僕に、
冷静にそれを判断できるだけの資格はきっとない。
ただただ、あんなに平均年齢の高い空間の中で、
もう立派に年配の男性三人を
まるでディズニーのエレクトリカルパレードのように、
眺めていたという事実があるだけ。
嗚呼